恋の行方
そして、それほど時を経たずして城主の高科晴明に会うことになった。晴明のいる大広間へと案内された。廊には明かりが灯され、薄暗いが城の規模が大きいというのが分かる。少し離れた場所には立派な天守がそびえ立つ。見たことも無い大きな建物。大神宮もそれなりに立派だが、大きさはこの城はけた違いだった。
「ああ、そなたが、うた姫どのか!幼い頃に会ったきりだが、随分と美しくなって」
謡は晴明の向かいに座り、礼をして顔を上げた。
「お久しぶりでございます、晴明さまもご立派になられて……。またお会いできたことを嬉しく思います」
晴明はにっこりと微笑んだ。両脇に征四郎、太朗がいた。
征四郎は昼間とは違い、引き締まった表情をしていて、迎えに来た時と同じような……どこか別人のような感じがした。ちらりと目を向けると、征四郎は目を逸らした。晴明と話していても征四郎が離れた感じがして胸が痛んだ。
どこか、うわの空だったと思う、晴明の話に合わせていても、頭の中を素通りして何を話しているのか分からない。城下で言いかけた征四郎の言葉の先には何があったのだろう。いや、でも、それを知ったからどうすることも出来ない。忘れると決めたはずなのに、頭から離れない。自分の気持ちを認めてはいけないと分かっているからこそ、征四郎のことは何でもなかったと聞きたい。自分だけの思い込みだと……。
「里から出るのは初めてだから疲れただろう。今宵はゆっくり休むといい」
晴明と少しの歓談の後、そう言われて、先に晴明が退室していく。それと共に征四郎と太朗が立ち上がり、一緒に退室しようとしていた。謡も退室しようと、お凛と共に退室しようとした。ふと、廊の向うに目をやると、謡が滞在する部屋とは別の方向に歩く三人が見えた。
「あ!姫さま!」
お凛の声が後ろから聴こえた。その時には既に謡は走り出していた。
駄目だ、征四郎と話しがしたい。このまま明日を迎えるなんて出来ない。こんな気持ちで、ゆっくりと休めるはずもないのだ。謡の足音に気付いて、三人は足を止めた。
「どうなされました、姫さま」
征四郎がかしこまった物言いで、不思議そうな顔をする。眉を寄せ、明らかに困っているような顔だ。謡は足を止めると、三人を見据えた。
「あ、あの……征四郎どのにお話があって……」
何となく察したのか、晴明と太朗は微笑んだ。
「先に行っている。姫が困っているようだ、征四郎、助けてあげなさい」
晴明は特に謡の話を訊くわけでもなく、征四郎に任せて太朗と去っていった。気を遣われたのは、鈍い謡でも分かった。後ろからお凛が追ってきたが、二人の様子を見て何も言わず同じく下がった。
「謡どの……」
困ったような顔をして、近くの使っていない部屋に連れ込んだ。月も出てきたので、部屋に灯りがなくともお互いの顔が分かる。ぴしゃりと閉めた障子から月明かりが二人を照らす。
「謡どの、昼間の疲れが出たのだろう?どこか様子がおかしかった。早く休んで、明日に備えないと。ほら、俺が部屋まで送るから」
一旦、落ち着いたように見えた謡を部屋に戻そうと、征四郎は戸に手を掛けた。謡は迷わず、征四郎の手を掴んで止めた。
「待って。私……あの城下で……征四郎どのが言いかけた事が気になって……」
なかなか言葉が出てこない。いざ知ろうとしても怖い。少し震えていただろうか、動揺が伝わらないように征四郎の手をゆっくりと離した。征四郎も障子に手を掛けて出て行こうとしていたが、話し始めた謡に身体を向けた。
「どうしたんだ?謡どの……様子がおかしい。疲れているんだろう?すまない、俺が連れまわしたから」
答えになっていない。明らかに誤魔化そうとしている。
