第55話 機械を道具に戻す
閉店後の商談ってのは、厨房の灯りだけでやるに限る。
会議室の照明は、顔に塗るもんが多すぎる。肩書きとか、時価総額とか。うちの灯りの下じゃ、男の顔は「よく食う客」までしか盛れない。
深夜二時。看板の灯は落として、暖簾は中に入れた。カウンターにはミルズと、端末を三つ広げた秘書が座っている。俺は明日の仕込みの続きで、リンは端の席から動かない。護衛なのか、監視なのか、おかわり待ちなのか。たぶん全部だ。
秘書が先に、書類の束をカウンターへ置こうとした。ミルズが手で制した。
「紙は要らん。この男は紙では動かん。……昼の三十分で学んだ」
「話が早くて助かりますよ」
「取引の内容を言う。オート・カーヴァー百基と整備要員四十名を、作戦の間、無償で貴殿の指揮下に置く」
豪気な話だ。世界の解体の七割を回してる機械が、まとめてうちの見習いになる。
「対価は」
「ひとつだけだ。――敗因を、買いたい」
男は帆布の袋から端末を出した。画面に並ぶのは、竜宮で沈黙した先遣隊の稼働記録だ。
「計測項目は九百八十六。手順は貴殿の映像から完全に再現した。それでも素材は崩れた。私のデータには、敗因の欄だけが空白だ」
「敗因を買って、どうします。次の機械に積みますか」
「積む。それが私の仕事だ。……と、昨日までなら即答した」
男は言い直さなかった。言い直さないことが、返事のようだった。
俺は手を拭いて、寸胴の蓋を開けた。出汁の面が静かに揺れてる。
「ミルズさん。うちの厨房で一番の働き者は、どの道具だと思います」
「……包丁だろう」
「冷蔵庫ですよ」
男の眉が、ミリ単位で動いた。
「あいつは文句ひとつ言わず、素材の機嫌を一晩中守ってる。おかげで俺は寝られる。うちじゃ一番の古株で、二番手扱いした覚えは一度もない」
「……人事の話に聞こえるのは、なぜだ」
「さあ。厨房の話ですよ」
機械はいい道具だ、って話は前にした。あの続きを、今夜やる。
「機械が竜宮で負けた理由は簡単でね。あんたが機械を、職人の席に座らせたからだ」
道具ってのは、持ち場で決まる。包丁に飯は炊けないし、寸胴で刺身は引けない。
「オート・カーヴァーを切る席に座らせりゃ二流だ。だが――運ぶ席なら、世界一ですよ」
秘書の端末を借りて、書きかけの工程表を開いた。全周二千人の刃を同時に入れる算段だ。刃の前と後ろに、刃じゃない仕事が山ほど積んである。
「深度ごとの搬入路に十二基。固定枠に三十基。照明と冷却で二十基。残りは危険域の露払いに回す」
「……刃は」
「人間だけ。機械は全部、刃の下ごしらえだ」
うちの賄いと同じ理屈だった。米を研ぐのは機械でいい。飯を炊くのも機械でいい。盛りの塩梅だけは俺が指でやる。客の顔を見るのは、道具の仕事じゃないからだ。
「露払いも同じでね。人間がやれば命が要るが、機械なら部品で済む。部品は詫びなしで補充が利く。……正直に言いますよ。あんたの機械なしじゃ、この作戦は組めない」
沈黙が落ちた。
空調の音。出汁の湯気。リンが湯呑みを置く、小さな音。
「確認する。貴殿は、機械を排除しないのか」
「排除? もったいない。世界最高の運び手と、世界最高の固定具だ」
「私は三十年かけて、機械に職人を代替させた。貴殿はいま、その機械を――」
断定形が、途中で数字に化けた。
「搬入効率、単純計算で従来比四・八倍。固定精度〇・〇二ミリ。危険域の人的損耗、ほぼ零。……工程の空白が、全て埋まる」
男は端末を掴んだまま、口の中で桁を転がし続けた。動揺すると数字が漏れる質らしい。正直な癖だ。刃筋と同じで、癖は嘘をつかない。
「あなたは――機械を、道具に戻すのか」
「戻すも何も。最初から道具でしょう、あれは」
ミルズは答えず、自分の右手を見下ろした。付け根の古傷が、厨房の灯りで白く浮く。
「……三十年前。私の手は、規格に届かなかった。だから、届く機械を造った」
「昼間の三十分を見た限りじゃ」
寸胴の火を、ひとつ落とした。
「届かなかったのは手じゃなく、物差しのほうだと思いますがね」
男は何か言いかけて、やめた。二秒で背筋が戻り、声も断定形に戻った。
「百基の運用系統は切除用に組んである。組み直しには時間が要る」
「四日で頼みたい。賞味期限のある仕事なんでね」
「三日でやる。うちの技師陣は、私が現場を降りてから雇った中で最良だ」
それから男は、締めの一言だけ元のCEOの顔で言った。
「取引は成立だ。百基と四十名、明朝から貴殿の指揮下に置く。敗因の講義は、現場で受け取る」
「授業料なら賄いで前払い済みですよ。丼一杯」
帰り際、リンが俺の袖を引いた。
「……機械も、並ぶの」
「並ばせる。列の整理はガルシアの持ち場だ」
「……ん」
白い機械が包丁袋の列に交ざる図を想像したのか、人類最強は湯呑みの中身を飲み干して頷いた。
翌朝の作戦室は、また満員だった。
機械百基の配置転換は、通訳が三巡するまで信じてもらえなかった。切られた側の職人と、切った側の機械が、同じ工程表に載る。前例って言葉のページが、また一枚めくれた音がした。
ミルズは役人側の席じゃなく、職人席の端に座った。誰も何も言わなかったが、席次ってのはたまに雄弁だ。
工程表の席では、鳴海が端末を三台並べていた。
「機械百基ぶんの持ち場を、人の列の後ろに書き足します。……妙な気分です。並び順が、逆になりました」
「どっちが前でもいい。同じ表に載ってりゃな」
職人席の後ろでは、リズが長いこと工程表を見上げていた。
「ししょう。……機械が、下ごしらえに回るのですね」
「刃の場所が変わっただけだ。お前の一枚は、お前のもんだよ」
葛城さんの胃薬は、今朝は一包で済んでいた。回復傾向らしい。
「では最後に、作戦名を。国際合同作戦には登録名が必要でして。……前例では、星や剣の勇壮な名が並びますが」
星も剣も、うちの棚には置いてない。あるのは寸胴と、研いだ包丁と、世界中の腹ペコだ。
二万の刃が集まってきたのは、どれも誰かの深夜だった。押し入れを開けたのも、砥石に水をやったのも、たぶん夜中だろう。なら看板も、夜に出すのが筋ってもんだ。
俺は貼り紙を書いたのと同じマジックで、登録名の欄を埋めた。
「作戦名――『深夜営業』」
こはくが息を呑む音と、ミラーの弾幕が雪崩れる音は、ほぼ同時だった。
《は?》
《作戦名が屋号》
《開店って言われたら、並ぶしかないだろ》
《世界を救うのに出前の顔で来るな》
《翻訳班、泣くな。そのままでいい》
「大将! いまの登録名、各国の公文書に載りました! ガチで歴史に残る飯屋です!」
「英語読みも要るんだろう。――ミッドナイト・オープン。開店準備に、かかりましょうか」




