#4 亡霊は雨を待たない
目が覚めると、埃っぽい息苦しさがロイの喉に絡んだ。人がいないどころか虫や幽霊しか住んでいなさそうな廃ビル。大都会である王都にもこんな場所があるのかと、むしろ感心してしまう。
寝覚めは最悪だった。少し体を傾けるだけでも床が抜けるかと思うほど軋むものだから、うっかり寝がえりなんて打とうものならそのたびに肝が冷える。
「うわ……」
目をこすりながら起き上がる。土か埃かよくわからないが、じゃりじゃりとしていて少し目が痛い。
寝心地の悪さは覚悟していたものの、ここまでとは思っていなかった。
『ようやっとお目覚めか』
扉の近くで、コンブがヒマワリの種を頬張っていた。
『王都は大騒ぎじゃぞ』
そう言って、ロイの枕元に置かれた新聞を目線だけで示した。
「見なくても分かるよ」
ロイはそれを手に取ることもなく、ごろんと仰向けに戻った。
どうせ激しく昨夜の事件を主張しているんだろう、もはや見るまでもない。“ロイ・アルミュール、パルティトゥーラ家襲撃”――そんな文字が、でかでかと。
『ちゃんと読め』
いつになく硬い声だった。
仕方なく、ロイは新聞を拾い上げる。紙面の皺を伸ばしつつ、一面の見出しから斜めに視線を落としていった。
“レヴナント大総統、「神隠し」の犯人をロイ・アルミュールと断定”
記事の内容は、淡白なものだった。
ここ数年、王都各地で子供が失踪している。大総統カーディナル・レヴナントは、一連の事件をロイ・アルミュールの犯行と断定し、西地区の孤児院を中心に捜査網を敷く――。
ざっと流し読みするつもりが、気づけば最後まで読んでいた。
「……“西地区の孤児院”……」
記事の中でなによりも喉の奥につっかえるのは、その文言。
偶然だろうか。そんな思考が頭をよぎりはするものの、万に一つもそうとは思えなかった。
何故犯人をロイと断定したのか。何故王都で起きているはずの事件の捜査区域を絞ったのか。ぜんぶ、カーディナル・レヴナントが決めたこと。
『罠じゃろうな』
考えるまでもなく、ロイもそう思った。
「西地区へ行くよ」
『言うと思ったわ』
コンブは止めなかった。どうせ止めても無駄だって分かってるから。
ロイは軋む床を踏んで、窓の方へと歩み寄る。夜も明けたその日の王都は、ロイが地下水道を通って来た直後に比べても、景色に何ら変わりはない。強いて言うなら少しだけ濁っているが、窓にへばりついた埃のせいだろう。
「行こうコンブ」
ロイは、廃ビルを後にした。
◇◆◇
西地区のはずれ、雪に覆われた坂を上りきった先に、その孤児院はあった。身体が成長したからだろうか。八年ぶりに見るそれは、記憶よりもずっと小さかった。漆喰がはがれ、わずかに傾き、あちこち継ぎ接ぎになっていて、中の子供たちの声が鮮明に聞こえてきていた。
「変わってないな」
変わっていないのは外見じゃなく、雰囲気だ。
庭では、子供がひとり井戸の縁で水を汲んでいる。別の子は洗濯物を取り損ねて落とし、慌てて拾っている。どこにでもあるような、夕暮れの孤児院の景色。
「誰?」
背後から声がして、咄嗟に飛びのいた。八年間の習い性か、振り向くより先に懐の短剣の柄に手を伸ばしていた。
立っていたのは、若い少女だった。両腕に薪を抱えて、怪訝そうにロイを見ている。ゆるくまとめられた栗色の髪は、八年前の泣き虫だった少女の面影を浮かび上がらせる。
「ロイ?」
ロイの顔を、深く被ったフードの影から覗くその顔を見て、少女はそう呟いた。
顔も声も背丈も、あのときとは違うというのに。
『シャーロット。久しぶりじゃのう』
胸元から顔を出したコンブは少女を目にすると、ロイの肩の上ではしゃいでいた。
「……久しぶり」
こぼれ落ちるようにはにかむシャーロットの瞳の奥には、複雑に感情が絡み合っているように見えた。
「お茶でも、どう?」
建て付けの悪い引き戸を押し開けると、廊下の奥から足音が雪崩れてきた。玄関の隅に並ぶ大きさのばらばらな靴を踏み荒らしながら、子供たちの手が三つ四つ、シャーロットの腰にまとわりつく。
