第53話 世界求人
求人ってのは本来、雇う側が上に立つもんだ。
うちのは逆だ。頭を下げるのはこっちで、出せるもんは飯と現場しかない。それも世界で一番厄介な、海の底の現場ときてる。
診断から一夜明けた母船の会議室は、各国の役人で満員だった。回線の向こうまで数えれば、たぶん立ち見だ。
「募集要項の草案です。資格等級、経験年数、推薦状の有無――」
配られた書類は、めくるだけで指が乾く厚さだった。俺は三枚目で読むのをやめた。
「葛城さん。この様式で募って、何人来ます」
「各国の推計では……百人前後かと」
「二千人要る。接合面は厨房二千軒ぶんだと、昨日言ったはずですよ」
会議室が静かになった。等級持ちの解体師なんて、機械化のあとの世界にそう残っちゃいない。様式が先に、人数を殺してる。
「では、どうなさると」
「要項は一行でいい。――腕は問わない。素材に頭を下げられる奴なら」
通訳より先に、あちこちの眉が上がった。身元は。保険は。審査は。ごもっともな声が机を一周する。
回線の向こうで、白髪の役人が手を挙げた。
「失礼。等級を外して、質の保証はどうなさる」
悪い質問じゃない。だから物差しの話をした。
「等級ってのは、機械化の前の物差しでしてね。いま世界で埃をかぶってる刃の大半は、等級表の外で錆びてる。内側だけ掬っても、二千人には届きませんよ」
「届かなければ?」
「海が腐る。――賞味期限のある仕事なんですよ、これは」
葛城さんが、胃薬の包みを机に置いて立った。
「身元照会と輸送は各国政府が受け持ちます。腕の審査は――前例なら、先月うちの国が作りました」
役人ってのは、前例という言葉で戦う生き物らしい。会議は通った。
散会際、若い通訳が寄ってきて小声で聞いた。
「……本気ですか。腕は問わないというのは。うちの祖父も、昔は港で」
「履歴書より先に、祖父さんの包丁を磨いとけと伝えてくれ」
その晩、店を開けた。
告知は広告じゃなく、うちの流儀でやる。マジックで書いた貼り紙を一枚、カウンターの上に吊るした。
『求人 解体師(人数不問)
腕は問わない。素材に頭を下げられること。
賄い付き。現場は海の底。――まかべ食堂』
「大将、それ国際公文書になるんですけど! 歴史資料館行きなんですけど!」
「字は丁寧に書いた」
「そういう問題じゃないです!」
こはくの悲鳴と入れ替わりに、中継の赤いランプが点いた。育て上げた多言語ミラーが、貼り紙を十七の言語に訳して流していく。
口上は、ひとつだけ用意してあった。
「機械に持ち場を取られた人。工房を畳んだ人。親の道具を、押し入れに寝かせてる人」
カメラの向こうには、時差の数だけ夜と朝が並んでる。
「刃ってのは、腐らせると戻すのに倍かかる。それでも、戻る。うちの若いのが先日、海の底の素材で証明した」
隣で、リズの背筋が伸びた。
「海の底には、あんたらの先輩が数百年前に置いてった仕事がある。その続きをやる。道具は貸さん。――自分の刃を、持ってきてくれ」
言い終わるより先に、弾幕の速度が変わった。
《来た》
《本当に募集しやがった》
《北の港より。親方が納屋の鍵を探しに行った》
《質屋に走る。三年前に流した包丁、まだあるといいが》
《親父の砥石に、いま水をやってる》
《なあ大将。二十年、誰にも要ると言われなかった刃でもか》
最後の一行だけ、流れの中で妙にゆっくり見えた。
「要る。――二千人ぶん、要る」
弾幕が、一拍置いて雪崩れた。文字の壁で画面が白くなるのを、初めて見た。
「大将! ミラーのサーバー、いま三回目落ちました! 求人で鯖が落ちるの、ガチで史上初です!」
「直るのか」
「直します! こんな面白いの、止めたら配信者じゃないです!」
「あと、賃金は各国政府と交渉中だ。うちが確約できるのは賄いだけでね。ただし味は、人類最強が八杯食う程度には保証する」
《待遇の基準がおかしい》
《八杯は保証じゃなくて戦績だろ》
朝までに、応募は二万を超えた。
届くのは履歴書じゃない。動画だ。
動画は、どれも似た場所から始まる。押し入れ。納屋。質屋の棚。仕舞われた場所は違っても、袋の埃の払い方が同じだった。
港の氷の上で、白髪の親方が刃を研ぎ直していた。手つきに迷いがない。ブランクってのは、どうやら腕からじゃなく目から抜けるらしい。
別の一本では、小さな子が包丁袋を抱えてくる。受け取った男が、カメラに深く頭を下げた。字幕は、いらなかった。
倉庫の十年、俺の指一本は誰にも数えられなかった。世界にはその指が、二万本ぶん埃をかぶってたわけだ。
……数えなかったのは、世界の側の落ち度だよ。
「真壁さん。応募が、いま二万四千を……。輸送船の手配が、その、前例の」
「前例なら、これから作るんでしょう」
「……ええ。まったく、あなたと仕事をしていると」
葛城さんは言いかけて、湯で溶く型の胃薬を呷った。胃痛同盟の、北の国の成果らしい。
仕分けの山の前に立ったのは、鳴海だった。
「工程表は私が組みます。……選別の基準を、様式に起こしますか」
「書けるのか。素材に頭を下げられる、を」
「書けません。ですから、映像の手元だけを先に見ます。数字は、そのあとで」
十年、数字で人を切ってきた男の目が、逆向きに回り始めてる。悪くない配置転換だ。
リズは翻訳係に収まった。古い職人語彙は、辞書より娘のほうが正確だ。
「ししょう。この方の『一枚』は、本物です。手の置き方が、帳面の九人目と同じです」
「なら通せ」
ガルシアは応募の箱を運ぶ係と、賄いの味見係を兼任している。
「ハコ、ジュウ。アジミ、ヒトツ」
味見の回数は諦めた。運び賃だ。
リンは丼を洗いながら、ぽつりと言った。
「……行列、伸びる」
「だろうな」
「……鍋。増やして」
「船の予算と相談してくれ」
交渉相手を間違えてる気もするが、あの目は引かない目だ。
二日目には、選抜第一陣が各国の港を発ったと報せが来た。埠頭の映像には、包丁袋の列。見送りの家族。誰かの口笛。
――切られた側の出勤簿に、いま世界中で判子が戻ってる。
三日目の夜だった。
鳴海が端末を持って、カウンターに来た。仕分けの済んだ名簿の、最終頁が開いてる。画面を持つ指が、角を揃える癖の途中で止まっていた。
「真壁さん。応募の……最後の一件です」
覗き込んだ。
所属の欄は、空白。職歴の欄には、一行だけ。
『元・技師。ブランク三十年』
装備の欄には、こうあった。――自前の刃、持参。
名前の欄を読んで、俺は丼を拭く手を止めた。
――ヴィクター・ミルズ、五十二歳。




