再会
「っ……!」
謡は息を飲んだ。
「謡?」
その声は。その声の主は。
謡は駆け出した。そして、その声の主に思い切り抱きつく。どん!と押され、相手はよろめくがちゃんと抱き留めてくれた。
「謡!どうしたんだ、一体!」
征四郎だった。その声、この匂い、抱きしめられた腕の中。全てが征四郎を感じる。
愛おしくて、会いたかった人。それが、目の前にいるかと思うと何も言葉が出ない。言いたいことは沢山あるのに。胸がいっぱいで……。
「謡!?謡ってば!」
腕の中から顔を上げた。明らかに困惑している。それはそうだ、こんな夜に一人でやって来たなどと。謡は息を吸い込んだ。
「私、里を出たの」
「はあ!?何を言ってるんだ。また、しずかや大神さまが怒るだろう!早く戻れ」
謡は抱きついた征四郎の背中をぎゅっと力を込めて抱きつき離れない。首を振って否定した。
「違うの。大神さまの許しを得て里を出たの。しずかとの婚約も無かったことにしてもらったの。城での儀式の時は一度戻らなくてはならないけど、それでも里を出たの!」
征四郎の胸でくぐもった声を出しながら、謡は話した。
「もう里には戻らない」
急に両肩を掴まれ、ぐいっと引き離される。征四郎は謡の顔を覗き込むように少し屈んだ。
「本当なのか?」
謡は頷く。
「それって……うぬぼれかもしれないけど……」
一度、征四郎は言い淀んだが、しかし、謡の顔をしっかりと見据えた。
「俺のために里を出たってこと?」
謡は、また頷いた。
すると、征四郎は破顔して両手で持っていた肩を引き寄せた。再び征四郎の胸に顔を押し付けられる。ただ、力強く抱きしめられる。
「よく考えたのか?一時の気の迷いかもしれない」
謡は腕の中で首を横に振る。気の迷いなんかじゃない。征四郎が忘れられなくて苦しい思いをしてきた。よく考えての行動だった。
「もしかして、もう私のことは友としてしか考えられない?……嫌いになった?」
謡は征四郎の気持ちをはっきりと聴いていない。『惹かれた』とは言われたが、ちゃんと気持ちを言われたわけじゃない。
謡が去った後、すでに妻を娶る予定があるかもしれない。自分の気持ちばかり考えていたが、征四郎の気持ちは知らない。これだけ里を出たことを不信に思っているならば、征四郎が心変わりしてしまったかもしれないのだ。
不安になり、征四郎の顔を見ると、征四郎は首を横に振った。
「そんなわけあるわけないだろ」
征四郎はふっと笑った。
「ばかだなあ。里に居れば守られていたものを、俺なんかのために出ちゃってさ。俺と一緒にいたら苦労するかもよ?」
今日何度目の「ばか」なのだろう。だが、誰の言葉にも愛情を感じて不快な感じは何もなかった。それよりも嬉しさの方が勝っている。会いたかった人に抱きしめられていると思うだけで、胸は高鳴ると同時に安心感も憶える。
「苦労はやってみないと苦労だなんて分からないでしょ?いいの、征四郎どののそばにいたかったの。征四郎どのがいない方が苦痛でしかないの」
「本当に……?」
謡は力強く頷いた。
「俺でいいのか?今なら戻れるぞ」
やはり征四郎にとっては謡の気持ちを優先したい、後悔するなら里へ帰そうという気持ちが表れている。 謡は首を振った。
「征四郎どのがいいの。会いたかったの!ずっと!忘れるなんてできなかった。お願いだから、私を征四郎どののお嫁さんにしてください!」
何度か揺れる征四郎に思いの丈をぶつけた。これが本音。もう何も言うことはないくらいの気持ちだった。
少しして、征四郎は、くっくっと笑い始めた。謡は真剣なのに笑うなんてひどい。謡は怪訝な顔をして征四郎を見上げた。
「ごめん、ごめん。俺もだよ、忘れるなんてできなかった。俺の言いたいことを全部言われたなあってさ」
征四郎は見上げた謡の頬を撫でた。ごつごつとした手の感触が男らしさを感じる。嘘じゃなくて、現実で……征四郎が自分を抱きしめている。
「せっかく俺、あきらめようと思ってたのにさ。謡がこんな無茶をするとは思わなかったよ」
ため息交じりに言った。自分でも驚いている、以前の自分ならこんな暴挙は侵さなかったはずだ。だが、征四郎のことは、どうしても諦められなかった。しばらく、征四郎は何も言わず、呼吸を整えているようだった。
「じゃ、ちゃんと言うよ?」
