別れ
目が覚めた時には昼だった。
謡は少しだけ食事に手を付け、着替えた後、晴明、静、征四郎、そして重臣たちが待つ大広間へ向かった。謡だけではなく、皆も少しは休んだようだったが、顔色を見ると、あまり体調が良くないように思われた。それは、謡のために駆け回ってくれたからで、その疲れの原因が自分かと思うと心が痛む。
だが、誰も謡を咎めない。それが余計に辛い。確かに攫われた身だが、迷惑をかけたことに違いはないのに。
「うたどの、無事で何よりだった」
晴明は謡に声を掛けた。
「皆のおかげです。本当にありがとうございました」
すると、晴明は困ったような顔をした。唇を噛み、頭を下げた。
「すまない、儂の身近な部下がこんなことをするとは……。それを見抜けなかったのは儂の力不足ゆえだ。怖い思いをさせてしまった、本当にすまない」
晴明の声には悔しさが滲んでいた。征四郎もそれを聴きながら苦い表情を浮かべた。
「いいえ、私も油断したのもあります。晴明さま、謝らないでください」
確かに油断した。太朗の入れた薬に気が付かないほどに酔い、しかも誰もいなくなった時に狙われた。
「これに懲りず、また来てくれると嬉しい。城での神事はうたどのに任せたいと思っている」
また私に……?私を必要としてくれる?
そんなに力のない自分に言ってくれた言葉。
「私で……よろしいのですか?」
「ああ、今回の神事は見事だった。太朗のことがなければ良かったのだが……。しかし、うたどのが嫌でなければの話だ」
確かに怖かったが、自分の力を必要としてくれるのは話が別だ。謡は嬉しさで笑みを零した。
「ありがとうございます!これからも心して務めさせていただきます」
嬉しそうに言うと、周りの人がこちらを見て息を飲む。何だか分からなくて首を傾げたが、誰も何も言わなかった。
謡と静は一日早いが里へ戻ることとなった。あんなことがあったので早く里で養生した方が良いということだ。
最後に静と共に城内の社で儀式を行い、社の戸を閉めた。やはり、一人で儀式を行うのと、静がいるのとでは安心感が違う。だが、次回は全て一人で行わなければならない。またしても、自分の不甲斐なさを感じた。
その後、静と謡はそれぞれの輿に乗り、里の元にある神社へと向かう。来るときに見た城下は、同じく人々が行き交い、人々の生命の力を感じた。だが、どきどきとした気持ちは無かった。一日早く里に戻るのもある、儀式は終わらせることが出来ても、ちゃんと最後まで何事もなく過ごすことが出来なかった。一番は皆に迷惑をかけたこと。重い気持ちは消えることは無かった。
神社に着くと、輿に同行していた者たちが膝を付き、頭を下げた。そして神社の宮司や巫女たちも出迎えた。輿を降りると、征四郎が立っていた。
「そんな顔をするな。謡は何も悪いことはしていない。だから、安心して里に戻ってくれよ」
誰にも聴こえないように、こっそりと話す。
「ありがとう……私は平気」
少し背の高い征四郎を見上げる。しばらく会えない……。そう思うと胸が熱くなる。泣いてしまわないように唇を噛んだ。
「これで最後じゃない。また会えるから」
謡の気持ちを察したのか、それとも自分の心に言い聞かせているのか、謡の思っていることを言ってくれた。
「うん、うん……。分かってる」
限界だった。色々なことが混ざり合い、涙が溢れた。
「泣くなよ。別れたくなくなる……。でも、謡は神だ。俺のようなただの人じゃない。里に戻って、また城に来てくれ」
征四郎はそっと謡の頬に伝う涙を指で拭った。小声で話しているので周りには聴こえていないが、二人の様子は皆が見ていた。恥ずかしいという思いはなかった。
こんな中途半端な状態で里に戻る戸惑い、そして、征四郎にしばらく会えなくなるという現実。想ってはいけない人だけど、まだ心の底から諦めるという踏ん切りがつかない。せめて里に戻るまでは人と関わっていた、征四郎と関わっていた……そんな夢のような時に浸っていたい。
「ほら、笑え。謡の笑顔を見たい。な?そんな泣きながら里へ戻るな。笑えよ」
征四郎は涙を拭っていた手を離し、今度は両手で顔を挟んで上を向かせる。ぱっと視界が開けて、征四郎の微笑んだ顔が目に飛び込む。
「な?笑って」
その言葉に謡は頷いた。声を出したら涙声になってしまう。そして、どこかぎこちない笑顔を作ると、征四郎は満足そうに頷いた。
「友……だろう?大丈夫だ」
征四郎は謡と同じく首から下げた勾玉と、揃いの匂い袋を謡にちらりと見せる。友の証としてお互いに持っている物。
「じゃ、またな!」
