第52話 核は二つある
悪い報せってのは、締めの後に来ると相場が決まってる。
宴の皿を洗い上げた手のまま、俺は作戦室に立っていた。甲板の賑わいは消えている。円卓の胃薬も、無言大盛りの丼も、置き去りのままだ。
『繰り返します。核が――二つ、あります』
深部観測班の若い声は、まだ掠れたままだった。葛城さんがスピーカーの音量を上げる。
「様式に収まらない、というのは」
『映像を送ります。……見てもらったほうが、早いので』
主画面に、深部の映像が流れ始めた。
大空洞だ。観測灯の白い光が、底まで届いていない。
その中央に、それはいた。
半分は、知ってる顔だった。「胃袋」の底で会ったやつと同じ光り方だ。ゆっくり膨らんで、ゆっくり縮む。仕込み前の生地みたいな、いい脈だった。
問題は、もう半分だ。
灰色の塊が、光る核の横腹に張り付いている。同じ形。同じ大きさ。ただし光らない。脈も打たない。
双子の片割れが、石になってる。
《なにこれ》
《核……だよな、これも》
《片方、色が死んでる》
中継は生きていた。世界同時の弾幕が、画面の端で速度を落としていく。
『健康な核と灰色の塊は、癒着しています。接合面から、灰色側の何かが広がって――』
観測班の声に合わせて、カメラが寄った。
接合面。光と灰色の境目に、霜が走っていた。
見覚えのある霜だった。蟹の断面で拾った、あの灰色が、境目から光る側へ細い指を伸ばしている。
なるほどな。生き腐れの大元は、ここか。
「葛城さん。潜行艇はまだ温かいですか」
「……真壁さん。規定では、追加潜行の承認には半日の」
「映像じゃ診断を下せない性分でね。触診の許可を」
葛城さんは端末を握ったまま、三秒黙った。役人の三秒は長い。
「――護衛同伴、中継の常時接続。それから」
「それから?」
「無茶の前には、一声ください」
いい役人だよ、あんたは。
二度目の潜行は、道順を覚えてるぶん早い。
艇の中で、リンは俺の隣にいた。視線は俺の膝の上、包丁袋の紐に落ちている。
「……また、撫でてる」
「刃物と話す性分でね」
「……それも、前に聞いた」
対面ではガルシアが腕を組んで目を閉じている。岩男の仮眠は、置物と区別がつかない。
深部の大空洞は、映像より寒かった。
温度の話じゃない。匂いの話だ。竜宮に入った日からずっと留守番だった俺の鼻が、ここで初めて仕事をした。
微かに、饐えてる。
火を落として長い厨房の、その奥の――冷蔵庫の裏の匂いだ。
核は、近くで見ると建物ほどもあった。光る半分の脈が、空洞の空気ごとゆっくり押してくる。
「デカイ。シンゾウ、フタツ」
「片方は、もう心臓じゃない。……二人ともここで待て。この先は、体重を掛けていい床か分からん」
リンが半歩出かけて、止まった。護衛の職分と俺の仕事の、線の上だ。
「……三歩で戻れる場所に、いて」
「ああ。約束する」
『真壁さん。通常、核への接触は――』
「触診の許可は、もらってますよ」
許可の中身の解釈で揉めるのは、あとにしよう。
光る核の面に、手を置いた。
温い。脈が手のひらを押し返してくる。中で何かが休みなく働いてる、いい振動だ。生きてる素材の手応えってのは、何百回味わっても飽きがこない。
そのまま、境目へ手を滑らせる。
脈が、細くなる。温度が、抜けていく。
灰色に指が乗った瞬間、手応えが消えた。
石じゃない。氷でもない。押し返してこないだけだ。蟹の甲羅と同じ、中で死んでる沈黙だった。
境目の霜を、指の背でなぞる。
霜は、光る側の脈に合わせて薄く伸びていた。ひと脈打つごとに、一枚ぶん染みる。健康な半分が、自分の鼓動で毒を吸い上げてる寸法だ。
……趣味の悪い作りだよ、まったく。
『――診断を、お願いします』
葛城さんの声が、全体回線で降ってきた。同接の桁は、見ないことにした。仕事の邪魔になる数字だ。
「まず、いい報せから。この核は生きてる。脈は太い。芯もまだ健康だ」
《おお》
《よかった……のか?》
「次に、悪い報せだ。横に張り付いてる灰色は、死んだ核だ。それも、ただの死骸じゃない。腐りながら、生きてる方に染みてる。階層の生き腐れも、海の崩れも、大元はこの接合面だ」
『……対処は、可能ですか』
「切り分けるしかない。腐った半身を、生きてる半身から外す。理屈だけなら、うちの店の毎晩の仕事と同じだ」
そこで言葉を切った。ここから先が、様式に収まらない部分だ。
「ただし、患部の広さが違う。接合面は目測で――うちの店の厨房の、およそ二千軒ぶん」
回線の向こうが、静かになった。
「腐りは脈に乗って染みる。だから切除は全周から、同時に入れなきゃ意味がない。一箇所ずつ剥がせば、剥がした先から染み直す。……そして刃一本が受け持てるのは、いつだって目の前の一枚だけだ」
誰も、何も言わなかった。弾幕まで止まっていた。
言っちまえば、簡単な話なんだ。
「――俺一人の刃じゃ、面積が足りない」
石板の八人は、数百年前にここまで来てたんだろう。挑んで、届かなかった。それでも次の誰かのために、刻んで帰った。
これ以上は、ひとりの刃では届かない。
あれは泣き言じゃない。引き継ぎ書だ。
『ししょう』
回線に、リズの声が割り込んだ。母船からだ。
『帳面に、続きがありました。九人目が最後の頁に書いています。――「届く日は来る。刃の数だけ、届く」』
……いい帳面だ。読みどおりだよ、九人目。
『大将。回線、ぜんぶ生きてます。……全世界です』
こはくの声は、いつもの軽さを置いてきていた。ちょうどいい。
俺は核から手を離して、顔を上げた。
中継カメラの赤いランプが、深海の暗がりでひとつ灯ってる。あの向こうに、時差の数だけ夜と朝が並んでる。北の港の親方も、工房を畳んだ誰かもいる。死んだ親父の手つきを、覚えてる誰かも。
深夜営業の店主として、こんな注文は初めて出す。だが口上なら、もう決まってる。
「聞こえてるか。――世界中の解体師を、貸してくれ」




