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神様の恋  作者: 橘 弓流
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決意

 里に戻ったその日から謡は毎日のように滝の前に行っては歌った。何も考えないように。

 ふとすると、征四郎のことを考えてしまう。何をしているんだろうか、かすり傷だったが具合はどうしただろうか……。袂に入れてある匂い袋を取り出しては眺め、仕舞っては眺める。そんな毎日だった。

「河野の風よ、水よ、木々よ、鳥よ……」

 そこまで歌った時に気が付く。ああ、あの太朗の邸で歌ったと……。その後に、征四郎が助けに来てくれて、抱きしめてくれて。

「う、う……」

 辛い思い出だが、征四郎と過ごした城下での出来事、城での会話……思い出すと涙が止まらなかった。こんなに毎日考えてしまう。どうすればいいのか。

 神と人は結ばれることは出来ない。分かっている、嫌というほどに!だが、想いが消えない。会えないと募るばかりの想い。何故、自分は神なのだろう。こんな半端な神ならば、いっそ人だったら征四郎と結ばれることもある可能性もあったかもしれないのに。


 謡は岩場でしゃがみ込み、嗚咽を堪えた。滝がごうごうと音を立てて流れ落ちる。ふと顔を上げると、流れで歪んではいるが泣いたみすぼらしい自分の顔が映る。どうして何も持っていないで生まれたのだろう。前世でよほど悪いことをしたのだろうか。皆のように羽も無く、力もほとんど無い。

 ちゃんとした神として生まれていたら、人に恋をすることもなかったのだろうか。

「本当に、人だったら良かったのに……」

 そう言って、気が付く。

 そうか!その手があったか。

 まだ、自分は諦めてはいけない。段々と笑えるようになってきたのは、征四郎のおかげだ。自分に少しずつでも自信が持てるようになったのは、まぎれもなく征四郎の影響だ。諦めちゃいけない、まだ、征四郎の傍に行ける方法がある。


 謡は涙を腕で強引に拭い、足場の悪い岩場を飛び跳ねながら大神宮へと向かった。林を抜け、滝の入り口にある門をくぐると里に暮らす神の子孫が田畑の手入れをしていた。同じ神でも烏間より力は劣る。それでも羽を持っているのが普通だ。ただ、自分が烏間の直系だということで敬っている者も多いだろう。

 謡は里を見渡す。少し先に行けば、皆が暮らす邸がある。更にその先が烏間の邸が立ち並び、その奥が大神宮だ。真っ直ぐ伸びた道を見据えると、自分が暮らしてきた世界がどれだけ小さなものか分かる。

 謡は歩みをゆっくりにして、里の風景を眺めた。行き交う者が頭を下げる。それは謡が姫だからに他ならない。だが、やがて子どもたちが遊んでいる里の邸が沢山ある場所に入った時だった。

「謡姫さま、こんにちは!」

 子どもが駆けてきて謡に話しかけた。すると、周りの子も釣られて集まってくる。こんな状況は初めてだった。もっとも、いつもは謡は足早に通り過ぎ、誰とも話すこともなかったのだが。

「今日もお歌を唄ったの?」

「ねえ、姫さまのお歌は綺麗で、この世のものとは思えないって母ちゃんが言ってたよ!」

「そうそう!うちの父ちゃんも、一度聴いたら忘れられない美しさだって」

 里の者はそんなことを子どもに言っているのか……そう思うと恥ずかしくなる。里の民の前で歌ったことなど、里を上げての大神事の時に数度くらいだ。それを憶えていてくれたのだ。

「姫さま、歌ってよ」

「ねえ、お歌を聴かせて」

 子どもにせがまれるなんて状況事態が初めてで、どう扱って良いのかも分からないが、これは歌を唄うまで帰させてくれなさそうだ。純粋そうな瞳がきらきらと輝き、期待している。それを裏切ることは、でき無さそうだった。

「じゃあ、少しだけね」

 そう言うと子どもは歓声を上げたが、やがて謡が歌おうとすると、ぴたりと静かになって謡を待った。それを見計らい、謡は大きく息を吸った。

「河野の風よ、水よ、木々よ、鳥よ」

 歌い始めると止まらなかった。疎まれていると思っていた里の……まあ、子どもだが、里の者たちにお願いをされるなんて無かったから、純粋に嬉しかった。それに、里の者に聴かせてあげられるのは最後になるかもしれない。そう思うと余計に力が入って歌い上げた。謡が目を閉じて歌い、それが終わって瞼を開けた時。

「きゃあ!すごい!」

「さすが姫さま!美しい声だ」

 周りには子どもだけではなく、年寄りから若い者まで大勢いて拍手と喝采を贈ってくれた。驚きで目を瞠る。まさか、こんなに集まっているとは……!