「ロッティ! ルカがぼくのスープ飲んだ!!」
「先に取ったのはそっちだろ!」
「ねえ見て! 前歯抜けた!」
わっと群がった子供たちが、口々にシャーロットの服を引っ張る。
シャーロットは慣れた手つきで、一件ずつさばいていった。喧嘩ごとは穏やかに仲直りさせて、嬉しい報告は素直に「おめでとう」、と。
中でもいちばん小さいのが、はしゃいだ拍子に足をもつれさせ、ロイの足元に頭から突っ込んだ。シャーロットの手を借りつつも泣きそうな顔で立ち上がると、見上げる形でロイの顔が視界に入った。その子はすぐに、ひぃ、と声を上げ、シャーロットの陰に半身を隠す。
ロイは自分の左頬をさすって、唇を結んだ。仮にこれが火傷跡じゃなく痣だったなら、これよりもひどい反応をされていたんだろうか。
騒ぎのおわりに、台所の方から少し年かさの少女が現れた。年かさとは言っても、ほかの子供たちに比べて、だが。
「ほら。みんな戻るよ。ロッティも忙しいんだから」
ロイは、その顔を知っている。
名前は――エマ。
かつて、孤児院で一緒に暮らした仲だ。シャーロットやアッシュ、クレアと一緒に。なのに、エマはロイの顔を見ても、痛々しい火傷跡に一瞬肩を震わせただけだった。
「お客さん?」
エマはただそう言った。ロイが誰なのか、まるで記憶にもないという声で。
違和感は、無い。あのとき、まだエマは幼かったのだから。
「……」
その問いに、シャーロットが答えることはなかった。
エマは興味を失ったようにロイから視線を外すと、幼児を思い出したのかパタパタと廊下の奥へ引っ込んでしまった。
廊下を歩くたび、床板は昔以上に大きな音を鳴らした。歩幅や体重が変わったのもあるのだろうが、その音色は全くの別物のように思える。
リビングの前を通る。開け放たれた戸の向こうで、子供たちが鍋の周りに群がっていた。部屋の隅には、布団がうずたかく積まれている。
「寒いから、冬はみんなあそこで雑魚寝だよ」
シャーロットは笑う。八年前の冬も同じようにしていたことを、懐かしむように目を細めながら。
二階へ上がる。通されたのは、かつてロイに与えられていた部屋だった。古い木の机に、欠けた椅子。シャーロットやエマがよくはしゃいでいた、あのときの光景が目に浮かんでくるようだった。
シャーロットが温いお茶を持ってきたものの、ロイはそれに手をつけなかった。コンブが湯呑に顔を突っ込んで無遠慮に飲むものだから、手が付けられないのだ。
「そうだ。上着、返すよ」
ロイは懐からぼろぼろの外套を取り出すと、シャーロットの前に置いた。
「あはは、八年前のだよ? 着れるわけないじゃん」
そうは言いつつも、シャーロットはその綺麗に畳まれた外套をすぐ脇に仕舞った。
部屋を出て、階段を降りる。リビングの戸口の手前で、シャーロットの歩みが緩んだ。
「新聞、読んだ?」
ふすまの隙間から子供たちを眺めながら、なんの前触れもなくそのことを口にした。
「……読んだ」
それ以上、ロイは何も言わなかった。
隅の方に目をやると、壁には子供たちの絵が画鋲で留められていたが、ところどころ、直接壁に描かれているものもあった。
そのひとつ、湿気に歪みきってしまった画用紙に、懐かしい絵があった。孤児院を運営していたおじさんと、孤児院に引き取られていた子供が五人。ロイやシャーロット、エマらしき姿が描かれていた。
そういえば、アッシュとクレアを見ていない。描かれているあとふたりの子供を見て、ロイはそんなことを思った。
おじさんは持病を患っていて、八年前ですら車いす生活だった。亡くなっていても不思議はないが――アッシュとクレアは、元気だったはずだ。
「あのふたりはね。突然いなくなったんだ」
「……え?」
記憶の中のふたりは、当時のエマよりもさらに幼い。弱虫のくせに強がりだったアッシュと、いつもその後ろをついて回っていたクレア。
「六年前にクレアが、三年前にアッシュが。いまも見つかってないの」
淡々と続ける声が、一瞬だけ、引き攣るような音に変わったこと。それを、ロイは聞き逃さなかった。