そう言って、謡の背中をバン!と押した。思わず飛出し、静に抱き留められた。分かっていて背中を押したのだ。別れは後腐れがないように……。
「里に戻るか」
静が謡の背中を支え、拝殿奥の山へと向かって歩き出した。静に腕を回されているので振り返ることは出来ない。山へと差し掛かった時、征四郎の声が聴こえた気がした。家臣に城へ戻ると命じているのだろう。どうしようもない想いで涙が止まらなかった。しかし、静は何も言わなかった。
里へ戻ると、それはそれは……もう、大騒ぎだった。門番が二人を見つけると、大神の元へ知らせるために走った。これから二人は……特に勝手な振る舞いをした静は咎めを受けることになるのだろう。
「静……」
心配で静を見上げると、すでに面を外した静は何事も無かったように頷いただけだった。もう少しで夕方になる。陽は傾き、山の風は冷たさを感じた。塀に囲まれた烏間の屋敷の横を通り抜け、まずは大神宮へ向かう。通り掛かる者は皆、事情を知っている話らしく驚きの表情だった。そして……。
「二人とも、おかえりなさい。静、珍しく勝手なことをしたのね」
大神宮の入り口の横の柱の横にいたのは藤だった。
「ああ、何と言われようが構わない」
静は相手にせずに言い放つ。藤は悔しいのか、美しい顔を歪ませた。しかし、その矛先は隣りにいる謡に向かった。
「謡、貴女はどれだけ静に迷惑をかけるの?」
藤の言葉に謡は言い返す言葉も無かった。俯いて肩を落とす。いつも藤の言葉は正論で間違いないことを言う。その通りだ。
「うん、その通りだね……」
謡の掠れた言葉に静が背中を押した。これ以上、藤と話していては何も進まない。大神に事実を告げるのが先だ。静は謡の背中を押して中へ入れと促す。ちらりと静は藤の顔を見ると、藤はびくりと肩を揺らした。
「謡に対しては言い過ぎだ。これから大神さまにご報告申し上げる。藤も来るといい。何も知らないのだから、そんなことが言えるのだ」
三人は大神の元へ向かった。
大神の元は全てが大神の気が満ちている……相変わらずの厳かな雰囲気。
叔父たちや重臣も急きょ集まって、静の暴挙の理由を訊くことになった。いつもの静なら、こんなことはしない。大神に告げ、許しを得てから動く。それくらい山を下り、人のいる場所へ向かうということは無茶な行動だった。次期大神が顔でも見られたら、大変なことになる。ちゃんと許可が必要なことだった。
静と謡は遭ったことを話した。何一つ隠さず。それを黙って皆が聴いた。
「何よりも神の力を悪事に使われなかっただけ良しとするしかない」
叔父がぼそりと呟いた。
「今回のことは仕方がない。謡も無事に儀式を行えたことだ、そして、静は無事に謡を連れ帰ってくれた。それを考慮すると、勝手に山を下りたことは不問にする」
大神の言葉に誰も異議は出なかった。
重い雰囲気のまま大神宮を出た所で、後ろから追いかけてきた藤に声を掛けられた。静と謡は振り返る。
「わ、悪かったわ。さっきは、ひどいことを言って」
謡が首を横に振った。もういい、謝ってもらう必要なんてない。
「藤、私もきつく言い過ぎた。すまない。謡の邸まで送って、私も自分の邸に戻る。暗くなってきた……藤も早く自分のところへ戻れ」
静の言葉に藤も頷き、足早に去っていった。その後ろ姿さえも美しい。自分も藤のようだったら、征四郎に引き留めてもらえたのだろうか。ふと、そんな考えが浮かぶ。
いや、気持ちは一緒だと思う……しっかりと確かめてはいないけれど。しかし、もう友なのだから、そんな考えは良くないと静に気付かれないように否定した。
「早く休めよ。おやすみ」
静はそう言って謡を邸まで届けて、自分の邸へと戻って行った。静は邸に仕える者に事情を話し、謡に何も気遣わせないようにして帰った。湯殿で汗を流し、着替えてから空を見上げると、月が出ていた。今日は星が月明かりでよく見えない。
「この月を見ているかな」
誰もいないが、自然と口から出た言葉だった。征四郎も見上げているだろうか。空は、すぐそこにある近くて遠い城下まで繋がっている。気が付けば、征四郎のことばかり考えてしまう。駄目だと分かっているのに……。
少しして里のもたらされた話としては、太朗は出家、太朗の父は河野国を裏切ったとして切腹。朽木家は取り潰された。神を信仰している河野国でも少なからず寺はあり、そこで太朗は出家したのだ。謡は太朗が生きていることに安堵した。自分にあんなことをした人だが、父に逆らえなかったこと、それに何よりもそれまでの優しい人柄が関わった者として生きていて欲しいと思っていた。
だが、気分は晴れない。それは、征四郎のことを考えていたからだった。




