#6 連鎖する悪意
「おい」
遠くで、そんな声が聞こえた。外壁の外側からだった。誰も、それに返事をしない。
「何者だ?」
続けてそう聞かれるが、やはり返事はない。
「聞こえているのか!」
声は、しだいにボリュームが上がっていく。
「止まれ!!」
怒鳴り声。
V‐216の両耳と鼻がぴくりと反応して、その体が門扉の方を向き直る。
「きさま――!」
続けざまに聞こえる怒号と乾いた発砲音の直後に、なにかが爆発するような音とともに硝煙があがった。もうそれ以上、怒鳴り声は聞こえなかった。
わずかに間を置いて、V-216の目が細まる。
「門兵! 応答しろ!」
返事はない。
代わりに聞こえてきたのは、重いものを石畳の上で引きずるような音。しばらくして、どさりと放り投げられる音のあとにそれは途切れた。
何事もないみたいにいまでも施設内から機械音が漏れ出しているというのに、空間に静寂が訪れたかのよう。
こつ。
こつ。
こつ。
ふしぎと気を引かれる音があった。
V-216は、耳が張るより先に、ばっと背後を振り返って音のする方を向いた。掌からコンブの巨躯が落っこちて、その拍子に身体が縮み、ぼろぼろの茶ねずみが姿を現した。
門扉をゆっくりと開き、ひとりの男が敷地に入ってくる。武器も、防具もない。服には、ほこりひとつ被さっていない。
「撃て!」
篝火の庭の施設側から駆けつけてきた数人の門兵がその男を見たとき、全員が血相を変え、ひとりがそう叫んだ。
四つの銃声が、ほとんど同時に重なる。
男は避けなかった。避けたのは、弾の方だ。
不自然に軌道が逸れ、音を置き去りにして背後の外壁へと着弾した。
その左頬には、ロイと同じ焼き潰しの痕が同じ場所にある。
『おぬし……』
コンブがどうにか頭を持ち上げると、その視線が男のものと絡み合った。
「やはり、見つかってしまったか」
V-216の喉から、低い唸り声が漏れる。鋭い犬歯をむき出しにしながら、その隙間から白い吐息を溢れさせた。
「アウレリオ……」
「久しぶりに、すこし暇ができたものでね。ここの奴隷も解放させてもらおうか」
アウレリオの足もとに、光の円環が編み上げられる。脈打つ紋様は複雑に絡み合い、魔法陣を描き上げた。
「まずはそこの少年とねずみを放すんだ」
「馬鹿言え――それどころか奴隷がひとり増えるだけだ」
V-216は残影を残し突進した。姿勢は徐々に低くなり、アウレリオの懐に到達したときには、頭と地面に高低差があるようには感じられなかった。
狙いは鳩尾。
一般人であれば反応することすらままならない速度の掌底を前にしても、アウレリオは避けない。
アウレリオの足元、魔法陣が半回転した。円環の一部が強く明滅し、厚い岩石の板となって地面から立ち上がる。
そこへ掌底が衝突した瞬間、重く鈍い衝撃波とともに岩石は砕けたが、打撃はアウレリオに届くことなく止まった。
篝火が大きく傾く。が、アウレリオの身体はわずかにもブレなかった。
『こりゃあ……』
また、魔法陣が廻る。
アウレリオはV-216に向け、掌をかざした。次の瞬間、空間が激しく揺さぶられた。突如吹き荒れた突風に、V-216は石畳へ叩き伏せられる。肘を立てて起き上がろうとするが、より圧を増し地面が陥没するほどの風に、押しつぶされた。
『――“魔術”じゃ』
コンブは、目の前で起こっている事象がなんなのかを正確に理解した。
これは、自然の風ではないと。
「ぐ……!」
アウレリオの足元で、魔法陣がゆっくりと回転していた。
当の本人は、その場から一歩も動かない。倒れたV-216を見下ろす顔にも、勝ち誇る色はなかった。
「なんだ、コイツは」
アウレリオは、V-216の三角の耳と、首を覆う白い毛を見て、困惑の混じる声でそう言う。
「いったい何なんだ? この街は」
「八年もこの街で正義を気取っている割には、何も知らないんだな」
V-216がアウレリオを睨み上げる。
