笑顔
その後、征四郎が予想していた通り、晴明の答えは婚姻を認めるというものだった。大神と静が二人を認めて欲しいという書状が届いたのも二人の婚姻を後押しした。
二人は晴れて夫婦になることになった。婚儀は静かに征四郎の邸で行われた。
数年後の河野国の白金城。
隣国の岩月国との攻防は続いていた。
岩国国が攻めてきたが、見事防戦し、更に勢いに乗った河野軍は砦となっていた岩月の城を落として炎上させた。しばらくは岩月国は大人しくしているだろうと晴明は言っていた。その出陣の戦勝祈願の礼として、謡は城へ呼ばれ、城内の社で儀式を行った。戦勝祝いの宴もあり、謡と征四郎も参加することになっている。謡にとっては、出陣した征四郎が無事に帰ってきたことが何よりだ。
「父上さまあ」
征四郎の元へ走り寄る男の子。まだ、髪も柔らかく幼い四歳の男の子。それは謡と征四郎の子だった。征四郎が破顔させて腰をかがめて手を差し伸べる。すると、男の子は嬉しそうに廊を走り、征四郎へ抱きつく。
「どうした?叔母上と待ってるのんじゃなかったのか?」
征四郎が抱き上げると、ぎゅっと首に小さな手を回す。
「だって、叔母上さま、うるさいんだもん」
すると、後ろからお凛が走ってくる。息を切らしているということは、そうとう走ってきたようだ。さすがに、この子は謡の子どもだ、神の力を受け継いでいる。
だが、その不思議な力に本人も気づいていない年齢だし、まだ未知数の力が秘められているのかもしれない。何より、この子には羽があった。いずれ、烏間の里へ養子に出した方が良いと思っているが、二人にはその決断はまだ出来そうになかった。
「秀!今日は父上も母上もお忙しいから、私と待っている約束でしょう?勝手に邸を抜け出したかと思えば、いくら父上と母上の居る場所が分かるからって城に入ったりして」
秀と呼ばれた男の子は征四郎から離れる様子がない。しがみ付いたままだ。
そこへ、しゃらん、しゃらんと金属の冠の飾りの音を鳴らし、緋色の装束を纏った謡が廊をこちらへと向かって近づく。後ろには烏ノ神社の巫女を従え、神々しいと言っても過言ではない美しい謡が歩いてくる。 あれから儀式を何度もこなし、謡は大神から叔父や重臣たちと同じ扱いで、前よりもずっと華やかな格上の装束も賜った。祭事には神社の巫女も一緒に行うようにまでなった。今では謡は烏ノ民と河野国の民を繋ぐ大事な存在だ。
謡の真っ直ぐ前を見据えた目は、すぐに愛しい夫と息子を見つけ、神事が終わったばかりなのにも拘わらず走ってきた。
しゃらん、しゃらんと音が鳴る。
「征四郎どの!秀!」
謡の目は輝く。その途端に、征四郎は秀を降ろし、征四郎も幼い秀もお凛も跪いて頭を下げた。儀式の際の謡は、城主の晴明よりも格が高い。長年の付き合いだから謡と晴明は立場が逆のように見えるが、本来なら神である謡と晴明は砕けた話も出来ない仲なのだ。だが、征四郎の妻となり、普段は家臣の妻として扱っていても神事の時だけは、誰もが傅く。
「七日ぶりね。元気そうで良かったわ」
後ろの巫女も立ち止まったので、謡は「下がって良い」と告げると頭を下げて別に用意された部屋へ向かった。
「母上さま、お勤めご苦労様でした」
まだ幼い秀には母が恋しいのだろう。神事がある度に謡は大神の言った通りに、里に戻って身体を清め、穢れを落として城へ戻っていた。里での儀式を含め、それが七日はかかるのだ。穢れは滝の水で身体を清めれば落ちる。人の世の醜い部分を見たり感じた心と身体を清めるのだ。清めれば、中身は神だ……怪我をしていようが、病にかかっていようが、神は神なのだ。よほど体調が悪くない限りは何でも行える。
「秀」
しゃがんで秀の頬を撫でると、ぷっくりとした頬が愛らしい。謡は嬉しさに笑顔を零す。征四郎に目をやると、親子そろったのが嬉しいのか笑顔だった。
「ごめんね、秀。父上と母は城で宴があるの。まだ邸には戻れないから、叔母上さまと一緒に戻ってくれる?」
謡は頬を撫でながら、秀の顔が曇るのを見ていた。こちらも胸が痛む。会いたい一心で城まで来たのに。 だが、秀が邸を抜け出すのは一度や二度ではない、それを言って聴かせるのも親の務めだ。謡の様に惨めな思いで育ったのもよくないと思うが、甘やかしもよくない。
「良いではないか」
後ろから声が掛かり、皆が振り向くと晴明がこちらへ歩いてくる。広間へと向かう途中なのだ。謡もすっと避けて、秀と征四郎の傍に座った。
「今日は宴だ。秀も見ていくといい、母がどんな歌を唄い、どんな舞を舞うのかを。そして、その神の力を受け継ぐのは、秀だ」
晴明は秀の目の前で腰を下ろし、秀の顎を掴んで目を逸らせないように言った。秀は唇を噛んで耐えている。
「しかし、殿。秀は子どもです。お凛に連れて帰るようにしますので」
征四郎はまだ早いとばかりに晴明に進言する。
「幼いから良いのだ。これからの自分がどう進むべきか、武家の子……まして、神の力を持った子ならば、早い内に決めなければならぬ。母がどんな思いで河野のために祈りを捧げているか知っておいた方が良い」
