第42話 選抜試験
試験官ってのは、俺の人生で一番似合わない肩書きだと思う。
港の第三解体場。借り切った台が二十。壁の垂れ幕には国際調査団の紋章が下がって、俺の腕には「試験官」の腕章が巻かれている。
十日前、葛城さんに拝み倒された。「竜宮の素材に触れる人間を、あなた以外の基準で選べません」。断る理由を三つ用意していたのに、頭を下げる速度のほうが早かった。役人ってのは、ああいうところだけ職人だ。
「大将、映ってますよー。ダンジョン庁公認、国内選抜の公式中継です!」
三脚の向こうで、こはくが手を振る。
《試験官が一番落ち着かない顔してる》
《飯屋の大将に審査される国家選抜とは》
《歴史の教科書に載るやつだろこれ》
うるさい。落ち着いてる。前掛けじゃないから肩が凝るだけだ。
受験者は全国から二百十七人。枠は二十。書類は葛城さんが捌いて、実技がうちの担当だ。
試験の説明は、一行で済ませた。
「台の上の素材を、好きに扱ってくれ。時間は一人三十分。以上」
ざわめきが、さざ波みたいに広がった。課題も採点表も配らなかったからだ。
配りようがない。俺が見たいものは、紙に書ける類のもんじゃない。
台に載せたのは、わざと状態のばらけた素材だ。冷凍の甘いやつ。締めてから時間の経ったやつ。傷の入ったやつ。全部、竜宮の予行になる。あそこの素材は、待ってくれないらしいからな。
午前の部で、よく分かった。
三人目の男は、速かった。刃筋も綺麗だった。会場がどよめくくらいの腕だ。
だが、駄目だった。
「この右腹、なんで面に混ぜた」
「え……見栄えが、そのほうが」
「傷んでる。食えば分かる程度にはな」
男の顔から色が引いた。腕は本物だ。ただ、素材より採点者を見て剥いでいた。竜宮で同じことをやれば、崩れるのは素材だけじゃ済まない。
逆もいた。五十絡みの、手の遅いおっさんだ。時間内に半分も剥けなかった。だが台に着くなり、まず素材の傷を全部確かめた。剥けない分は、剥かずに理由を言った。
「時間内に終わらんです。急げば、面を潰すんで」
「合格。次」
会場が、今日一番ざわついた。
《え、今の受かるの!?》
《速い人落ちて遅い人受かった……》
《採点基準、マジで何なんだ》
昼休み、葛城さんが胃薬の包みを開きながら寄ってきた。
「真壁さん。技術点の上位者が、軒並み落ちています。前例がありません」
「うちの基準は一個ですよ」
「伺っても」
「素材に、頭を下げられるかどうか」
葛城さんは手帳にペンを走らせかけて、止めた。書類にできない基準だと気づいた顔だった。すまんとは思う。だが海の底で効くのは、点数よりそっちだ。
午後の一番手が、リズだった。
順番を待つ列の中で、娘は背筋を伸ばしたまま動かなかった。目が合うと、口の形だけで「ししょう」と動く。
「試験官、だ」
聞こえない距離で訂正しておいた。
台に載ったのは、解凍ムラの入った大物だ。リズは一礼して、双頭の鷲の包丁を抜いた。先週、俺が研ぎ直した刃だ。灯りの下で、ちゃんと飯を食った顔をしてる。
リズは素材に両手を置いて、長いこと黙った。
「右半身は、今日は諦めます」
「理由は」
「無理に剥げば、面が割れます。刃も痩せます。左を一枚、いただきます」
持ち時間三十分で、剥いだのは一枚だけ。ただしその一枚は、絹だった。
「合格。次」
リズの背筋が、一瞬だけ跳ねた。振り向かずに一礼して、台を降りていく。振り向かないのは、たぶん顔のせいだ。見なかったことにしてやる。
《一枚だけで受かった!?》
《量じゃないんだ……》
《なんかこの試験、人生って感じがする》
弾幕が勝手に悟りはじめた頃、最終組が入場してきた。
列の最後尾に、泥だらけの男がいた。
作業着の膝から下が、乾いた泥で固まってる。夜行の乗り継ぎ前に、朝の持ち場を済ませてきた泥だ。落とす時間より、持ち場を選んだらしい。
鳴海だった。
会場の隅で、リンのフードがわずかに動いた。あの夜の店の空気を、覚えてる目だ。俺は寸胴でも見る調子で、次の札をめくった。
「番号八十八。台へ」
「はい」
鳴海の台には、一番厄介なやつを載せてあった。輸送事故で丸一日、常温に置かれた海獣。半分はもう戻らない。
偶然じゃない。俺が置いた。
詫びってのは、口で受け取っても仕方がない。手で見せてもらう。それだけの話だ。
鳴海は素材の腹に手を置いた。右を押して、左を押した。
「右は、駄目です。左は――まだ、仕事になります」
「なら、なんで突っ立ってる」
どこかの親方みたいな台詞が、勝手に口から出た。
それから三十分、男は左半身だけに刃を入れ続けた。
速くはない。面も絹には遠い。だが急ぐところと待つところの呼吸が、価格表じゃなく素材のほうを向いていた。
終わって、鳴海は手より先に包丁を拭いた。借り物の包丁だった。
「以上です」
「……研ぎは」
「八割です。言われた通りに」
「なら、いい。合格。次」
それだけだった。それだけで済むように、札はすぐめくった。会場の誰も、俺たちの十年なんて知らなくていい。
リンはもう、台のほうを見ていなかった。こはくのカメラだけが律儀に全部拾ってやがった。あとで編集しろと言っておく。
日が落ちて、合格者二十人の名簿が封筒に収まった。リズ。鳴海。あとは全国の、素材に頭を下げられる連中だ。
悪くない船になる。そう思いながら現場を畳んでいた矢先だった。
「大将……これ、やばいです」
こはくが端末を突き出してきた。声から、いつもの軽さが抜けてる。
速報の見出しが並んでいた。
『オムニ・マテリアルズ、竜宮遠征へオート・カーヴァー100基の無償提供を発表』
『ミルズCEO「善意の提供だ。使うかどうかは、現場が決めればいい」』
映像が切り替わる。どこかの港のクレーンが、白い機械の列を貨物船へ吊り上げていく。
隣で葛城さんが、新しい胃薬の封を切った。
《は? 100基?》
《無償って、もう宣戦布告では》
《人間の選抜、要らなくならない……?》
弾幕の最後の一行が、消えずに残った。
こっちは一日かけて、二十人を選んだ。
向こうは会見一本で、百基を積んだ。
――どっちが要るかの証明は、もう始まってるらしい。