「いままで貴様が関わってきたものはすべて、真実の末端にすぎん」
アウレリオは、なにも返さない。
「貴様の無知は、八年間の無力の証明だよ」
魔法陣の角速度が速まり、その力は石畳へと働きかける。
V-216の首を両脇から挟むように左右が盛り上がり、その隙間が、ゆっくりと狭まっていく。
そこで初めて、V-216から完全に笑みが消えた。
「待――」
鈍い音がした。
隆起した岩石が閉じ、V-216の首から上を捩じ切った。
余った身体は、それきり動かない。
「無駄じゃないさ。奴隷をこきつかうような“悪”は、何人も裁いてきた。いつかこの街から犯罪を消し去るそのときまでの俺の行動と存在は、決して無駄なんかにはならない」
アウレリオは、V-216の亡骸の横を抜け、施設の奥を目指し歩き出した。
◇◆◇
第六処理場が落ちるまで、ニ十分とかからなかった。
もっとも、そのほとんどをロイは見ていない。崩れかけた資材庫の陰に身をひそめ、麻酔の残る身体を冷たい壁へ預けながら、施設からの轟音を浴びていた。
泥まみれの奴隷たちが、施設の奥から絶えず溢れてくる。
我先にと出口を目指す者。泣きながら誰かの名前を呼び回る者。
誰も、ロイには興味を示さなかった。それは、ロイからしても同じだが。
コンブは、ロイの膝の上でぐったりと寝そべっている。背中が、せわしなく上下している。
「ねえ、コンブ」
『なんじゃ』
「あのアウレリオとかいう奴の首、この街じゃ五百万ドルらしいよ」
コンブは、呼息のついでに苦笑する。
『安いな』
「あいつ、殺そうと思う」
さらりと当たり前みたいに、ロイは口にする。
コンブがその意味を理解するまでに、数秒のラグが発生するほどに。
『……は?』
聴き間違いを疑っているのか、冗談として受け取るべきか迷っているのか。小さな黒い目が、泳いでいた。
『……なぜじゃ。あやつは、おぬしを助けたんじゃぞ。……分かっとるんか』
「頼んでないよ」
『あやつが来んかったら、わしもおぬしも死んどったぞ』
「かもね」
その軽さは、コンブの知るロイと妙にずれていて、調子を狂わされる。
『……わしは、手伝わんぞ。あやつには感謝しとる』
「分かった。じゃあ僕がやるよ」
そこで初めてコンブが顔を上げた。視界に映ったロイの顔には笑みが薄くぺったりと貼られていた。
ロイは膝の上のコンブを拾い上げて地面に置くと、麻酔のせいか重そうな腰を持ち上げて、施設の奥へとつま先を向ける。
コンブは、離れていく背中を見ていた。
いつも目にする背中とは、全く違うように映るが、それは間違いなくロイでもある。
むずがゆくて、寒気がして、気色悪い。
「――なんのつもり?」
コンブが、ロイの肩をがっしりと掴んでいた。
二メートルをゆうに超える巨躯から伸びる巨人の腕が、ロイの進行を妨げている。
『頼む。行くな』
ロイの身体が軽々と振り煽られ、壁に叩きつけられる。余った腕でロイが抜こうとしていた腰のナイフを先んじて塞ぎ、固定した。
戻ってきたアウレリオの目に映ったのは、その瞬間だった。
先程V-216にやられていた、焼き潰しの痕を持つ少年。
その少年を壁へ押さえつける、見たこともない巨漢。明るい茶色の体毛に覆われていて、その姿は決して似つかないはずのV-216を彷彿とさせた。
アウレリオの足元に再び、光の円環が顕現する。
『アウレリオ――』
躱すよりも数段速く、風がロイとコンブの隙間に捻じ込まれ、弾く様に二人を引き剥がした。
そうしてできた二人の間の広い空間に、アウレリオが降り立った。
「伏せていろ、少年――ん?」
アウレリオはロイを庇うみたいに、コンブの真正面へ。すぐさま身構えるが、やめた。
「おまえ、コンブか?」
齧歯の頭と毛並みの色でそう直感したのだろう。アウレリオは、すぐに警戒をほどいた。
『後ろじゃ!』
固定されていたナイフは、コンブが弾かれたことで自由になった。