「何で言ってくれないの?征四郎どの、私……」
そこまで言いかけて征四郎の人差し指が謡の唇を押さえた。驚いて目を瞠る。
「しぃっ!」
それ以上は何も言わせないとばかりに、謡が無理やり黙らされる。
「言っちゃ駄目だ。言ってしまったら自分の気持ちを認めてしまうことになる。どうしようもないこともあるんだ、謡どのも分かっているんだろう?」
俯いてしまった。その通りだ。知りたいけど、知ってしまったら、どうしようもなくなる。
「ほら、俺も調子に乗り過ぎて余計なことまで話してしまったのは悪いと思ってる。謡どのに、こんな中途半端な気持ちにさせたことも……。でも、言ってしまったら、俺……止まらなくなる」
征四郎を見上げると、苦しげな表情をしていた。言わんとしていることは謡にも理解できた。自分を想って言ってくれている言葉。やがて静に嫁がなくてはならない謡に期待させたことも詫びていた。
「征四郎どのが言いたかったことって、私に対する気持ち?それは私と同じ想いだと思ってもいいの?」
自然と口を出ていた。縋るように征四郎を見つめると、苦しげな表情を更に苦しそうにしていた。眉を寄せ、唇を噛んでいる。
「俺は何も言わない。悪い、ごめん……もういいだろう?部屋に戻ろう」
あくまで本音は言わないつもりだ。謡は諦めて素直に頷いた。だが、一向に征四郎は戸を開けなかった。何かあったのかと顔を上げると、征四郎が謡に一歩ずつ近づいてきた。何も言わない。
静かな瞬間だった。
征四郎の真剣な眼差しが謡に刺さるようだった。その時、征四郎の両腕が謡に伸びる。
「謡どの……、謡っ……」
息が止まるかと思った。呼び捨てにされ、力強い腕に抱きすくめられた。
頬が征四郎の胸に押し当てられ、高鳴った鼓動が謡の耳に届く。征四郎の顔が耳元にあり、吐息が髪に掛かって否応なしに全身が火照るのを感じた。
「征四郎どの……」
愛おしい腕の中。静とは違う満ち足りた気持ちが胸を満たしていく。安心できるというより、嬉しさと愛おしさの方が勝って、謡もそっと腕を征四郎の背に回した。
「ごめん、これで終わりにするから……お互いのためにも良くない。謡はしずかどのの妻になる、やがて、時が経てば俺とのことは笑い話で懐かしいとでも思ってくれれば嬉しいよ」
諦めろ、そう言われている。征四郎の紡ぎだす言葉が苦しくて、自然と涙が頬を伝った。
「ん……分かってる……」
掠れた声で返事をした。しゃくり上げそうになるのを必死で堪える。
「俺は人で、謡は神だ。違う存在で違う世に生きなくてはならない。分かっていながら、俺は謡に惹かれた。でも、この気持ちは、お互いに終わりにしよう」
惹かれた……?今、惹かれたと言った?その言葉だけで十分だった。征四郎は自分を想っていて、自分も征四郎を想っているのを知っていてくれている。私を想ってくれている、それが分かったから十分。謡は腕の中で小さく頷いた。結ばれることはないけれど、気持ちを知ることができた。
「これからは友として接していこう。友の証として、謡は俺に勾玉を、俺は謡に匂い袋を……それぞれ揃いの物を持っている……ということにしよう?」
頷くと征四郎はそっと謡を抱く手を緩めた。謡も背中に回した手が離れる。力なく謡の腕は垂れ下がったままだった。
「こんな顔をさせたかったわけじゃない。ごめん、俺が悪い」
征四郎は頬に伝った涙を人差し指で拭った。ごつごつした指が、また愛おしく感じる。そう思うと、余計に涙が溢れ、征四郎はまた拭った。
「謡、こんな時に言うことじゃないけど、笑っていて欲しい。謡の笑顔は可愛い。きっと誰にも負けない笑顔だ。今まで辛い思いをしてきた謡だからこそ、笑った時は皆を幸せな気持ちにさせてくれる。だから、いつも笑っていてくれ」
