第56話 段取り八分
段取り八分、仕事二分。
倉庫の親方に、最初に叩き込まれた言葉だ。刃が入る前に勝負の八割は済んでる。残りの二割が、腕と度胸の領分ってわけだ。
作戦名が公文書に載ったその昼から、母船は工程表の国になった。
作戦室の壁は、半日で紙に食われた。深度別の断面図。二千人の名簿。機械の配置案に、十七言語の照合表が続く。貼り出す端から付箋が増えて、壁が生き物みたいに育っていく。
「決行まで四日です。機械の組み直しは、ミルズ社が三日で仕上げると。……残る空白は、人の側の千二百箇所」
鳴海は今朝から端末を三台に増やしていた。慇懃な顔は変わらないが、頁を繰る指だけが現場の速度になってる。
「千二百って、埋まるんですか。それ」
中継カメラの陰から、こはくが首を出した。
「埋まる。人の癖ってのは、素材の癖より読みやすいんでね」
ここからが、俺の持ち場だった。
応募動画を、もう一度頭から見る。選抜で残った二千人ぶんだ。
早送りはしない。見るのは腕前じゃなく、癖のほうだ。
手のひらを置く長さ。刃を入れる前の呼吸。研ぎ跡の角度。氷の上で覚えた手と、熱帯の市場で覚えた手じゃ、同じ一枚でも入り方が違う。
「北の三十七番。氷温に強い。浅層の冷え域へ」
「南方の一群は、いかがなさいますか」
「手は速いが、冷えに慣れてない。中層の暖流側だ」
隣でリズが、名簿に印を刻んでいく。昨日づけで検分係に格上げした。心の帳面に書いたメモは、実行する主義でね。
「ししょう。この方の手の置き方は、帳面の九人目と同じ系統です」
「なら診断側に回せ。切るより視るほうが向いてる」
「切らずに、視る側……はい。大事なお役目です」
娘の帳面にも、新しい頁が増えたらしい。
二日目は、丸ごと割り振りに使った。
左利きは通路の右側へ。手の遅い親方には、遅くていい持ち場を。腰の悪い年配の升には、屈まずに済む台の高さまで書き足す。名簿の二千人が、一人ずつ工程表の升に収まっていく。
中継は準備の間も回りっぱなしだ。持ち場の発表のたびに弾幕が沸いて、時差の向こうで誰かの家族が起こされてるらしい。
升を数えながら、鳴海がぽつりと言った。
「……以前の私は、この升から人を消す側でした。埋める側は、初めてです」
「どっちも数字の仕事だろう」
「ええ。ですが――埋めるほうが、桁違いに難しい」
端末は三台とも、休みなく鳴り続けていた。
甲板では、白い機械が化け始めていた。
オート・カーヴァーの刃が外される。代わりに搬送腕と固定枠が付く。ミルズ社の技師陣は三交代で、図面と現物を往復してる。
ミルズ本人は組み直しを技師長に預けて、工程表の前から動かなかった。
「確認したい。この搬入の交差だ。十二基が同じ通路を使う。必ず渋滞する」
「しませんよ。荷降ろしの順を、素材の冷えの順に組んである」
「……冷えの、順」
「生ものの搬入と同じでしてね。溶けやすいもんから先に運ぶ。市場じゃ常識だ」
男は工程表に顔を近づけたきり、長いこと黙った。断定形が出てこない沈黙ってのは、あの男の場合、上等の部類に入るらしい。
「――写しを、一部もらいたい」
「構いませんが。機械に積むんですか」
「積まん。……これは、積めん。読むのは私だ」
帆布の袋に、紙の筒が一本増えた。刃物袋に図面ってのは、悪くない取り合わせだ。
列の整理はガルシアの持ち場だ。岩男は律儀に、白い機械へも整理札を配って回っていた。
「キカイ、ナラブ。ジュンバン、ビョウドウ」
「そいつらは割り込まんぞ」
「レツ、ミダレナイ。ダイジ」
整理札の理屈は万国共通らしい。異論はない。
三日目の昼、工程表の全紙が繋がった。
壁三面。深度と時刻と持ち場が、二千人と百基ぶん。どこの誰が、何時にどの一枚へ刃を入れるか。機械がどこで運び、どこで支え、どこを照らすか。全部書いてある。
見上げた職人の列から、声が漏れた。
最初に言ったのは、北の港の白髪の親方だった。
「――芸術だ」
通訳が追いつくより先に、似た響きが十七言語ぶん続いた。
白髪は壁に歩み寄って、自分の升を指でなぞった。氷温の欄。浅層の冷え域。何年ぶりかの出勤簿に、名前が載ってる。
親方は何も足さず、帽子だけ取った。
《いま壁の左上に、うちの親方の名前があった》
《持ち場が書いてあるだけの紙で、なんで涙腺に来るんだ》
《これが全部あの大将の頭に入ってたのか》
《見えない仕事が、初めて見えた》
「大将! 工程表の写真、ガチで世界一周してます! 美術館のアカウントまで引用してます!」
「飾るのは終わってからにしてくれ。まだ生きてる紙だ」
芸術ってのは、買いかぶりだ。
倉庫番を十年やりゃ、誰でも覚える。素材は待ってくれないこと。人には癖があること。段取りってのは、刃の見えない部分だってことをだ。
あの倉庫で、俺の段取りを数えた奴はいない。……いま数えてるのが世界中だってのは、振れ幅が極端すぎると思うがね。
夕方には、葛城さんが承認の束を抱えて来た。
「各国の批准、すべて揃いました。国際作戦の計画書が三日で通った前例は、ありません」
「前例なら、先週も作ったでしょう」
「作りすぎなんですよ、あなたは」
胃薬は今日も一包で済んでいた。回復傾向は続いてるらしい。
厨房側の段取りには、リンの査定が入った。
決行の夜は、通しで二千人ぶんの賄いが要る。寸胴は六つに増えた。予算の稟議は葛城さんが胃を痛める前に通したそうだ。手回しがいい。
「……味見」
「試作の三号だ。塩を振り直した」
人類最強は一口で査定を済ませて、小さく頷いた。八杯の保証は、維持できるらしい。
決行前夜。店は、いつもどおりに開けた。
行列はいつもより長くて、いつもより静かだった。明日の持ち場を確かめながら食う顔ってのは、どこの国でも同じ面構えになる。
閉店間際。カウンターには、リンだけが残った。
俺は指揮卓に持ち込む帳面を検めてた。工程表の写しの、最後の頁。決行のあとの欄だけが、白い。
「……ここ、空白」
「終わったあとの段取りは、書かない主義でね」
「……なんで」
「終わったあとってのは、段取りの外の時間だからだ。まあ、強いて書くなら――」
言いかけた口が、止まった。
丼を抱えたリンの目が、据わってる。八杯目を頼むときの目じゃない。
「……約束は、終わったら、の話」
「いや、俺は店の再開日を書こうとしただけで」
「前倒しは、なし」
人類最強は言い切って、空の丼をこっちへ突き出した。
「……おかわり。大盛り」
「あいよ。前夜の特別料金はなしだ」
白い頁は、白いまま閉じた。書かなくても、あの欄の中身はもう決まってるらしい。俺の帳面じゃないほうでだが。
――段取り八分、仕事二分。残りの二割は、明日の海の底で払う。




