第5話 ヴァンガードの異変・一
その朝、鳴海蓮司のデスクには、三枚の報告書が載っていた。
一枚目。B級魔狼の毛皮、納品時点で裂傷三箇所。査定額、規定の六割。
二枚目。A級岩亀の甲羅、断面に微細な罅。発注元の武具工房から全量返品。
三枚目。C級魔猪、ドリップ過多により食用基準を満たさず。全量廃棄。
「──今月、三件目」
声に出してから、鳴海は自分の指先がペンの尻でデスクを二度叩いていたことに気づいた。指を止め、ペンを置く。
外注解体に切り替えて、まだひと月も経っていない。
数字の上では、何も間違っていないはずだった。専属解体師一名の人件費、倉庫の専有コスト、設備の更新費。それらを登録制の外注業者に置き換えれば、解体コストはおよそ半分になる。役員会で示したその試算は、異論ひとつなく通った。
事故率も織り込み済みだ。納品物の一割が規格を割ったところで、収支は揺るがない。
そういう計算だった。
真壁巧の顔は、思い出さなかった。
思い出す理由が、ない。あれは終わった経費の話だ。
午後、鳴海は地下二階の素材倉庫へ降りた。
エースが倉庫に用を持つことなんて、年に一度もない。最後に降りたのがいつだったか、思い出すのに数秒かかった。
蛍光灯の白い光の下で、搬入係たちが外注からの納品を検品していた。鳴海に気づくと、挨拶の声がいくつか飛ぶ。どの声も、規定どおりの温度しかなかった。
「……翼膜、また裂けてます」
若い搬入係が、検品台に広げた飛竜の翼膜の前で唸っていた。半透明の膜の、付け根に沿って走る裂け目。
「付け根から三センチ上、って……あれほど言われてたのに」
「何の話だ」
鳴海が声をかけると、搬入係は一瞬だけ口をつぐみ、それから絞り出すように言った。
「刃の入れ方です。飛竜の翼膜は、逆撫ですると裂けるんです。──納品前の解体の時点で、もう駄目になってたってことです」
「なら業者に検品結果を回せ。規格未達はペナルティ条項の対象だ」
「その規格が、ないんですよ」
搬入係が顔を上げた。
「翼膜の納品規格なんて、うちには最初から存在しないんです。書類にする必要が、なかったから。今までは──」
今までは。
その先を、若い搬入係は飲み込んだ。鳴海も、あえて聞かなかった。
倉庫の隅に、空のロッカーがひとつ、口を開けたまま残っていた。
夕方、大手買取商社の査定人から電話が入った。
「単刀直入に申し上げますがね、鳴海さん。お宅の素材、最近──荒れてますよ」
「荒れている、とは」
「魔力構造の乱れです。見た目は同じでもね、解体の刃が魔力経路を横切っていると、素材の『持ち』がまるで違ってくる。武具に打てば耐久が落ちる。食用なら味が落ちる。うちの計測器には、はっきり数値で出るんです」
「解体は国家資格制の規格作業です。一級資格者が処理すれば、品質は同等のはずでしょう」
受話器の向こうで、査定人が短く息を吐いた。笑ったのかもしれなかった。
「資格はね、最低保証ですよ。──正直に言いますとね、以前のお宅の素材は教科書みたいだった。断面ひとつ取って、うちの新人研修に使いたいくらいだ。同じクランの納品とは、とても思えませんね。今のは」
「……それで、ご用件は」
「来月から、御社の買取単価を三割下げます。通告です」
三割。
鳴海は、手元の決裁書類の角を無意識に揃えた。とっくに揃っているのに、揃え直した。
「外注の質の問題です。業者は選定し直します。単価については再考いただきたい」
「数字が戻れば、いつでも」
電話は切れた。
業者の質が悪い。それだけの話だ。
登録外注は当たり外れが大きい。なら、外れを切って当たりを残せばいい。選定基準を厳格化し、試験解体を義務づけ、ペナルティ条項を強化する。手間は増えるが、それでもまだ、専属を一人抱えるよりは安い。
数字は、正しく運用すれば必ず応える。十年、その信条で勝ってきた。
デスクに戻った鳴海は、外注業者選定の見直し案を二時間で書き上げた。我ながら、隙のない文書だと思った。これで止まる。止まるはずだ。
送信ボタンを押したのと、内線が鳴ったのは、ほとんど同時だった。経理部からだった。
「鳴海さん。月次決算の速報値が出ました」
「聞きましょう」
「探索部門、前年比プラス十二パーセント。装備部門、プラス八。広告部門、プラス十五。それで、その……」
経理担当の声が、一段低くなった。
「素材部門だけ、赤字です。──この部門が赤字になるの、創設以来、初めてです」
受話器を持ったまま、鳴海は窓の外を見た。大穴の管制塔が、今日も同じ顔で立っている。
数字は嘘をつかない。それが鳴海蓮司の十年の信条で──その数字が今、彼の知らない言葉で、何かを語り始めていた。