もう言葉が出なかった。謡は頷くしかできない。気が付いた時には始まりもなく終わった想い……何もなかった、そう考えるしかない。
「さ、お凛も心配しているし、こんなところに二人でいたら怪しまれる。謡に変な噂でも立ったら、それこそ俺は何て詫びていいか分からない。戻ろう」
征四郎に促されるまま部屋へ戻った。薄暗い廊を征四郎の後に着いて戻ると、お凛が心配そうに部屋の中をうろうろしていた。
「姫さま!」
さっと駆け寄ると、謡の背中に腕を回して支えた。
「兄上!姫さまに何をしたのです!」
お凛が征四郎をキッと睨んだが、征四郎はそのまま何も言い返さなかった。
「征四郎どのは何もしていないわ。私の悩み事を聴いてくれただけよ」
謡がお凛に言い訳をすると、お凛も言い返せなくなって、ただ謡の背中を擦った。泣いた跡が残り、落ち着かない様子だったのは誰の目にも明らかだった。征四郎は謡を見ないようにしていた。
「姫は疲れているようだ、悪いが、お凛、後は頼む」
征四郎はそう言い残すと、足早に自分の持ち場へ戻って行った。やがて足音が聴こえなくなると、謡はその場に座り込んだ。
「姫さま!どうなされましたか!」
お凛が背中を擦り、落ち着かせようとする。
「誰か!姫さまに床の用意を!」
何人かの侍女が隣りの部屋に床を用意し、心配そうにこちらを見ているのが分かった。視線が痛いくらいに刺さる。動揺していても、それくらいは感じた。
「姫さまは、初めて里から出られたので疲れたのだ。少し体調も悪いようだから、冷やす水の用意をしてから下がれ」
てきぱきと指示を出し、侍女たちが去った後、お凛はゆっくりと背中から手を離した。
「兄と何があったのかはお聞きいたしません。でも、姫さまがお辛いのでしたら、このお凛にお話くださいませ」
お凛の顔を見ると、優しそうに微笑んでいた。この人になら話しても良いのだろうか。そんなことは甘えだ、という考えも浮かぶ。静以外頼ってこなかったので、ためらってしまう。辛い時も悲しい時も一人で乗り越えてきたのに、甘い言葉に心が揺らぐ。
「誰にも口外いたしませんので、ご安心を」
そう言われると謡の心は、解けていく。夕刻に征四郎とのことを話したばかりなので、自然と口に出していた。そうなると、もう止まらなかった。
「そうですか……。私のせいでもありますね。姫さまには申し訳ありませんでした。姫さまのお気持ちを乱すようなことをしてしまった」
お凛は両手を揃えて頭を下げた。
「いいの、顔を上げて、お凛どの。いずれ気が付くことだった。同じ気持ちで征四郎どのがいてくれただけでも嬉しいし、今日の城下見物はお凛どのの助けもあって、良い思い出になった……。私には十分よ」
腫れた目で微笑むと、顔を上げたお凛の顔は歪んでいた。お凛に伝えたのは余計なことだったかもしれない。お凛はきっと自分自身を責めることだろう、可哀想なことをしてしまった。
「姫さま……本当に申し訳ありません」
「いいの。気にしないで。さあ、もうこの話は終わりにしましょう」
お凛に聴いてもらったことで少し気持ちが軽くなった気がする。謡は笑顔を向けると、お凛もはにかんだ笑顔を見せてくれた。
「姫さま、お着替えのお手伝いをいたします。それと、明日、目が腫れていないように冷やしましょう」
お凛に促され、謡は寝る支度を始めた。床に入り、水に浸して固く絞った手拭で目を冷やす。目を閉じていると、今日の一日の怒涛のような出来事が嘘のようだった。静けさと暗闇の中、いつしか謡は眠りに落ちた。