征四郎は抱きついていた謡を引き離すと、少し背の低い謡を見下ろす。真っ直ぐ見つめられた目には先ほどまでのからかいの色は無かった。真剣な眼差しに胸がどきりと跳ねた。
「謡、俺の妻になってください」
征四郎から求められた……!受け入れられないことも考えたのに。ちゃんとした言葉で言われると照れくさいが、それ以上に嬉しかった。そして、もう限界だった。
「は……い、こちらこそ。よろしくお願いいたします」
声は涙で掠れてしまった。大粒の涙が謡の頬を伝う。
「泣くな、俺が泣きたいくらいなのにさ」
謡の頬の涙を強引に征四郎は自分の袖で拭う。指では拭いきれないほどの涙だった。
「だ、だって、嬉しいんだもん。受け入れてくれないことも考えてたから。でも……いいの?私で大丈夫?」
「ばーかっ!今更言うか?いいに決まってるだろ」
人と神なのだ。ためらいがあるのが普通だろうに。まだ征四郎の両親の承諾も得ていない。急に不安になって征四郎を潤んだ瞳で窺う。
「でも、ほら……人と神の婚姻だし。ご両親が承知するかどうかも分からないし。それに、私と……その……」
謡は言い難そうに言葉を濁す。でも言わないわけにはいかない。
「えと……私と征四郎どのの子が、力を持って生まれるかもしれないし」
恥ずかしくて俯いた。しかし、自分と一緒になるということは、その可能性があるのだ。それを征四郎が知らないままにしておけない。
だが、恥ずかしいのに征四郎の答えは無かった。何も言われないことを不安に感じて顔を上げると、征四郎はにっこりと笑っていた。謡は目を丸くする。
「ホント、今更だよ。心配しなくても、謡を好きになった時から一緒になりたいと思ってたんだ。それくらい想定済み」
ということは……。征四郎は子どものことまで考えていたということか。驚きで涙は止まり、謡は真っ赤になって征四郎の胸を叩こうとした。
「そんなことまで考えてたの!」
しかし、謡が叩こうとする前に征四郎に両方の手首を掴まれてしまった。ニヤリとした笑みが何か考えている。
「謡ってば、いやらしいことまで考えちゃった?」
からかいの声に謡は目を合わせられなくて俯いた。
「意地悪ね!征四郎どのは!」
「男だからね、そういうことまで考えちゃうよ。仕方ないさ、謡ってば可愛いし」
征四郎は両手首をぐいっと引き寄せ、再び腕の中へ閉じ込めた。ぎゅっと力強く抱きしめられる。
「好きだよ、謡。初めて会った時から、一目ぼれだったんだ。俺を好きになってくれて嬉しい。しかも俺の嫁さんになってくれるなんて」
征四郎は耳元で囁くように言った。くすぐったさと、恥ずかしさでどうしようもない。謡は窺うように征四郎を見る。耳元で囁いた顔は、すぐ間近にあって視線が重なりあう。すると、征四郎が目を細めた。自然と謡も目を閉じた。
重なり合う唇。口づけられた。
柔らかな唇の感触をお互いに確かめ合い、やがてゆっくりと離れた。
すると、いきなり両脇を抱えられた。そのまま持ち上げられる。
「え!ちょっと!」
謡が驚きの声を上げるが、征四郎はお構いなしだ。
「やったあ!謡!俺、嬉しくてどうにかなりそうだ!」
征四郎が赤子をあやすかのように高く持ち上げる。謡は驚きで、もう声が出ない。こんなに喜んでもらえるとは思わなかった。征四郎の笑顔に釣られ、謡も笑顔になる。
「謡!謡!」
征四郎は嬉しそうに名を呼ぶ。それだけで謡も嬉しい。こんなに近くにいる。同じ気持ちで。
その時、さすがに夜なので、征四郎の後ろから女の声が掛かった。
「ちょっと!どこの犬が鳴いているのかと思ったら征四郎じゃないの!何してるのよ一体……」
征四郎が我に返り、謡を下した。謡も窺うように女の方を見る。
「母上……すみません、はしゃぎ過ぎました」
母上!征四郎どのの母上さま!謡はいきなり背筋が伸びた。これから事情を説明しなくてはならない相手だ。急に緊張感が増す。
「そちらは?どなたかしら」
征四郎の母が後ろにいる謡を見つけた。急いで頭を下げる。
「申し遅れました!烏間……えっと、うたと申します!」
「か、烏間って!やだ!ちょっと、征四郎、説明しなさいよ。ささ、こんな外じゃなくて、狭い邸ですが、どうぞお上がりください」
征四郎の母は謡の正体を知るや、慌てている様子だ。そのまま邸の中へ案内された。さすがに烏間の名は知れ渡っている。その姓を使えるのは、この河野国では神以外にいないからだ。
二人は顔を見合わせ、母の後を追った。




