第1話弁護士根岸隆
根岸隆という男は、単なる法律家という枠に収まるような存在ではなかった。彼の薫陶を受け、法曹の道を歩んだ教え子は、ゆうに100名近くにものぼる。その中には、後に東京都知事選挙に出馬した宇都宮健児弁護士や、東京大空襲訴訟で歴史的な判例を勝ち取った中山武敏先生といった、日本の法曹界に深く名を刻む錚々たる面々が含まれていた。隆の指導者としての能力と、その人間的魅力がどれほど絶大であったかを物語るエピソードだ。
隆は、指導においては一切の妥協を許さなかった。学生が書いた文章に、少しでも曖昧さや論理の飛躍を見つけようものなら、彼の雷鳴のような怒号が飛んだ。
「こんなもののどこが日本語だ!」と机を叩き、学生の曖昧な思考を徹底的に正そうとした。それは、法律家としての一言一句が持つ重みを、彼らが骨身に染みて理解するための、隆なりの厳しくも深い愛情表現だったのかもしれない。彼の目的は、単に知識を教え込むことではなく、真の法律家となるための思考力と表現力を鍛えることだった。
宇都宮健児もまた、隆の厳しい指導を受けた一人である。彼は東京大学法学部に在籍していたものの、当時の学業成績は決して芳しいものではなかった。しかし、隆は宇都宮の学力ではなく、彼の人間性に非凡な輝きを見出していた。法律知識を超えた、弱者に寄り添う温かさ、社会の不条理を許さない真摯な姿勢。隆はそこに、真の法律家となるべき天賦の才を感じ取っていたのだ。
一方、中山武敏は中央大学の夜間部を卒業という、隆や宇都宮とは異なる経歴だったが、その学力は群を抜いて優れていた。ある日、隆が何気なく、
「どうして中央大学を選んだんだ?」と尋ねてみた。すると、中山は少し躊躇いながらも、静かにこう答えた。
「先輩、実は俺、部落の出身なんです」。
隆は、ただ一言、
「そういうことか」とだけ返した。中山は、隆の平然とした態度に驚き、少し戸惑ったように尋ねた。
「差別しないんですか?」。隆は、まるで何を馬鹿なことを聞いているんだ、というように笑いながら言った。
「何を言っているんだ。俺には部落出身者の友人もたくさんいる。彼らも、お前も、何も変わらない」。中山の目に、安堵と感謝の涙が浮かんでいた。
「こんな人、初めて見ました…」。
このエピソードは、根岸隆という人物の本質を象徴している。彼は、学歴や出自といった表面的なもので人を判断することはなかった。彼にとって重要なのは、その人物が持つ誠実さと、弱きを助けようとする強い心だった。彼は、自身の壮絶な幼少期の経験から、社会の不条理や差別を誰よりも憎んでいた。だからこそ、彼は学歴や出自といったレッテルで人を判断することをせず、その人物が持つ内なる輝きを見抜くことができたのだ。
彼は多くの才能を世に送り出しながらも、決して驕ることなく、常に弱者の側に立ち続けた。その揺るぎない信念こそが、多くの人々を彼の元へ惹きつけ、彼が築き上げた「向陽法律事務所」を、単なる法律事務所ではなく、日本で最も信頼される正義の砦の一つへと押し上げていったのである。