抜き放ってすぐ、ロイは踏み込む。踏み込むだけの力など残っちゃいないが、半ば倒れ込むように、自身の体重を前に出して、アウレリオの背中へ深々とナイフを突き立てる。
「――ッ」
その瞬間、魔法陣の光が消灯した。アウレリオの身体は硬直し、激痛に膝から崩れ落ちる。
それが、八年間で唯一、アウレリオが負った傷。
垂れ流しになった血が波紋みたいに石畳を濡らす。間に立っていた男が視界から失せたことで、再びコンブと視界が絡む。
その黒い瞳に浮かんでいたのは、怒りではなかった。ロイが探し求めていた目、そのものかもしれない。
「なんの――つもりだ……」
アウレリオは、血の塊と一緒にそんなセリフを吐く。
当然だ。自分が助けた奴隷にこんなことをされたのは、はじめてなのだろう。
「ひとつ訊きたいんだけど――さっきの犬女と、あの奴隷たち、何が違うの?」
「は……?」
ロイの問いの意味が分からないといった様子で、アウレリオは訊き返す。
「分からないの? ここは“犯罪都市”だよ。奴隷だって、犯罪歴がある奴の方が多いだろ。そのうえ、長年の奴隷生活を経て娑婆に出たりしたらどうなるかくらい、分かるでしょ」
「……ここでは……奴隷は被害者だ」
「それを言うなら、あの犬女だっておまえの被害者だよ。奴隷をこき使ってた経歴があろうが、あの場で殺したのはおまえだ」
もう全身のいたるところに感覚がないのだろう。さっきまで立ち上がろうともがいていたアウレリオも、ついに諦めている。
大きな血の塊をがぼっと吐いても、まだ何か詰まっている喉で反論しようとするが、声にならない。
「善か悪か。罪の重さも罰の度合いも、全部おまえが勝手に決めてるんだろ? 警察も憲兵もいないからって……」
“違う”。それだけ、うっすらと聞こえた。だが、それ以上は単なるうめきとしか取れなかった。
「神様みたいだな、おまえ」
呼吸のための肩の振動も、鼓動のたびにあふれる血も、徐々に、それでも明らかに、弱まっていく。
そんなアウレリオの背筋からナイフを抜き取ったロイは、血も拭かずそのまま、アウレリオの首元に突き立てようとした。
懸賞金――自分が殺したのだという証明のために。
「……放せよ」
返事はない。
ナイフを振りかざしたロイの正面から、人型のコンブがロイの腕をがっちりと掴んでいた。
人型、そうは言っても、その身長はもうロイと同じくらいまで縮んでいて、片方の腕も力なく垂れさがっている。もう、この状態でいられる時間の限界だ。
「コンブも見ただろ。こいつは正義ぶってるけど、殺しを正当化しているだけだ」
『……』
「ただの自己満なんだよ。力があるから調子に乗って、弱者を傷つける――権力をかさに着て僕をいじめた、カーディナルと変わらないじゃないか」
『……』
「こういう奴が、僕は一番――」
『……もう』
掠れた声がコンブの喉から出てくる。
『もう、見てられん』
握る力が、さらに強くなった。
短剣はアウレリオの首へ触れることすらないまま、ロイの身体ごと庭の中央まで吹き飛ばされた。
それを最後に、コンブの姿はしぼみ、意識を失って石畳に投げ出された。
背中から地面に叩きつけられたロイは、肺の中の空気をすべて吐かされた。握っていたナイフが指を離れ、甲高い音を立てて転がっていく。
「……いってえな」
文句を投げる相手はもう、そこにはいない。
ついさっきまで巨人のようだったコンブも、今となっては意識もなく倒れているだけ。手足は、ぴくりとすら動いていない。
「コンブ」
呼びかけても、返事はない。
ロイは麻酔の残る身体を引きずり、コンブのもとまで這った。掌で掬い上げると、微かながら呼吸も鼓動も感じられた。
生きている。
それだけ確かめて、いつもの位置へ戻そうとしたとき――処理場の奥から警報が鳴り響いた。
耳の奥を直接ひっかくような、不快な音で。
『管理個体“V-216”の生命活動停止を確認』
どこかに仕込まれたスピーカーから、抑揚のない女の声が流れ出す。
