里との別れ
「謡!」
「出て行くってどういうことなの!」
静と藤だった。二人とも血相を変えて、急いで来たようだ。大神から聞いた直後なのだろう。謡は、はにかんで二人を見た。
「大神さまから聞いたのね。今までありがとう、それと、ごめんね。沢山迷惑をかけたね」
謡が落ち着いて座っているので、二人も謡を囲むようにして座った。
「ばかっ!そんなこと言っていないじゃない!それより里を出て、あの男が謡を受け入れなかったら、本当に里に戻ってこないつもりなの!?」
藤が興奮した様子で詰め寄る。
謡は微笑んで頷いた。
「うん、だって、そんな都合のいいこと……。どうせ羽無しだから、人に紛れて暮らしていけるわ」
すると、藤は眉を吊り上げて、今までにないような怒りを表し、謡に詰め寄った。
「本当にばかっ!」
藤はそう言って謡に抱きついた。
勢いよく抱きついたので、倒れそうになり両手を後ろに着いて支えた。藤がこんなことをするなんて……。
「藤?藤ってば」
呆気にとられたが、抱きついた藤の肩が震えている。泣いているようだった。時折、嗚咽が漏れる。謡は藤の肩を両手で掴んで離した。
「ばか……。姫である謡が暮らしていけるわけないじゃない。世間知らずなのよ。素直に里に戻ってくればいいのよ」
藤は掠れた声だった。涙をぽろぽろと流しながらも、鋭い目つきで謡を見つめる。
「大神さまにも言われた。というか、藤が抱きつくなんて思わなかった。私のこと嫌いじゃないの?」
謡が不思議そうに尋ねると、藤が涙を拭いながら答えた。ずっと嫌われているのだと思っていたのに、抱きつくなんて。
「そこもばか!私は烏間の誰も謡に直接言わないから言ってるの!別に嫌いだから言ってるわけじゃないわ。陰で色々言うのは性に合わない。羽無しは生まれ持った物で自分で望んで羽が無いわけじゃないでしょ?そんなことどうでもいいのよ、自分の出来ることをすれば。それに従妹なんだから、嫌いなわけじゃないわよ」
嫌われていなかった……。
特に藤には、ずっと疎まれていたと思っていたのに。謡は自然と目頭が熱くなった。気を許せば涙が溢れてしまう。大神の言った通りだ……愛されているよ、と。
「謡、征四郎に会った時から、こんなことになるような気がした。惹かれている様子を見ていて、婚約者としては複雑だったよ」
苦笑いで静は謡に告げた。返す言葉がない。
「静、ごめんね。私にとって今まで静は私の全てだったの。でも、静は婚約者という名の従兄で、本当に兄で父だった。でも違うの……征四郎どのとは……」
「分かるよ、分かる。私も大事な妹のような存在だよ。そういう目で見られないのは仕方ない。そういう風に育てて守ってきたのだから」
静も同じ気持ちだった……?
それに……二人に守られてきたのが伝わる。ずっと静だけだと思っていたのに、まさか藤まで……嬉しい間違いだった。
「ま、私も少し征四郎に意地悪をしたが、あの男は私に挑むような目をする男だ。それに自分で出来ない事があれば、嫌いな私でさえ助けを求める。素直なところは良いところだ。これからも謡を守ってくれるだろう。安心して預けられる」
行動で示す静、厳しい言葉の裏には自分を思っていた藤。もう限界だった。涙が出た。
「泣かないでよ。私も涙が出ちゃうから」
藤が拭った涙の跡が乾かぬ内に、更に目を潤ませた。
「ありがとう、藤。藤に嫌われていると思っていたから、嬉しい気持ちで里を出られるよ」
藤に言うと、藤は顔を覆ってしまった。そして、静に向き直る。
「静、ありがとう。これからは、藤を大事にしてあげて。私のお守りは終わり。藤を幸せなお嫁さんにしてあげて」
「ああ、それは大丈夫だ」
静は自信に満ち溢れた顔をした。自分は妹のような存在で、藤はまた違うのだろう。
「ふふ。自信満々ね。ちょっと妬ける」
謡は笑いながら涙を拭った。
そして、片隅にあった小さな荷物を背負うと、二人は謡に言った。
「謡、二人からの門出の祈りだ。受け取ってくれ」
静と藤は謡の額に手をかざす。すると、温かい光が謡の中に入ってくる。これが力を持った者の祝福のまじない。謡とは格段に違う。
「謡に幸せを」
静が小声で呟いて、二人の祈りは終わった。目を瞑っていた謡はそっと開けると、二人の真剣な顔が目に入った。謡は嬉しさに微笑んだ。
「どうせ神事の際には戻って来なきゃ駄目だから、さよならじゃないね」
二人は立ち上がる。藤はまた涙が出たようで、頬を拭っているので、静が背中を支えた。やはり似合いの二人だ。
「そうだな、いってらっしゃい、だな」
謡は頷く。迷いは無かった。
「うん、いってきます」
笑顔で言うと、静も珍しく笑顔で頷いた。藤は俯いてしまって声は出なかった。謡は二人を背にして部屋を出た。門の所まで見送りに来てくれたが、まさか見送りまでして出て行くとは思わなかった。一人じゃないことが、ここまで嬉しいものなのか。受け入れられるかどうか分からないのに、全く不安なく出て行くことができる。
「気をつけて行くのよ!」
