第2話隆のメディア論
根岸隆は、世間の動向を理解するために、朝日、読売、毎日、産経、日経、さらにはスポーツ新聞まで、あらゆるメディアに目を通すことを日課としていた。しかし、その目は常に厳しかった。
「最近の新聞記事はひどい。文法や語法の誤りはもちろんだが、何を言いたいのかさっぱりわからない文章が多すぎる」
彼はそう言って嘆いた。特に、主語や目的語が不明確で、文章の論点がぼやけている記事には我慢ならなかった。それは、法律家として、一言一句に意味を持たせ、論理を構築することに生涯を捧げてきた隆にとって、看過できないことだった。
「これは、官僚答弁と同じだ」と彼は続けた。「官僚は、自分たちの都合の悪いことをはぐらかしたいとき、わざと回りくどく、分かりにくい答弁をする。それを記者たちが鵜呑みにして、そのまま記事にするから、こんなことになるんだ」
隆は、文章を書く者としての責任を強く訴えた。
「書いている当の記者自身が、自分の書いた文章を読んで意味がわかるのか、という話だ。おそらくわかっていない。官僚の先生がこう言ったから、そのまま書いたんです、とでも言うつもりだろう」
彼の言葉には、真実を伝えるというジャーナリズムの根幹が揺らいでいることへの憤りが込められていた。
隆は、自らメディアに登場することを極端に嫌った。若い頃に一度だけテレビに出演したきり、二度と公の場に姿を現すことはなかった。新聞社の取材もほとんど受け付けず、せっかく訪ねてきた記者たちを門前払いすることも珍しくなかった。その態度は、彼を「奇人変人」「頑固者」として世間に知らしめることになった。
しかし、隆の行動には確固たる哲学があった。彼は、メディアに嬉々として登場し、金儲けや売名行為に奔走する学者や法律家を心底憂いていた。彼らは、自らの専門知識を大衆に分かりやすく伝えるという美名のもと、本質を見失っているように見えたのだ。隆は、法律家としての真の価値は、華やかな舞台ではなく、地道な努力と、一つひとつの事件に真摯に向き合うことにあると信じていた。彼にとって、メディアへの露出は、自己の利益を追求する浅はかな行為に過ぎなかった。
隆のこの哲学は、彼の教え子たちにも深く影響を与えた。法律家として、世間の評価や名声に惑わされることなく、真の正義を追求すること。それが、彼が何よりも大切にしたことだった。そして、その揺るぎない信念こそが、多くの人々を彼の元へと引き寄せ、彼が築き上げた「向陽法律事務所」を、日本で最も信頼される法律事務所の一つへと押し上げていったのである。