「やだ……!こんなに沢山」

 恥ずかしさに照れて顔を赤くする。

「姫さま、赤くなって!お可愛らしいこと」

 どこかからそんな声が聴こえて増々赤くなった。

「いやあ、良いものを聴かせてもらったよ」

 とても疎まれているとは考えられないような言葉で、恥ずかしいばかりだ。どうしていいか分からない。

「じゃ、私、用事があるからこれで」

 そう言って、大勢の輪から逃げ出すように大神宮へと向かう一本道を走った。後ろから「姫さま、ありがとう」と聴こえたが、振り返らなかった。これ以上、あそこにいたら、挙動不審になってしまう。

 ずっと、誰からも疎まれていると思ったのに。里の皆は気さくに話してくれた。嬉しいことだったが、複雑な思いだった。

 閉じて悲観的になっていたのは自分だったのか?そう思ってしまう。だが、実際、烏間ではそう言われ続けてきた。だが、皆が皆、一緒ではない……?そう思えてしまう。以前に征四郎に言われた言葉を思い出す。自分が疎まれていると言った時の言葉。

『そうじゃないって者もいるんじゃないのか』


 大神宮の前に着き、一息吐く。そして、大神に面会できるように取り次いでもらった。これからのことは、大神と自分だけで話したい。誰の意見も要らなかった。

 真っ直ぐ背を伸ばし、大神の待つ部屋へと向かう。今日はいつもとは違う部屋だった。大神の住まいの部屋だ。大神とその家族しか入れない。その子もある程度の年齢になると、大神宮から出て、烏間の邸の立ち並ぶ場所へと移る。謡も初めて入る場所だった。いつもの神殿の広間の横を通り過ぎ、奥へと入っていくと、中庭に面する部屋へと通された。

 そこには、すでに大神が座っており、いつもの大仰な装束ではなく簡素な装束でいた。こんな大神は見たことがない。初めてのことに驚いていると、大神は謡を座れと促した。謡も緊張しながらも大神の向かいに座った。

「どうした?急な用とは何だ」

 謡は尋ねられてもすぐに答えることが出来なかった。

これから口にすることは、本当は叔父や重臣の前で言わなければならない重要なこと。しかし、誰よりも先に大神に言わなければならないと思ったから来たというのに。

緊張で言葉が出ない。だが、大神は焦らせることもなく、謡の言葉を待った。すでに掌には汗がびっしょりだ。それでも息を吸い、言葉を絞り出す。

「大神さま、私を里から追放してください。そして、できれば神としての力も奪って欲しいのです」

 やっと出た言葉だった。大神は驚きもせず、謡をただ見据える。反応が読めない。謡は不安になりながらも、じっとその静けさに耐えた。


「それは人にして欲しいということじゃな?」

 謡は頷く。人になりたい。こんな半端な神として静に嫁ぎ、大神となった静を支えられるかどうか。それよりも、自分の欲なのだが、人として征四郎の傍へ行きたい。

「だが、儂も神の力を奪うことは出来ない。いくら大神でもだ」

 謡は言葉を失った。大神でもできないことがある……自分が神だから。こんな中途半端なのに、神という血が謡の願いに立ちはだかる。どうしようもなく、謡は唇を噛んで、俯いた。 

「里から出たいというのは、あの男……藤間征四郎のところへ行きたいのだな?」

 大神は、すでに見透かしていた。しかし、隠しても仕方ないので素直に頷く。

「こんな半端な私では静に嫁ぐことは、里にとっても不吉の種を残すようなこと……だと思います。私は、ただでさえ迷惑ばかりかけているのに。ずっと決まっていることだから、静の元へ行くことも仕方ないと思っていたけど、征四郎どのと出会って、気持ちが変わったんです。……あの人の傍にいたいと」

 謡は言い終えて、俯いていた顔を上げた。真っ直ぐ大神を見つめる。すると、大神は大きなため息を一つ吐いた。


「そうか……。静とのことは、謡が生まれた時にこれから不憫な思いを沢山するだろうと思って、時期大神の妻なら誰にも何も言う者もいないだろうという、孫娘への思いから決めたことだ。儂は大神だが、その前に謡の祖父だからな」

 大神さま……。そんな思いで静の婚約者になったとは知らなかった。孫への愛情からの決め事だったのかと、大神の優しさに胸が熱くなる。

「だが、里を出たとしてだ……あの男が謡を受け入れてくれる保証はあるのか?」

 謡は首を振った。何も約束すらしていない。気持ちを確かめてもいない。謡のただの独断で人になろうと決めたのだ。

「悪いが、先ほど言った通り、儂には謡の力を奪って人にしてやることは出来ない。神といえど神の力は生まれ持ったもの、誰も奪うことは出来ないのだよ。それに、謡には城の儀式を任せてある。それは今後も続けてもらうつもりだ」