『サレムの機密保全規定に従い、収容されている“S級”及び“V級”の個体を解放します。職員は速やかに街の外まで退避してください』
「は……?」
そのとき、地の底から重い音が連続して、地鳴りみたいに石畳を揺るがせた。
振動に晒されて、施設の中が騒がしくなっていく。不安定な棚はすべて転び、あの巨大な機械も稼働を停止し、解放されたはずの奴隷たちは混乱している。
そんな混沌のさなか、外壁が内側から蹴り破られた。石材と木片を散らし、外側から幾本もの腕が伸びてくる。
その穴から這い出て来たものに、決まった形はなかった。
鹿のようにたくましいツノを携えたもの。
肩甲骨から伸びる羽毛を束ねた真っ白な翼で首から下を隠すように覆っているもの。
下半身が蛇みたいに這いずり、腕で上半身を支えているもの。
ひとつとして、同じ生きものはいない。
共通しているのは、そのすべてに人間の名残があることだけだ。
職員は速やかに避難しろ。警報はそう言っていたが、既に門兵全員なぎ倒されている。ツギハギの獣たちの目には、逃げ惑う奴隷しか映っていない。
「――最後に、ひとつだけ言っておく」
声がした。足元からだ。
見れば、アウレリオが朦朧とした目でもがいていた。
「コンブ……従う相手くらい、考えた方が良い」
アウレリオは掌を地面に突き立て、震える身体のまま立ち上がった。
『アウレリオ……!』
「行け」
背中に開いた傷からは、今も血が流れ続けている。足元に広がった血だまりを踏み、身体を起こす度、その輪郭が大きく揺れた。
アウレリオは、ロイを睨まなかった。されど、視線だけ送る。
「その連れと一緒にな」
何を考えているのか分からなかった。
ロイにも、コンブにも。
恨みごとのひとつでも吐けばいい。背を向けたところを殺そうとした卑怯者だと、そう罵ればいい。アウレリオはロイの返事を待たず、異形の群れへと向き直った。
足元に、最後の円環が浮かんだ。
◇◆◇
異変は、第六処理場だけで起きているのではなかった。サレム中に人ならざる人型が蔓延っており、どこへ行こうが襲われる。
ここはもう、地獄と遜色ない。
ロイはコンブを胸に抱え、足を引きずりつつも異形たちをかいくぐってまっすぐ南へと向かっていた。
解放された奴隷たちはほとんどが王都へ向かっている。だから、真逆の方向だ。
大通りを抜けた先に、ガラクタの山が見えた。潰れた空き缶からユンボに至るまで、大小異なるゴミがバリケードみたいに隙間なく積み上げられていた。
ここが、王都と南部の境――もっと言えば、サレムの果てだろう。このバリケードは恐らく、南部の人間がサレムの犯罪者たちを入ってこさせないようにつくったものに違いない。
サレムの奴らが便乗しているんだろう、ごみが散乱している。とくに吸殻には痰を吐きかけられていて、鋭い悪臭が鼻をつく。
突然、ロイの左頬が熱を持って、じりじりと灼けるように痛んだ。まるで信号みたいに一定のリズムで脈打ち、その痛みは徐々に広がっていく。
「っ……?」
そのとき、一体の異形が、廃れたビルのひとつを跨ぎ越してロイの目の前に突っ込んできた。石畳が陥没して、粉塵と一緒に小石が跳ね上がる。
現れた異形は、いままで見た中でもとくに“異形”だった。
巨大な蜘蛛のような八本の足の上に、取って付けたような人間の頭部がちょこんと乗っているだけ。薄ら体毛が生え揃っている足は、目で追えないほど速く交差しながら、身体を移動させている。
そいつは、着地した姿勢のまま動かない。視線が、互いに絡む。
ロイは、その顔を知っている。
名前は――
「――お客さん、ですか? あのときの……」
「エマ……?」
異形の頭部がぎこちなく傾く。
ロイは構えていたナイフを降ろせなかった。
これは間違いなくエマだが、どう見てもエマではない。つい数日前に見たとき、エマは元気だったはず。この短い期間の間に、何があった?
