家族
征四郎の邸は太朗の邸とあまり変わらない。武家屋敷はどこも同じようなのだと思いながら、征四郎の後に続く。だが、綺麗にしてあり、手入れが行き届いているのが分かる。そこの一室に通された。
征四郎と謡は、両親、妹のお凛も一緒になって二人の事情を説明した。結婚の意思があること、謡がちゃんと大神の許しを得て里を出たこと、城での儀式の際のこと、そしていつか生まれるかもしれない子どものこと。
ゆらりと灯りが揺れた。征四郎の父はこの前、城で見かけたことのある重臣だった。大神と同じような威厳のある風貌をしている。母親は優しそうだが、しっかり者という感じで、お凛と性格や顔も似ている。
父親は腕を組んで考え込んでいた。
「ちょっとお……。父上、いいんじゃないの?私も姫さまが姉上さまになるなら嬉しいし」
お凛が静寂に痺れを切らして堪らず声を出した。
「晴明さまが何と仰せになるか……それ次第ってところだな」
「大丈夫ですよ、父上。殿はせっかく神と再び関係を持つことを重要視している。謡がこれからも城での神事に携わる限り、謡を切り離すことなど出来ない。何しろ大神さまがお許しになられた……これが大きいと思います」
征四郎はもっともなことを告げた。謡に背かれては、この前の神事一回きりで神との関わりがなくなってしまう。晴明のような『人』ではなく、迦羅須大神という神聖な神が許したことは、晴明は従わざるを得ない。その言葉に皆も納得した。
「ところで、姫さまは『うた』さまなのですか?それとも『謡』さまなのですか?」
お凛が口を挟む。
「どちらも私の名です。真名は謡。人前ではうたと通しています」
「どっちも素敵ですわ」
お凛が笑った。そこで、腕を組んでいた父が口を開いた。
「……まあ、そういうことなら晴明さまも否とは言うまい。だが、確実ではないが……その時はどうする?征四郎」
父が尋ねる。至って現実的だ。
「その時はその時。お凛には婿でももらって、俺はここを出ます。それこそ、謡とならどこでも暮らしていける。厳しいだろうがね」
ちらりとこちらを見たので、謡は頷いた。そのつもりで出てきたのだ。一人じゃない、それだけで幸せだ。
「厳しいのが分かっていればいい。だが、儂は息子を失くす気はないぞ」
「いや……しかし、父上、謡の事を認められないとしたら、全てを失っても謡を優先させるつもりです」
征四郎の言葉に誰もが言葉が無かった。征四郎が全てを捨てて自分を取る……嬉しい言葉だが、複雑だった。そんな事にはなって欲しくない。征四郎だって、今まで築いてきた地位とそれに伴う努力がある。
すると、今まで黙っていた母が口を開く。
「さあさ、先の事は分からないんだから、この話は終わりにしましょう。それに、これから、うちの嫁になるんだから、こちらも厳しくしなきゃだね。何しろ神様のお姫さんを貰うんだから、家のことなどしたことがないだろう?忙しくなるね」
そうだった……何もできない。今まで仕える者がいたため、全て任せていた。これからは覚えることが多い。
「よろしくお願いします!」
謡は両親に頭を下げた。
「じゃ、これから謡って呼ぶよ?いいかい?」
母が謡に尋ねた。微笑んだ顔は優しいものだった。母ってこんな感じなのか。母を知らない謡にとっては、父と母がいるという状況が不思議なものだった。義理とはいえ、両親だ。
「はい!母上さま」
笑顔で応えると、母も嬉しそうに頷いた。
「じゃ、今日のところはこれで終わりだ。明日、晴明さまにお伺いを立てるとしよう」
そう言って父は寝所に向かう。
「じゃ、おやすみなさい。謡も疲れているのだから早く休むのよ」
父に伴い母も向かった。お凛も出て行く。残されたのは征四郎と謡。急に静かになってしまった。
「私は……どこで寝たら良いのかしら」
「もちろん、俺のところだろ」
当たり前のように言ったが……謡には驚きだった。まだ夫婦にもなっていないのに。呆気に取られていると、征四郎は謡の手を引き立ち上がらせた。
本当に?ちょっと待って!