晴明はニヤリと笑った。秀の目つきが変わったのを見逃さなかった。
「殿さま!私は父のような武士で、母のような力で儀式をやりたいです!」
秀の言葉に征四郎と謡の方が驚く。二人で顔を見合わせた。こんなことを言ったのは初めてだ。秀自身、自分に他の者にはない力があるのは知っている。こんな幼いながらも……。
「秀、よう言った!よし、儂と一緒に宴に出るぞ!」
晴明は上機嫌で秀をひょいと抱きかかえ、大広間へと向かって歩き出した。抱いた時に揺れて胸に下げていた勾玉が跳ねた。
「殿さま、いいの?」
はしゃぐ甲高い声が響く。
「おう!今日は特別じゃ。儂の娘もいるから遊んでやってくれ」
「ええ?いつも、姫の遊びに付き合ってるのに!」
「あはは!そうか!」
晴明は笑いながら行ってしまう。晴明には秀と同じ年齢の娘がいる。いつも姫のままごと遊びなどに秀は付き合わされていた。後に残された謡と征四郎、お凛は呆気に取られたままだ。
「私は、じゃあ、手伝いでもしてくるわ」
お凛は秀の面倒を見なくてよくなったとあって、さっさと台所の方へと向かう。きっと、台所は忙しいに違いなかった。
謡と征四郎は目が合って、お互いにぷっと吹き出す。くすくすと笑いが止まらなかった。
「秀も考えているんだなあ」
征四郎が腕を組んで考え込む。先ほどの話だ。
「そうね。でも、秀は人の子でもあり、神の子でもある……。選ぶのはあの子次第だし、羽もあるから里に預けてもいいし……このまま武士の子として鍛錬をしていくのもいいのかもしれない。大神さまは、どちらでもいいと言ってるわ」
今朝まで謡は里で穢れを落としていた。そこで大神とも話していたことだった。静と藤も数年前に結ばれ、秀とは二つ年が離れた男の子が生まれた。その子は強大な神の力もあり、羽もある。さすがに烏間の純血の子だ。大神の話は分かるし、謡も気がかりだが、秀のことは迷いがある。秀は赤子の時に里に連れて行き、大神から勾玉を授かった。
人との混血でありながら羽もあり、力もあると判断され、いつでも神の一族として認めるというものだった。何色にでも染まることが出来る謡の透明な物とは違い、意思の強さと冷静さを表すような紺碧の色をした勾玉だった。
謡が神妙な顔をした。すると、征四郎は謡の肩にそっと腕を回して抱いた。
「そうだな、秀が選ぶことだ。俺たちは見守ってやることしかできない」
征四郎は謡の顔を覗き込む。しゃらんと冠が揺れた。驚いて目を見開く。
「それよりも……だ。腹のややは大事ないか?」
謡は嬉しそうに頷く。まだ分かったばかりで、腹は目立ちはしないが、謡の腹には子どもがいる。謡は大事そうに腹を撫でた。征四郎も謡の手に重ねて腹を撫でた。
「この子はどんな子で生まれてくるのだろうね……」
「大丈夫。人だろうが、神だろうが俺たちの子には変わりがないさ」
征四郎がにっこりと微笑む。自分もそう思うが、どちらが良いのかは分からない。武家の子だから人に近く生まれた方が良いのか、それとも神としての力を授かった方が良いのか。
「大丈夫、大丈夫」
考え込んだ謡に征四郎は不安にならないように声を掛ける。征四郎の「大丈夫」は絶対大丈夫だ。今までそうだった。
「うん、そうだね」
「そ!謡はその顔でいなきゃ」
征四郎が満足そうに腹から手を離して、今度は愛おしそうに頬を撫でた。化粧して美しい顔に触れたが、その表情は笑顔だった。
「さ、俺たちも宴に行くか。せっかくの謡の歌と舞だ、見なきゃ損だ」
征四郎は謡の手を引く。しかし、途中で立ち止まり、振り返った。
「でも!ちゃんと足元には気をつけろよ。お腹の子に触りがあったら大変だ」
あまりにも真剣な顔で言うので、謡は吹き出してしまった。秀がお腹にいた時も歌ったし、踊ったこともある。さすがに二人目だから分かっている。
しかし、征四郎の心配そうな顔を見ると、そんなことは言えない。謡は微笑みながら頷いた。
「今日の謡は綺麗だ。いつものことだけど、惚れ直すよ」
立ち止まり、謡に耳打ちをする。すると、謡はたちまち顔を赤くした。征四郎の褒め言葉には、なかなか慣れる気配はない。
「真っ赤じゃなくて、笑顔、笑顔」
からかいの混じった声に、謡は口を尖らせる。
「もう!征四郎どのが、そういうことを言うからでしょ!」
謡が反論すると、征四郎は大きな声で笑う。
「謡は、いつまで経っても慣れないんだなあ」
笑顔と言っている征四郎の方が楽しそうな笑顔を見せていて、釣られて謡も笑ってしまった。
「ま、そこが可愛いんだけどさ」
神としても成長し、妻となり、親にもなった。以前の謡には考えられないくらいに毎日が忙しく大変だが、これ以上ないほどの笑顔が溢れる。そして、その笑顔で征四郎だけでなく誰の心も癒し、謡の歌で幸せを感じてくれる。
人と神が共存していた時代のお話。しかし、いつの時代も笑顔は笑顔を呼ぶのだ。