藤の声が響く。陽が落ちてきたので、振り返ると二人は黒い影となっていたが、長年の感覚で静と藤だと分かる。
「静、藤、いってきます!」
そう言ったきり、もう振り返らなく進んだ。
暗い木々の生い茂った道を飛び跳ねるようにして進んだ。風を切り、木々の青い匂いを吸い込む。
『すごい!謡どの!すごい速さだ!』
征四郎の言葉を思い出した。ふっと笑う。あの時は昼間だったけど、今度は違う。受け入れてくれるかどうか分からないが、征四郎の元へ行けるだけでも嬉しかった。どうなっても後悔はない。吹っ切れるというのは、こんなに清々しいものなのか。
風を切りながら進むと、すぐに中之宮が見えてくる。その横を通り過ぎ、麓へと向かう。神社に着く頃にはすでに陽は落ちてしまって、辺りは暗くなってしまっていた。神社には人の気配はなく、城へ向かうのに大勢の迎えが来ていた場所とは思えないくらいだった。謡は足を止めた。拝殿に向かい、背後にある山を見上げる。
「私を育ててくれ、最後に我がままも聴いてくださり、ありがとうございました」
謡は頭を下げた。大神も静も藤も里の皆も……。自分は皆に守られていた、疎まれていただけではなかった。そう分かった今では、頭を下げて礼を述べることが出来る。
その頃の征四郎は庭で槍の稽古をしていた。とりあえず身体を動かしていると、何も考えなくていい。片方の袖を脱ぎ、槍を振る。
だが、今日は変な感じがする。何だか落ち着かず、親が「いつまでも外で何しているの」と呆れられたが、そんな気分ではなかった。
何だろう……この感じは。征四郎は陽が落ちて星が輝き始めた空を眺めた。
そして、謡は城下へと向かう。神社からも城は見えた。力を使って夜道を進む。先まで見渡せる力があるのは神の力のせい。皆よりも弱い力だが、こんな時に役に立つ力。
田畑を抜け、城下へと入る。ここからは歩いて行かなければ人の目に触れてしまう。謡は歩いて城下の通りを歩く。ほとんどが戸を閉めているが、時折、店だと思われる建物から灯りが漏れている。埃っぽい通りを抜けていく。
すると、川に掛かる橋の傍で男が二人いた。酔っ払い?それとも夜盗か。とりあえず、関わらないようにして通り過ぎようとした。
「よう、姉ちゃん」
うわ……。やはり声を掛けられた。謡は橋に足を掛けたところだが、立ち止まって男の方を見ると、柳が立ち並び風で揺れている並木の一本の幹に寄り掛かり、そして、もう一人はこちらに近づいてくる。男たちは下級武士のように見えた。髭がぼさぼさと伸びていて、服もだらしがない。気持ち悪いの一言だ。
「姉ちゃん、変わった服だなあ。どこかの流れの巫女か?」
話す気もない。返事もしたくなくて、顔を顰めた。こんなのに関わっていられない。そこまで治安が悪い河野ではないとは思うが、やはりこういうのがいるのか。河野の民の幸せを願う身だが、こういう悪そうな人もいる。仕方ないが、もっと力を込めて儀式に望まねばならないと思わされる。
「はあ」
大きなため息を吐いた。仕方がないか……。
「あっ!」
謡は男たちの驚きを背に、ひょいと欄干に乗った。そのまま、ひょいっと向こう岸に渡る。そして、その勢いで立ち並ぶ店の屋根に飛んだ。男たちは追いかけてきたが、呆気に取られた様子で、こちらを見ている。
「天狗だ!」
男の一人が大きな声で言ったが、無視してそのまま屋根を飛んだ。何度か屋根を渡り、追いかけてこないことを確認して、またため息を吐いた。絡まれなくて良かったと胸をなで下ろす。
『人の女人だったらお転婆っていうんだけど、謡どのは神だからなあ……』
以前に征四郎に言われた言葉を思い出す。逃げるためだから、これはお転婆に入らないよね、と勝手に思い出し納得する。
「あっちの方か」
屋根の上で一度、城の方角と武家屋敷を確認する。今日は月が出ていないので、見上げると満天の星空だった。天の川が綺麗に見える。きらきらと輝く星を見て、先ほどの嫌なことは忘れようと思った。そのまま、その屋根から降りて、また歩き出す。袂に入れてある匂い袋を取り出した。征四郎の邸がどこにあるかは知らない。だが、この目と、征四郎から貰った匂い袋がある限り、見つけられると確信している。
征四郎どの。征四郎どの。どっちへ行けばいい?こっち?
謡は征四郎の気が微かにする方へ向かう。しばらく行くと城の傍に出た。そして、武家屋敷の方へと向かう。
「征四郎どの」
何度も心の中で呼んだ。だが、いつの間にか口からも征四郎の名が出ていた。早く会いたい。その一心だった。
征四郎どの。
段々と足早になり、駆け出していく。すぐそばに征四郎がいると思うと心は逸るばかりだ。息が切れることはなかったが、足が埃だらけになって汚れても、袴の裾がもつれそうになりながらも、征四郎の気がある方へ走る。すぐそこに征四郎の気が満ちた場所がある。そして、暗い夜道でも星が照らしてくれている。昼間で良く見えるような感覚で謡は走った。
そして、武家屋敷が立ち並ぶ一画の塀を曲がった時だった。謡は走っていた足を止めた。