心の中で叫ぶがさっさと歩くので声が出ない。廊を曲がったところで……お凛に行き会う。
「大丈夫よ、義姉上のお部屋は兄上の隣りに用意したから。別ってことで父上と母上に言いつかっているの」
お凛は得意気に言う。暗いながらもその様子がよく分かる。征四郎が怯んだ隙に謡はホッとして引かれた手を離した。安堵のため息が聞こえたのか、征四郎は面白くなさそうだ。
「なんだよ、ちょっとは気をきかせろよ。やっと想いが通じたんだぞ」
「まだ祝言も上げていないでしょ。それよりも殿にお伺いも立ててないでしょ」
「うるさい。人の恋路を邪魔するな」
「まあ!こんな大の男が恋路だって!笑っちゃうわ」
兄妹で言い争っている様子がおかしい。謡は吹き出してしまった。兄妹がいない謡には新鮮だ。
「ふふ。お凛どのの言う通りよ。征四郎どの、もう少し先ね。その代わりに星が綺麗だから、少し話でもしましょうよ」
謡が言うと征四郎は渋々納得する。お凛もホッとしたのか「おやすみなさい」と言って自室へと戻って行った。
征四郎の部屋の前まで来た。縁側に征四郎が先に座ると、謡を目で促す。隣りへ座ることを意味していた。そっと座り、辺りを見回すと、謡が使う部屋と征四郎の部屋は廊を隔てて隣りだ。征四郎の部屋はお凛や両親の部屋からは離れており、庭の木々もあって静かだ。庭の塀の向こうに謡が征四郎と話していた通りがある。見上げると星が瞬いていた。
「綺麗ねえ」
謡がため息を吐く。毎晩のように空を眺めたことを思い出す。
「そうだな。俺、毎日のように空を見てたよ。謡も見ているかなってさ」
謡は驚いて征四郎を見た。
「うん?」
征四郎は不思議そうな顔をした。同じだった……離れていた時の気持ちも。
「私も同じだったから驚いた……征四郎どのもこの空を見ているのかなって」
「離れていても一緒だったってことだなあ」
しばらく言葉が無かった。静けさの中、夜風が二人を撫でて通り抜けていく。さわっと木々が音を立てた。
「ねえ、何故、私がここに来た時に通りに出ていたの?」
疑問だった。会えた興奮で忘れていたが、何故、夜に外に出ていたのか。それでなければ謡は征四郎に会えなかったかもしれない。
「ああ、なんとなく。落ち着かなくてさ。それに……謡の声が聴こえた気がしたんだ」
心の中で呼んではいたが、その声が聴こえたということだろうか。自分の知らない力があるのだろうか……そんなことを思った。だが、もう神ということは神事の時以外は忘れて生きていかなければならない。それが征四郎の……ここの家に嫁ぐということだ。もう烏間の姫じゃない、人に紛れて生きていくのだから。謡はそれは心の内に仕舞っておくことにした。
「ごめんな、謡」
征四郎が突然謝る。何のことだかさっぱり分からなかった。
「なあに?急に」
「いや、神とか関係なくてさ。女の謡に里を抜け出させるような決断までさせて、本当なら、俺が勇気出せば謡を里に迎えに行けたんじゃないかって思って」
「いいのよ、どんな形であれ、一緒になれるのなら嬉しい」
謡が征四郎の手に自分の掌を重ねた。現実的に征四郎が大神に願い出ても、その前に面会すら出来ないで追い返されていたと思う。謡が言うのと人である征四郎が言うのでは違いが大きい。
「それにね、こんな大胆なことを出来たのは、征四郎どののおかげなの」
「え?俺?」
意味が分からないらしい。征四郎は首を傾げた。
「そう。征四郎どのを想っての気持ちで動いたのもあるけど、里を出ようと思える行動が出来たのは自分に自信が少しでも持てたから。今まで、ずっと疎まれて、何も出来ないと思っていた私が、少しずつ周りと話せるようになってきたのもあるの。それに周りは私に優しかった。それを閉じて気が付かなかったのは私」
謡は掌に力を込めて征四郎の存在を確かめるように握った。すると、征四郎は視線を空から謡に移す。真っ直ぐな瞳。それには自分だけが映っていた。
「それは謡の本当の力だよ」
ぐいっと手を引かれ、謡は征四郎にもたれかかるようにして抱きかかえられた。征四郎の匂い袋の香りがふっと香る。謡も持っている同じ香り。
「大丈夫、すべて上手くいく。謡は安心して俺のそばにいてくれ」
謡は征四郎の腕の中で頷いた。顔を上げると、先ほどと同じように目を細めた征四郎がいた。顔が近づいて吐息が頬を撫でる。謡も目を閉じてそれに応えた。
自然と重なり合う二人の陰。少し離れて見つめ合う。
「駄目だな……離れていたから歯止めが効きそうにない」
征四郎は更に熱い吐息を謡の首筋に唇を寄せる。更にきつく抱きしめた。そして征四郎の熱を持った手が謡の身体を撫でる。
「……あ…っ……」
謡は思わず声を漏らした。太朗に触れられた時のような嫌悪感も震えもなかった。ただ、愛しい。愛しい人に触れて欲しい。そんな思いが全身を巡り、抵抗する力が抜ける。先ほど征四郎の親の計らいで別に部屋を用意してもらったことを思い出したが、そんなことも忘れさせるような熱さだった。
「どれだけ謡に触れたかったか……。しずかが謡に当たり前に触れているのを見て、どれだけ悔しかったか……それに、太朗に迫られていた時も……。俺がどれだけ謡に触れたかったか、思い知ればいいよ」
少しいたずらっぽく目を細めた征四郎に、謡は全てを委ねるようにしがみつくしかなかった。
その夜、謡が用意された床に入ったのは、外が白み始めてからだった。




