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第6話 まかべ食堂、開店

無職、三十三日目。


──というカウントは、今日で終わりだ。


開業届を出した。本日付けで、俺は無職じゃなく個人事業主になった。肩書きが変わっただけで、貯金の減るペースは変わらないんだが。


この二週間は、役所と保健所を行ったり来たりだった。食品営業許可、魔獣素材の取扱届、車両の設備検査。


書類の山ってのは魔獣より厄介だ。どこから刃を入れていいか分からない。


それでも、夕方には全部揃った。


くたびれた軽の改造車。へこんだ荷台はそのままにして、色褪せた庇だけ張り替えた。直しすぎると、あの面構えが死ぬ気がしたからだ。


横っ腹には、看板を一枚。


『まかべ食堂』


ひねりも何もないが、嘘もない。


場所は、大穴──都心第三ダンジョンの管制区域から二本裏に入った、コインパーキングの隅を借りた。


昼間は車ばかりだが、深夜になると、潜りを終えた探索者がぽつぽつと通る。つまり、腹を空かせた連中の通り道だ。


見上げれば、ビルの隙間に管制塔の赤い灯が見える。


十二階の会議室から見たのと、同じ塔だ。あっちは「いい眺め」で、こっちは路上。──だが、不思議と悪い気はしなかった。


庇の内側にスマホを据える。映るのは俺の手元と鍋だけ。客の顔は映さない。飯を食う顔ってのは、配信の具にするもんじゃない。


配信タイトルは少し迷って、こうした。


【まかべ食堂、開店しました】


開始三秒で、視聴者が四桁に乗った。


《本当に店やってて草》


《行動力のおっさん》


《場所どこ!?》


《白瀬こはく:開店おめでとうございます! お祝いにクリップ百本作ります!》


「花輪より物騒な祝いだな」


メニューは一品だけ。賄い丼、味噌汁つき。値段は五百円。


《安っ》


《原価考えろ》


「原価か。──考えないことにした。どうせ大半は、十年前に払い終わってる」


今夜の素材は、うちの冷蔵庫の最下段。布をかけた一番上等な一角から、満を持しての一番手だ。


S級魔獣・雷鹿らいろくのロース、八年物。


コメント欄が、一拍止まった。


《は?》


《S級!?》


《S級素材って、競りで家が建つやつだろ》


《ワンコインで出していい肉じゃないんよ》


「落ち着け。こいつは八年前に廃棄処分になった個体だ。討伐時の雷撃で、芯まで焼けてるって査定でな」


検品したのは俺だ。焼けていたのは表層の筋膜まで。芯は無事だった。書類の上で死んだ素材を自腹で引き取って、八年、最高の状態で寝かせてきた。


「書類の上じゃゴミでも、肉は嘘をつかない。──見てな」


切る。厚めの五ミリ。


断面に、稲妻みたいなサシが走っていた。


《肉に雷が走ってる》


《これが本物の霜降り……》


《もう額に入れて飾れ》


強火で表面だけ炙る。脂が落ちて、青白い火が一瞬立った。タレは醤油と味醂、それに雷鹿の骨で引いた出汁。丼の飯に肉を扇に並べて、刷毛でひと塗り。


湯気が、夜気の中へまっすぐ立ちのぼった。


《うわああああ》


《深夜に屋外飯テロは新ジャンル》


《頼むから場所を教えてくれ》


「看板は出してる。腹を空かせて歩いてりゃ、そのうち当たるさ」


最初の客は、零時を二十分ほど回った頃に来た。


ふらり、と。街灯の影から滲み出るみたいに。


フードを目深にかぶった、小柄な客だった。庇の灯りの下でも、顔はよく見えない。ただ、立ち方に隙がなかった。商売柄分かる。探索者ってのは、歩き方が違う。


「いらっしゃい。──うちは一品だけだが、いいかい」


「……それを」


フードの奥から、細い声がした。


「……ください」


折りたたみのカウンターに丼を置くと、その客はしばらく、湯気をじっと見ていた。


祈ってるのか、と思うくらいの間だった。


それから箸を取って、一口。


動きが、止まった。


「……口に合わなかったか」


返事の代わりに、ぽた、ぽた、と音がした。


丼の縁で、雫がふたつ弾けた。


《えっ》


《泣いてる?》


《泣くほど腹減ってたのか……》


《深夜に泣きながら丼食う子、情報量が多い》


「おい、大丈夫か」


「……大丈夫、です」


箸は止まらなかった。泣きながら、綺麗な箸使いで、一定のペースで、丼は見る間に空になっていった。


いい食いっぷりだった。捌いた俺が言うのもなんだが、雷鹿の野郎も本望だろう。


「おかわり、あるぞ」


フードが、勢いよく縦に振れた。


二杯目は大盛りにした。三杯目も大盛りにした。


四杯目を装いながら、俺は素直に感心していた。その細い体の、どこに入るんだ。


《もう四杯目で草》


《育ち盛りか》


《見てるこっちまで腹が減る》


五杯目を綺麗に空けて、客はようやく箸を置いた。


「……ごちそうさまでした」


小銭をきっちり数えてカウンターに置き、それから、深々と頭を下げた。


「また……来ても、いいですか」


「ああ。深夜零時に開けてる。──腹を空かせて来な」


フードの奥の空気が、少しだけ緩んだ気がした。笑ったのかもしれない。


客は来たときと同じように、ふらりと夜に消えていった。


「いやあ、いい初日だった。なあ?」


洗い物をしながら画面に目をやって、手が止まった。


コメント欄が、妙な流れ方をしていた。


《なあ、ちょっと待て》


《今の子、腰に剣を提げてたよな。白いつかの》


《会計のとき、画面の端に映ってた》


《……あの柄、どこかで見なかったか》


《今朝のニュースだ。S級単独討伐の速報映像。──あれと、同じ柄だ》


「……ニュース?」


泡だらけの手で、俺は首をかしげた。ここ一月、書類とタレの配合のことしか考えちゃいない。


──だからこのときの俺は、開店初日の今夜、自分がいったいどこの誰の腹を満たしたのか、まるで分かっていなかったのだ。

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解体屋さんのサクセスストーリー深夜の腹減り音を添えて〜(≧▽≦)
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