謡の居場所
闇は深くなり、謡は出された食事を取らずに、白小袖を着たまま部屋の隅に座っていた。腹は空いていたが、また薬や毒が仕込まれているかもしれない……そう思うと何も食べる気はしなかった。食事どころじゃない。
征四郎どのは心配してくれているだろうか……。何も言わずにいなくなってしまって、皆に迷惑をかけてしまった。謡は勾玉を握りしめる。これも取られずに済んだ。父、母そして自分の勾玉。自分が作った物は簡単な勾玉だが、征四郎も同じ澄んだ勾玉を持っているはずだ。出会い、そして惹かれていくまでを思い出す。自分に持っていて欲しいと渡された匂い袋……。それも取り出して掌に載せると、良い香りがした。征四郎と同じ香り。
「征四郎どの……」
会いたい。握って目を閉じる。
いつもの笑顔が思い浮かんだ。自分を笑顔にしてくれるのも征四郎だった。想ってはいけない……けれど、この時ばかりは征四郎の顔がちらつく。
辺りは静かだった。あれから一度も太朗は顔を出さなかった。本気なのだろうか、自分を妻にするということ。あれほど仲が良さそうだったのに、征四郎を裏切ること、謀反を企んでいること。考えても太朗の頭の中までは読めない。もしこれが他の神ならば触れたら読めるのに……。それも出来ない出来損ないの神。
「河野の風よ、水よ、木々よ、鳥よ……」
謡は気を紛らわせるように歌い始めた。静かな邸に謡の高い声が響く。他の部屋にも聴こえているだろうが、誰も咎めないので歌い続けた。
征四郎と静は晴明の元へ向かい、対面した。
「すまない、しずか様。うた姫どのがこんなことになってしまって……」
知らせるなと言われつつも静を連れて来たので、晴明は深く謝った。征四郎はキッと睨まれたが、素知らぬ顔をしていた。
「いや、起こってしまったことを気に病むことはない。うたに隙があったのだろうし、それを行った人物の方が卑劣だ」
静は淡々と話した。
「本当に……どこに消えてしまったのか……。皆目見当もつかない」
晴明は腕を組み、首をひねる。
「この御殿付近にはいないようだ。うたがいた気配を感じるが、薄れてきている。強い気配は城内の社の方からで、多分、うたの気を注いだせいだろう。そうすると、他の場所を探した方が良い」
「いないのか……。一応、国境の警備を強化しているが、そのような報告も入っていないということは、この城下の辺りを探した方が良さそうだな。まだ、近くにいるのかもしれない」
どこに……。征四郎は何も出来ない悔しさから俯いて唇を噛んだ。
「ここに到着するまで少し気配を探ったが、全く気配がしない」
静は言ったが……すぐに、辺りを見回して晴明、征四郎の他に誰もいないか気配を探る。部屋の外にも気を張り巡らせ、本当に誰もいないかを確認すると、すっと息を吸った。
「誰もいないようだから言うが、ここに来るまでに変な感じのする場所が一か所だけあった……。どうも神除けを施している屋敷のようだ。神の加護を城主自らが必要として、民も信仰しているのにだ……おかしいと思わないか?」
二人とも怪訝な顔をした。
「神除け……?神が守護する河野にそんなヤツいるのか」
征四郎が零す。
「神除けをしているのなら、そこには神は入れないだろう?それでは、いないということにはならないのか?」
もっともな事を晴明が尋ねた。それはそうだ、神除けを施した場所に神は入れないだろう。そこに謡がいるはずではないと考えた。
「いや、だが……神除けをしていたとしても、神を屋敷内に入れてしまった後に、神除けをすれば、神を閉じ込めることが出来る。そして、他の神も入れないということだ。まあ、それは邪教な呪術に手を染めているということだが」
静の言葉に二人とも黙り込む。
「他の神なら分からないだろうが、私を連れて来て正解だったな。神除けなど烏間でも一部の神しか感じられないだろう」
静は征四郎を見て頷いた。
「仕方ないだろう、しずかしか頼めるヤツがいなかったんだから。しかし……それは……そこに、うたがいる可能性が高いということか」
征四郎が腕を組む。
「そこを探ってみた方が良さそうだな。征四郎、探ってみてくれ。それと、確信を得次第、ある程度の兵を入れるか……。それで、場所はどこなんだ?」
晴明は静に問うが、静はあまり良い顔をしなかった。少し考えると、口を開いた。
「武家屋敷が並んでいるところだ」
「家臣の中にいるということか!」
晴明は衝撃を隠せずに大きな声を出した。仲間の中に謡を攫った奴がいる。そう考えたくはないが、事実は覆らない。征四郎と静は晴明の元から捜索に向かった。武家屋敷が立ち並ぶ中には征四郎の屋敷もある。この中の誰が……。仲間の中にそんな者がいるのも辛いが、そんな者を出してしまったことも辛い。
月明かりの中、静が感じた神除けの屋敷に向かう。ここは……!
「ここか……?本当にここか?」
信じられない場所だった。唖然として立ち尽くす。
「ああ、ここだ。ここは、私も知っている気配がする屋敷だな。朽木太朗……の屋敷で間違いないな?」
征四郎は黙って頷く。まさか……そんな……。幼い頃から仲が良かった。ずっと腐れ縁だと笑っていながら武芸や勉学に励み、戦場も共にした仲間。一番信頼していたのに、何故……。
「驚いている場合ではないだろう。事実を受け止めろ。私は晴明に応援を頼んでくる。さすがに二人だけじゃ分が悪い。その間に征四郎は神除けの護符を探せ。残念ながら、私にはその護符を探すことも触ることも出来ない。そして、それを破り捨てろ。それは征四郎にしか出来ないことだ」
静の言葉に我に返る。そうだ、謡を助け出さねばならない。何故、謡を攫ったのかは分からないが、里に帰してやりたい気持ちは変わらない。その時だった。
「謡の歌が聴こえる……」
それは征四郎の耳にだけ聴こえていた。懐から揃いの勾玉を取り出して握りしめた。ここにいる気がする。
「征四郎が人だからだろう。神除けしてあるので私には聴こえない。これで間違いないようだな」
神事で歌った歌とは違う。滝の傍で歌っていた歌だ。高い声が鈴のようで心地良い。
「頼んだぞ」
そう言って静は素早く晴明の元へ戻って行った。まだ、謡の歌が聴こえる。それだけが心の支えだった。まさか同僚の屋敷に押し入ることになるとは。動揺を抑えているのは、聴こえる謡の声だけだ。征四郎は屋敷を取り囲む塀をぐるりと回る。
すると、表の閉じられた門の隅に見たこともないような護符らしき物を見つけた。
「これか?」
征四郎は手を伸ばし、護符を剥がした。手に取ると、不思議な文字と絵の中に「烏間謡」と書いてあった。やはり……胸がドキっとした。太朗が邪教に手を染めていることを確信した瞬間だった。信じられないが目の前の護符は謡の名が書いてある。
唇を噛みしめ苦い顔をして、びりっと破く。ばらばらにすると、それは手の中から風に乗って征四郎の掌から離れていった。そして、目の前ですっと消えていく。紙が消えるなんて……不思議な光景だった。呪術ゆえの消え方なのだろうか。
だが、それどころではない。一人では乗り込んでも静が言うように分が悪い。早く来てくれ!征四郎は静を待った。早く事実を知りたい。太朗が何を考えているのかを……。
征四郎は月を見上げた。