「だからさ。けさの新聞を読んで、わたし、少しだけ期待したんだ」
「……期待?」
「警察は取り合ってくれなかったんだけどさ。大総統なら、もしかしたら――なんて」
ただの餌に過ぎない儚い希望は、カーディナルが回収しに来るのを待つだけだってことくらい、分かりきっていた。けれど、ロイは忠告する気にはなれなかった。
「でも、安心して。ロイの情報を吐いたりしないから」
シャーロットは顔を上げて、まっすぐにロイの目の奥を見つめた。
「ロイを悪く言う報道は、全部嘘だって、分かってるから」
「……」
シャーロットの断言じみた口調に、ロイは俯いたまま顔を動かさない。
「この八年間」
掌に視線を落とし、続ける。
「僕は何人も殺した。いくつも盗んだ」
「……それは」
「君の言うとおり、報道ってのは嘘ばかりだ。僕についての記事を除けばね」
一拍も置かずシャーロットの声が返ってきたが、ロイは順番を譲らなかった。
「貴族令嬢が声を奪われた、みたいな記事あっただろ。正確には声じゃなくて舌だけど……僕がやったのは、真実」
その瞬間だけ、台所の生活音がやけに近く聞こえた。
シャーロットは廊下の明かりを背に受け、立ち尽くしていた。洋服の裾を握っていた指が、より強く絡みつく。
“怯え”。それは確かに、シャーロットの瞳の中には在る。水道の浮浪者たちと同じ、教会の親子と同じ。
それでも決定的に違うのは、その感情に行動が伴っていないことだった。立ち尽くしたまま、震えすら起きていない。
「……嘘だよ」
絞り出すような、声だった。
「そういう嘘をついて、私たちを遠ざけようとしてるんでしょ。八年前と、同じように」
ロイは、何も言わなかった。肯定も、否定も。
「嘘だよ……ね」
だんだんとか細くなる声は、そこで初めて揺れた。
長い沈黙があった。廊下の奥から、鍋の煮える音と、子供たちのはしゃぎ声。
ロイはもう、満足だった。目に焼き付けたこの光景は、もう――生涯、忘れることはない。
背を向け、玄関まで踏み出そうとするロイの腕を、シャーロットがつかんだ。
「――また、来てね」
ロイはシャーロットを無理に引き剥がそうとはしない。感情のこもっていない目で、見つめ返すだけ。
やがて、シャーロットはあきらめたようにゆっくりと、手を離した。
◇◆◇
その夜。
パチパチというはじける音と、皮膚の表面だけが炙られるような熱気に晒されて、シャーロットは目を覚ました。
最初は何が起きたのか分からなかったが、急いで下の階に駆け下りると、その答えはすぐに分かった。
孤児院が、激しく燃え上がっていた。
乾いた木の壁を舐めるように炎が這い上がっていく。壁に書き込まれた子供たちの絵が火に呑まれて、次第に黒焦げになっていく。
「……うそ」
シャーロットの声はひどく震えていて、今にも膝から力が抜けそうだった。
「どうして……!」
これまでの孤児院の痕跡を搔っ攫うように火の手が広がって、灰へと変えていった。
「みんな起きて! 火事だよ!」
リビングに布団を敷き詰めて寝ている子供たちへと駆け寄って、シャーロットはひとりずつ体を揺さぶった。
子供たちは次々に目を覚まし、身を起こした。泣く子もいれば、煙にせき込む子もいた。
シャーロットは脱衣所から人数分のハンカチを持ち出して子供たちに持たせると、火の海を縫うように庭へ抜けようと試みた。
玄関が燃えていた。いつの間にか背後も炎に囲まれていて、シャーロットたちは完全に逃げ場を失った。
そのとき、突然燃えていた玄関が焦げ落ち、外への道が開けた。
「みんな! 走って!」
子供を率い、孤児院を脱出した。
外へ出てすぐ、シャーロットは炎を見上げた。視線が、頭の芯を撫でる違和感を辿って、熱気に当てられて舞い上がる煙を倣って、火の粉を抜けて、屋根の上で止まった。
燃え盛る孤児院の上にひとり、男が立っていた。
炎の中で、フードの陰からシャーロットを見下ろしていた。
ときおり激しく燃え上がる炎によって、顔が中途半端に照らされるが、それでも暗く、造形はうまく認識できない。
「ロイ……」
