第54話 手で払いに来ました
揉め事ってのは、たいてい書類から始まって空から来る。
名簿の最後の一件は、朝の作戦室を三十分で満員にした。各国の回線が、同じ質問を言い方だけ変えて繰り返す。受理か。却下か。売名か、偵察か。
「受理の前例が……いえ、そもそも前例という言葉が追いつきません」
葛城さんは湯で溶く型の胃薬を、朝から二包目に進めていた。
「応募用紙に、社名の欄は作ってませんよ。あるのは腕と、頭の下げ方の欄だけだ」
「その腕の欄が『ブランク三十年』なのですが」
「なら他の二万人と同じだ。実技で見る」
結論が出るのと、甲板が騒がしくなるのは、ほぼ同時だった。
聞き慣れない回転翼の音が近づいてくる。白い機体だ。腹には、世界中の解体師が見飽きた社章が入っている。
「大将! オムニ社です! ミラーの同接、ガチで跳ねてます! 鯖、持ちこたえて……!」
こはくの悲鳴より先に、弾幕が沸いた。
《来やがった》
《宣戦布告か?》
《百基押し付けに来たんだろ》
《株価、また崖です》
《大将、逃げて》
速報の見出しは出揃ってた。『オムニ社CEO、国際調査団へ』。憶測の欄だけが、百通りあった。
ヘリから降りたのは、二人だけだった。秘書がひとり。仕立てのいいコートの男が、ひとり。
機械は一基も降りてこなかった。代わりに男の肩には、使い込んだ帆布の刃物袋が提がっている。
リンが、俺の斜め前に半歩出た。丼の恩は忘れない娘だが、あの夜の客の顔も忘れてない。
ミルズは甲板を見渡した。白い機械の置き場でも探すのかと思ったら、違った。
選抜第一陣の、乗船手続きの列。世界中の港から着いたばかりの、包丁袋の行列だ。その最後尾に、時価総額で国が買える男が黙って並んだ。
《並んだ》
《嘘だろ、並んだぞ》
《CEOが並ぶな》
「レツ、ナラブ。オマエ、サイゴ」
「承知した。最後尾は、初めてだ」
列の整理はガルシアの持ち場だ。岩男は相手の時価総額を知らないのか、知ってて言ってるのか。たぶん後者だ。
列の途中で、空気が一度だけ張った。
ミルズの前に立っていたのは、南の島の年配だった。応募動画で見た顔だ。工房の看板を下ろす場面から、動画が始まる男だった。
振り返った男と、機械の王の目が合った。
誰も、何も言わなかった。男は前へ向き直って、一歩ぶん列を詰めた。ミルズも一歩、詰めた。
言葉より先に払うもんがある。それを知ってる列だった。
受付の台には、鳴海がいた。
人を数字で切ってきた男が、世界で一番多く人を切った男の書類を検める。俺が組んだ配置じゃないが、悪くない配置だった。
「……職歴の欄に、不備があります」
「どこかね」
「『元・技師』。社名がありません」
「書けば、審査に色がつく。君の目の邪魔になる」
鳴海は書類の角を指で揃えた。癖の途中で、手が一度だけ止まった。
「――書類は通します。実技を受けていただきます。試験官は」
「俺だな」
台は厨房の脇に据えた。載せたのは賄い用の海獣の半身。冷凍の甘い、機嫌の難しいやつだ。
実技の前に、刃だけ検分させてもらった。古い刃だ。柄の材だけで年代が知れる。だが錆はひとつも浮いてない。刃線にも、狂いがない。
「研ぎは」
「毎晩だ。……この三十年、会議より欠かさなかった」
仕舞った男の刃じゃない。仕舞いきれなかった男の刃だ。
隣で、リズが小さく息を詰めた。
「……生きています、あの刃。仕舞われて三十年、砥がれ続けた刃です」
声が低い。当然だろう。あの男の白い機械は、この娘の一族の工房を潰した側だ。それでも職人の目は、刃の状態に嘘がつけない。検分係への格上げを、俺は心の帳面にメモした。
リンは検分の間、ミルズの三歩後ろから動かなかった。護衛の職分らしい。守られてるのが俺なのか素材なのかは、聞かないでおく。
「好きに扱ってくれ。時間は三十分」
「結構」
ミルズは素材の前に立ち、まず手のひらを置いた。
一秒。二秒。……四秒。
どこかで見た間の取り方だった。うちの配信の、いちばん古い夜あたりのやつだ。
……包丁はスキャンできない、って話は前にした。スキャンの次は自前の手ときたか。豪気なもんだ。
刃が入る。
遅い。関節が、手順を思い出しながら動いてる。面も粗い。等級なら二等の下ってところだ。右手の付け根の古傷が、灯りの下で白く見えた。
ただ、手のひらを置く長さだけは毎回違った。誰かの平均値じゃなく、目の前の一枚に合わせてる間だ。三十年前の指が、思い出しながら追いついてくる。見てて退屈しない手だった。
三十分の半ばで、男の手が止まった。
左腹の、色の変わり際だ。刃が進みかけて、止まる。ミルズは長いこと黙った。
「――ここから先は、切れば崩れる」
「理由は」
「説明できない。データがない。……ないが、崩れる」
「なら、どうする」
「切らない。以上だ」
空調の音だけが残った。数字の男が、数字の外の答えを口に出すまでの三十年を、誰も邪魔しなかった。
俺は札の代わりに、寸胴の火を入れた。
「合格。配属は追って決める」
弾幕が雪崩れた。
《受かった》
《二等の下で受かるCEO》
《大将の基準、ほんとに一個なんだな》
《先週まで敵だったやつが今日から同僚なの、うちの業界どうなってんだ》
「大将! いまの『合格』、切り抜きが三十秒で世界一周しました! ガチで史上最速です!」
受付台を畳みながら、鳴海が手を止めずに言った。
「……詫びというものは。口ではなく、手で払いに来るものだと――私は、この船で教わりました」
「誰の話だ」
「さあ。名簿の、最後の一件の話です」
角の揃った書類が、箱の一番上に載った。
夜、店を開けた。
列の後ろのほうに、コートを脱いだミルズが並んでいた。
丼を置くとき、手前で一拍だけ湯気を待たせた。あの夜と同じ出し方だ。
「提供温度は」
「測るだけ野暮ってもんですよ」
男は答えの代わりに箸を取った。空になるまで、数字の話はひとつも出なかった。食い方の行儀は、億の商談より丁寧だった。
《CEOが無言で完食してる》
《うちの会社もこの船で面接してくれ》
リンが俺の袖を引いた。
「……あの人にも、出すの」
「並んだ客には出す。うちはそういう店だ」
「……ん」
閉店間際、カウンターには男がひとりだけ残った。
秘書が端末を開いて、次の予定を尋ねる。ミルズは首を振った。
「空けてある。深夜零時からは、そのために空けた」
空の丼が下げられて、男は背筋を立て直した。応募者の顔が、そこで終わる。世界で一番多く機械を持つ男の顔が、湯気の向こうに戻ってきた。
「真壁巧。ここからは、オムニ・マテリアルズのCEOとして話したい」
「閉店後なら、店主も暇ですよ」
「――取引を、持ってきた」




