第73話 再生の工場
招待状ってのは、たいてい俺の柄じゃない封筒で来る。
今度のは上等な洋紙に、型押しの社章。宛名は『まかべ食堂 店主殿』。人間・機械併用一号工場、落成式の案内だった。
断る理由は探さなかった。空港でリズに届いた招待状の行く末も気になってたし――それとは別に、見届けたい開店が一つあったからだ。
当日は昼だった。深夜営業の人間に、世間はどうも眩しい時間ばかり寄越す。
一張羅の上着を着て、包丁は置いていく。代わりに岡持ちを提げた。式典の荷物じゃないが、こっちが本命の荷だ。
付き添いはこはく一人。リンは仕込みの留守番だ。出がけに岡持ちを覗いて、何も聞かずに豚汁の椀を一つ足していった。相変わらず、聞かない連中ばかりの店でね。
「大将、岡持ち提げて式典に行く人、世界であなただけですよ」
「配達のついでだ。式のほうがついでかもしれんが」
工場は、海の見える埋立地に建っていた。
白い機械の列と、木の香りの残る研ぎ場。オート・カーヴァーは運搬と固定の持ち場に並び、刃物の席は全部人間のもんだった。壁一面の工程表には、人の名前と機械の番号が同じ表で載ってる。
働いてる顔ぶれには、見覚えのある年季が多かった。四万二千の求人票が、ここへ帰ってきた口だろう。あの夜カウンターで話した続きが、建物になった図だ。
客席の隅に座った。こはくは報道席で端末を三つ広げて、公式ミラーの中継を立ち上げてる。
壇上に、断定形の男が上がった。
「本日は二点。全て決定事項だ」
挨拶なし。前置きなし。発注書の読み上げみたいな式辞も、二度目になると様式美だ。会場のどこかで「式辞の前例が……」と呻く声がした。葛城さんだ。今日は国家側の来賓らしい。
「第一。当工場の刃は、全て人間が持つ。機械は運搬・固定・危険域へ。竜宮で覚えた配置を、ここで量産する」
壇の袖で、白い機械が照明を浴びてた。兵器の顔じゃない。道具の顔だった。
「第二。提携工房の第一号を発表する」
会場が前のめりになった。世界中の大手が候補に名乗りを上げてると、道中でこはくが騒いでた話だ。
「――鳴海解体工房。従業員三人」
ざわめきが、今日一番の音になった。ミラーの弾幕は、もっと正直だった。
《どこ?》
《無名すぎる》
《検索した。ヴァンガードの元エースだ》
《あの鳴海が……》
報道席の端末が一斉に鳴る中、当の男が壇に上がった。仕立ての背広じゃない。洗いたての作業着だった。
「規模で選んだのではない」
ミルズが先回りして、質問の芽を摘んだ。
「審査基準は一つ。素材に頭を下げられるか、だ。審査は私が現場で行った。……数値は、見なかった」
どこかで聞いた文句だと思ったら、うちの求人の文句だ。特許は取ってないから、文句の付けようもない。それにしても数値の王様が、数値を見なかったと言い切った。株主が聞いたら倒れる話だ。
マイクの前で、鳴海は短く喋った。
「小さい工房です。お約束できるのは、数字ではなく――持ち場を守ることだけです」
慇懃な男の口から、数字が値引きされて出てきた。倉庫の前で聞いたあの台詞から、ずいぶん遠くまで来たもんだ。
二人の男が、壇上で握手を交わした。どちらも一度は切った側で、いまはどっちも研ぎ直した側だ。シャッター音が、また雨みたいに降った。
質疑で、若い記者が手を挙げた。
「職人審査部の責任者は、結局どなたに? 以前は『適任は修行中』とのことでしたが」
「見つかった。……私だ。研修中の身だがな」
断定形が、少しだけ笑った気がした。気のせいかもしれん。
「海外の提携は、いつ始まりますか」
「欧州の第一号候補から、今朝、返書が届いた。一行だけだ」
男は手元の紙を、読むためだけに持ち上げた。
「『貸しは仕事で返してもらいます』――交渉は成立と見なす」
報道席でこはくが吹き出して、慌てて口を塞いだ。うちの元・居候の返事は、海を渡っても値切らない。
「最後に。この工場の考え方を私に教えた者がいる。名は――」
カメラが一斉に客席を舐め始めた。俺は岡持ちを提げて、腰を上げた。
「――やめておこう。営業妨害になる」
前科のある男は、二度目を寸前で畳んだ。学習の早さなら、あの白い機械よりよっぽど上等だ。俺は誰にも捕まらないうちに会場を出た。
工場の裏手に、その工房はあった。
落成式の会場から、歩いて五分の場所だった。プレハブに毛の生えた平屋で、看板はまだない。研ぎ場の水音だけが、先に働いてた。順番が正しい。
開店初日。約束の品を、届けに来た。
「出前です」
作業着のままの鳴海が、伝票を確かめてから受け取った。丼が一つと、頼まれていない椀が一つ。
「……注文は、一杯のはずですが」
「椀はうちの留守番からだ。勘定は丼だけでいい」
封筒が差し出された。中身は一円まで相場どおりに揃えてある。端に『開店につき、初売上』と書き添えてあった。律儀ってのは、ここまで来ると芸だ。
工房の中は、研ぎ場が一番いい場所を取っていた。道具棚には四本の包丁。どれも、もう借り物じゃない。
奥で、三人の従業員が頭を下げた。見覚えのある顔ぶれだった。あの日、倉庫を出る俺の背中に頭を下げた連中だ。回り回って、こういう持ち場に揃うらしい。世の中の段取りは、たまに俺より腕がいい。
鳴海が丼の蓋を取って、湯気の前で一拍置いた。
「……美味いです」
「うちはそれしか聞かない店だ」
「ええ。……灯りは、最後まで点けておく側に回ります」
倉庫の灯りの話だと分かったが、分からない顔で頷いておいた。ああいうのは、掘り返さないのが礼儀の台詞だ。
「工房の名前、飾らなかったな」
「はい。屋号で客は来ません。仕事で来ます。……それも、教わったうちです」
「授業料は取ってないぞ」
「では、いつか出前の届かない日に。こちらから納品に伺います」
律儀な男の返しも、少し軽口を覚えたらしい。悪くない開店日だった。
帰り道は、海沿いの遊歩道だった。
白い工場と、看板のない工房が同じ夕日で染まってる。切った男と切られた男の再出発を、丼一杯と椀一つで見届けた勘定だ。配達としちゃ上等の部類だろう。
こはくが隣で、指を折り始めた。
「指折り数えてたんですけど……あっ。大将、来週ですよ。店の一周年」
「……もうそんなになるか」
「なりますよ! 同接三人の配信が、ガチで世界一周した一年です」
「濃いのは出汁だけでいいんだがな」
言いながら、頭の中で帳面がめくれた。一周年。常連の顔ぶれを数えるだけで、仕入れの桁が笑えないことになってる。
――来週は、開店以来の大仕事だ。