それでも、シャーロットにはわかった。その男がロイであることを。そして、この火の正体も、ロイが放ったものなのだと。
なぜ。どうして。シャーロットの中で一瞬だけ芽生えたそんな疑問の答えは、既に出ていた。ロイが嬉々としてこんなことをしないことくらい。
薄手の子供たちは、雪の上で、孤児院が徐々に燃え落ちていくのを泣きながら見ていた。自分たちの家が燃えているのに、この子たちは泣くことしかできなかった。
「……ばか」
炎の轟く音にかき消されそうな小さな声は、届くはずもない距離にいたロイの耳に、届いた気がした。
フードの陰で、ロイが笑っていないことに気づいていたから。だから――。
ロイは、静かに背を向けた。
軽い火傷を負った子や、咳が収まらない子はいたものの、全員無事だった。
そう、思っていた。
「――エマがいない」
そのことに気が付いたのは、ロイが去ってから数分後のことだった。
◇◆◇
夜明け前。焼け跡はまだ熱を持っていた。
黒く炭化した梁が骨のように積み重なり、ところどころで、燠が赤い目を開けて煙に混じっている。
部下たちが消火の後始末に走り回るなか、カーディナル・レヴナントは門柱の前で足を止めた。焼け跡を端から端まで眺めながら。
「大総統。御覧の通り、全焼です」
若い兵が強張った表情で報告する。
「死者は――」
「いないのだろう」
カーディナルは次の言葉を引き取った。確認ですらない、至極当然のことだと断定した。そのままカーディナルは燃え落ちた玄関へと歩み寄る。
「殺す気なら、玄関を塞いだまま燃やす」
燃え残りの柱に指先で触れると、炭がほろりと崩れた。
火の回り方。逃げ道の残し方。そして何より、きっちりと全焼させていること。
孤児院には子供たちの記録があったはず。ロイ・アルミュールが裏で手を回し、孤児を全員逃がしたとて、名前さえ入手すれば追うことはできた。ここまで大規模の火事。痕跡も完全に灰になり、熱で周りの雪も融けかけて足跡すら曖昧――。
作為的に、手がかりを根こそぎ落としている。
「やってくれたな……まさかここまでするとは」
カーディナルは天を仰いだ。夜明けの空はまだ薄ら暗かったが、星は見えない。
雲ひとつ、無い。
「なぜ、事前に軍を配置しておかなかったのですか?」
「優秀なペットがいるようでな」
仰いだまま、その若い兵の問いにカーディナルは答える。
「先んじて囲んでいては、近寄ってはこん」
「大総統」
別の兵が坂を駆け上って、一枚の書類を片手に息を切らしながらカーディナルの元へ来た。
「カンダ地区にて、幾何学の仮面を着けた不審な男が目撃されたようです」
当てつけか、囮か――あるいは。
カーディナルはすぐに背を向け、新たな指示を兵に下す。その心には、微かだが確かな焦りがあった。
◇◆◇
『あそこまでやる必要はあったんか』
夜明けの道はずれ――合流するなり開口一番に、コンブは教会を出るときと同じ咎めるような声色でそう言った。
ロイとコンブが孤児院を後にして数時間、西地区は夜明けに赤く染まった。
「やるならあそこまでじゃないと意味が無いんだよ」
そう言うと、コンブはふてくされたように顔をそむけた。シャーロットのこと、気に入っていたからな。
『小僧――なしてわざわざ会いに行った』
疑いの強い視線がロイを捉える。
「会いに行ってなんかないよ。見つかっただけでしょ」
――また、来てね。
あの家が形を残している限り、今回のように、玄関は何度でも開いただろう。
帰る場所を懐に入れたまま「世界を滅ぼす」だなんて――あの夜の啖呵を、嘘にするわけにはいかない。
『次はどこに行くんじゃ』
「南。この国を出るよ」
アンセルムには会えたし、聞きたいことも聞けた。復讐なんて予定にはなかったけど。シャーロットは――。
そこで、思考を切り替えた。
『南じゃと?』
コンブはピンとこない様子で首を傾げた。
『当てでもあるんか』
「ああ――ここよりも、ずっとずっと南に、答えがある」
『何の答えじゃ』
「――“世界の壊し方”」
このつまらない世界に終焉を。ここからはそんな道のりだ。