ロイにはひとつだけ、思い当たることがあった。
――カーディナル・レヴナントの来訪。
ロイの頭をよぎったのは、そんな思考だった。
次にエマが口を開いたとき、本来それ以上開かない位置を、彼女の顎はあっさりと越えた。口が大きく裂け、そこから血が垂れ流れる。
「このあたりの地下に、王都と繋がる通路があるはずです」
「……!」
「私は、この街の人間を皆殺しにしろと命令されました。あなたに対しても、煮え滾るような殺意が湧いてくる」
依然、声も喋り方もエマのまま、変わっていない。ただ、見た目が、雰囲気が、ロイの持つ像とかけ離れていく。
「あガ……」
一瞬、顎が開いた位置で止まり、明らかに口元を歪ませて奇声を放った。
すぐに、何事もなかったみたいに取り繕う。
「逃げてください。できるだけ、早く」
「なんで知ってるんだ? 地下通路なんて――」
「さっき、通ったからです」
落ち着いた言い方だった。
「ひとりで?」
「いえ」
記憶をたどるように、わずかに天を仰ぐ。
「前にも後ろにも、身体同士を擦り合わせないと進めないくらい、隙間なく」
いまはもう、地下からの振動はない。
「いまごろ、数百体の化け物がこの街でうごめいているでしょう。ですから、早く、逃げてください」
口端から垂れる血が筋を成したエマの顔は、ブリキの人形のようだった。
「わたしは、“S”だと言われました」
「S?」
「駄作に与えられる階級だそうです」
エマは淡々と答えた。
「人間だった部分と、もうひとつの要素がうまく適合しなかった。身体も意識も安定しない――そう、聞いています」
エマの目はもう、全く焦点が合っていない。
「エマとして意識を保てているだけでも、奇跡なのでしょうね」
エマが、八本の足を交差させてロイへと詰め寄った。人の足で、三歩ぶん。ロイが後ずさりしても、じりじりと距離が狭まっていく。
エマには、その光景が見えていなかった。
目がありえないほど充血していて、黒目がどこか見分けがつかなくなっていた。
「逃げ――」
エマがそう口にしたときには、既に額をナイフが貫いていた。八本の足が順に折りたたまれて、微かな地鳴りとともに地に伏せ、それっきり。
遠く息を荒げるロイは体重を前の足に乗り切らせたまま、その腰には空になった鞘が刺さっている。蜘蛛の尻から伸びた粘性の糸が背後に迫っていて、数瞬判断が遅れていれば今頃地に伏せているのは自分だったであろうと、ロイは激しく脈動する心臓に冷たい空気を送り込む。
胸が焼けるようで、張り裂けるようで、されども感覚が薄い。脳はそこはかとなくフワフワしていて、思考が止まり切ったまま冷汗だけを捻出していた。
姿勢をほどいて、右手を下ろす。指先が震えていた。
「……麻酔が、まだ」
『痛ったいのう!』
足元から聞こえた怒号に、ロイは肩を震わせる。
見ると、コンブが後頭部を押さえて悶絶していた。咄嗟のことで、コンブを落としてしまったみたいだ。
「……ごめん」
『ごめんで済むかたわけ!』
湯気が出そうなほど顔を真っ赤にしながらいつもの調子で怒っていた。
ロイはコンブを拾い上げると、外套の隙間に顔だけが出るくらいまで押し込む。
『……何があったんじゃ』
「襲われただけだよ」
ガラクタの山、荒廃したビル群、そして異形の死体。目の前の光景が、コンブの目にも映った。
ロイは腰の鞘を引き抜き、適当に放り捨てた。エマだったものに礼もすることなく背を向けて、歩き出す。
手当たり次第に探せば、エマの言っていた地下通路も見つかるだろう。
「地下通路があるみたいだ。サレムを出よう」
『地下? そんなもん、どこで見つけたんじゃ』
ロイは、手持ちの枝に火をともした。