「里を出ても儀式を行えと?そんなことが許されるのでしょうか。もう里の神ではないのに」

 謡は困った顔をした。それでも大神は話を続けた。

「たとえ里から出たとしても神は神だ。あの男が受け入れてくれなくても儀式の前には里に一度戻って穢れを落とし、儀式を行ってもらう。あの男の元へ行けなかったとしたらどうするつもりだ?」

「たとえ、そうだとしても里へは……戻れません。一人で暮らしていけるように、どこか仕えるところを探さなくてはならないでしょう。その覚悟はしました。儀式を行うならば、その時に穢れを落としに里へ戻ります。しかし、私が儀式を行っても良いのですか?」

 一度、里を出た身では、すでに里に戻る資格などないと思う。そんな都合良いことは甘えだと思っている。そこまでの覚悟はしている。

「謡は人との関わりを持った身だ、儀式を行うのには都合が良い……というのは、こちらの言い分だがな。しかし、姫である謡が働くなど……無理であろう。そんなことを言わず、何も考えず里へ戻って来なさい。ここは謡の故郷なんだから。誰にも何も言わせないように、儂の傍で仕えるといい」

 どこまでも甘い。それが、祖父としての優しさと甘さだと感じる。謡は頷いたが、戻るつもりは無かった。謡ははにかんだ笑顔で返す。


「あの男が受け入れたとして、だ。二人の間の子は、神の力を持って生まれてくるかもしれない。それに羽がある子だったらどうする?」

「それも……覚悟しています」

 最後は言葉に詰まった。そういうこともあり得るのだ。自分の幸せだけじゃなくて、もしかしたら生まれてくる子もそういう可能性もあるのだ。

「羽があったり、力の強い子ならば、儂に預けよ。神として育てても良い。人の血が混じろうとも烏間の子に違いは無いのだから」

 ありがたい申し出に頭が上がらない。大神はやはり広い心を持っておられる、そして許す心も、受け入れる心も。謡は小さく頷いた。

「つきましては、静の婚約は解消。代わりに藤を静のお嫁さんにしてあげてください」

 これが最終の願いだった。静には自分より優れ、美しい藤が似合っている。

「藤か……。ちょっと気が強いのが傷だが、冷静な目を持っておる。そうだな、藤が良いであろう」

 ほっと胸をなで下ろす。これで、自分の里での思い残しは無くなった。憂いなく里を出て行ける。

「他の重臣たちには儂から言っておく。面倒なことを言いかねない、急いで支度をして出て行くがいい。謡の側仕えの者たちはとりあえず儂が預かる」

 そう言って大神はそっと立ち上がった。そして、謡の目の前に座る。その威厳ある容姿に大神らしさを感じて目を瞠った。その時、大きな腕の中に納められる。

「大神さま?」

 こんなことは幼い頃以来だ。驚いて尋ねる。

「昔のように、おじじさまと最後に呼んでくれないか。謡が感じていなくとも、謡は儂にも里の皆にも愛されている存在なのだ、それを憶えておいて欲しい。先ほども里の皆の前で歌ったじゃないか。賑やかなので、ここで見ていたのだよ」

 皆が皆、そうじゃなかった……。ずっと叔父、重臣たち……皆が醜い、羽無しなど恥だと言われ続け、そうだと思っていた。しかし、大神は生まれた時から自分を認め、だからこそ静の婚約者にした。少しずつ周りが見えるようになってきたのは、征四郎と出会ってからだ。いつも自分を褒めてくれて、少しずつ自分を認めることが出来た。そして周りの優しさや自分を見る目に気が付かなかった閉じていた自分にも気が付かされた。それも征四郎のおかげ。

「おじじさま、ありがとう……ありがとうございます」

 そう言って、大神から離れた。振り返らずに大神宮を出た。

 自分の邸に戻り、仕える者たちに理由を告げると、涙する者もいた。今更ながら複雑な思いがする。

 その後、身の回りを片付けた。ほとんど何もない。だが育った邸……父と母の物もある。元々片付けていたので、そこに自分の物も一緒に納めた。一つの部屋に行李が並ぶ。薄暗く少し埃の臭いの混じったその部屋の戸をそっと閉めると、もう夕方になっていた。

 さっさと出なくては、夜になってしまう。その時だった……二つの足音が聴こえた。


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