第47話 人類最強と不倒
「死にかけ」と口にした後の現場ってのは、通夜と棚卸しの中間みたいな空気になる。
観測班は広間に残って検体の回収を続け、母船は解析に潜った。母船の解析班は、あの腐りに「壊死」と名前を付けたらしい。俺に下りた指示はひとつだけ。壊死の範囲を測るため、浅層をもう一区画だけ見て回ること。
護衛はリンとガルシア。世界一位と大陸序列一位だ。屋台の常連二人がそのまま人類の最高戦力って編成に、俺はまだ慣れない。
出がけに、リズが袖を引いた。
「ししょう。わたしも、お供を」
「お前は検体番だ。観測班に砂の掬い方を教えてやれ。匙は横からだ」
「……一枚ずつ、ですね」
娘は頷いて持ち場へ戻った。鳴海は何も言わず、俺の包丁袋に予備の砥石を差し込んだ。ああいう気の回し方だけは、十年前から変わらない。
ガルシアが先頭で、俺が真ん中、リンが後ろ。挟まれてる俺は、さぞ上等な素材に見えるだろうな。
「……足元。砂、増えてる」
「踏むと締まらない砂だ。急ぐときは柱の根元を踏め。あっちはまだ芯が残ってる」
「リョウカイ。ハシラ、フム」
歩くほどに、柱の灯りは減っていった。行灯の切れかけた飲み屋通りだ。壊死ってのは、奥ほど進んでるらしい。
通路を二本抜けた先は、天井の低い回廊だった。真珠層の壁が近い。硝子の向こうの海も近い。水圧の気配が、鍋蓋一枚向こうにある。
――で、鼻が久しぶりに仕事をした。
匂いだ。この竜宮に入って初めての、生き物の匂い。
濡れた市場の、朝一番のあれだ。
「止まってくれ」
二人が同時に止まった。振り返りもしない。いい客は注文が早い。
「……何か、いる」
「いる。しかも死にかけじゃない。生きてる匂いだ」
「イキテル。ゴチソウ、デスカ」
「向こうがこっちをそう見てなきゃな」
言い終わる前に、壁が膨らんだ。
真珠層が内側から爆ぜる。白い破片。水は来ない。来たのは殻だ。
海老だった。軽トラを三台縦に繋いだような、鎧海老。
鋏が上がる。速い。
襟首が後ろへ飛んだ。リンに引かれたと理解したのは、景色が二間ぶん流れた後だ。
直後、さっきまで俺がいた床へ鋏が落ちた。砂が爆ぜる。柱が一本倒れる。
『大将! 無事ですか! 同接ガチで跳ねて――じゃなくて、逃げてください!』
イヤホンの向こうでこはくが叫ぶ。逃げるも何も、出口は今あの海老の後ろだ。
ガルシアが前に出た。
受けた。剣も盾もなしだ。組んだ両腕で、軽トラ三台分の突進が止まる。踵が砂を噛む。二寸滑って、止まった。
「モンダイ、ナシ」
「不倒」の看板は伊達じゃないらしい。
《壁ァ!!》
《素手で受けたんだが??》
《人類最強と不倒が同じ画面にいる》
《大将は下がって! どう見ても食材側!》
言われなくても下がってる。柱の陰から、俺は俺の仕事をしていた。
殻を見る。職業病だ。
照りは上物。だが色が浅い。継ぎ目の線が白すぎる。それに、暴れ方に余裕がない。
リンが海老の背を駆けた。一閃。刃が甲殻の上で嫌な音を立てて滑る。
「……硬い」
「表だけだ。焦らなくていい。あれは脱皮明けだ」
「……硬いのに?」
「焼き物と同じで、硬いのは表面だけってことがある。鋏の付け根を見ろ。線が白いだろう。あそこは皮一枚がまだ柔い」
説明の途中で尾が薙いだ。リンは宙で身を捻って、俺の隣に降りる。着地の音がしない。相変わらず出来のいい体だ。
「……付け根。二か所」
「ああ。左右まとめてやるなら、正面で三秒欲しいところだな」
「ガルシア」
「サンビョウ。ナガイ。ヨユウ」
岩男の腕の組み方が変わった。受けから、掴みへ。
鋏を抱え込む。海老が暴れる。床が波打つ。硝子の天井がびりびり鳴いた。
それでも岩は、一寸も下がらなかった。
白い線が走った。
リンの剣筋は、俺の目でも追い切れない。ただ、通った場所だけはわかる。左右の鋏の付け根。脱皮線の、皮一枚の下。
鋏が二本、同時に砂へ落ちた。
三秒目。海老は静かになっていた。
《おわった》
《3秒で終わった》
《解説付き討伐とか初めて見た》
《大将、実況しながら急所出すのは何?》
『……はい、ガチのほんもの二連発でした! あと大将、今の指示、切り抜かせてください!』
「指示じゃない。ただの目利きだ。市場なら誰でもやる」
『やりません!』
通信に葛城さんが割り込んできた。
『真壁さん、交戦報告が――ご無事ですか。規定では、護衛対象は交戦時に後方十メートル……』
「二十は下がってましたよ。引っ張られて」
『……規定より安全で何よりです』
声の途中で、包みを破る音がした。あの人の胃薬の在庫が心配になってきた。
倒れた海老に近寄って、殻の継ぎ目から中を覗く。それで大体わかった。
殻は立派だが、中の身が痩せてる。胃袋のあたりは、ほとんど空だ。
「腹が減ってたんだな、こいつは」
「……ごはん、なかった?」
「この階層の生き物はあらかた砂だ。餌場ごと消えてる。そこへ、生きてる匂いが三人ぶん通りかかった」
リンが海老を見下ろした。剣を納める手が、いつもより一拍遅い。
「腹を減らした奴が一番危ないのは、市場でも厨房でも同じだ」
俺は二人を見た。
「で、その一番危ないのが正面から来て、この始末だ。いい仕事だった。夜食は大盛りにしておく」
「……特盛り」
「トクモリ、ワタシモ」
「交渉のときだけ息が合うんだな、お前らは」
それから、妙な間があった。
リンがガルシアを見る。ガルシアがリンを見る。世界一位と序列一位が、砂の上で見合ったまま黙っている。
「……イマノ、ケン。ハヤイ」
「……盾も。硬かった」
以上、閉会。最強同士の褒め合いは、うちの原価計算より短い。
《これが頂上会談……》
《会話のカロリーが低すぎる》
《でも次も勝てる気しかしなくなった》
弾幕だけが勝手に祝勝会をやっていた。まあ、用心棒が常連ってのは、屋台には過ぎた保険だよ。
――で、本題はここからだった。
海老の突進で崩れた壁に、何気なくライトを向けた。真珠層の奥に、闇が続いている。
空洞だ。奥行きが見えない。
手前に、白い骨が横たわっていた。何かの魔獣の背骨だろう。長さは今の海老の倍はある。
その骨の表面に、線が走っていた。
一本じゃない。何十本もある。角度が揃っている。深さも揃っている。
波の仕事じゃない。崩れの仕事でもない。俺はこの線の引き方を知っていた。毎晩、自分の手でやってるからだ。
刃の入りに、返しの癖まで残っている。無駄のない、綺麗な仕事の痕。
――解体痕だ。それも、人の包丁の。




