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クビになった解体屋のおっさん、深夜のS級素材解体配信が人類最強に見つかる 〜まかない飯を出してたら、俺を切った大手クランが勝手に曇っていく〜  作者: さくらろ
第二部 世界同時大解体

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第41話 地方解体場の朝


 北の朝は、時報より先に匂いで来る。


 潮と、鉄と、魔獣の脂。夜明け前の解体場に立つと、その三つが一度に来る。鳴海蓮司の一日は、排水溝さらいから始まる。


 場で一番下の仕事だ。誰も奪い合わない。だから、遅れようがない。


 二十九歳の「新入り」だ。年下の先輩が六人いる。最初の月は、名前すら呼ばれなかった。呼ばれる必要のある仕事を、していなかったからだ。


 初日、親方は言った。


「うちの倉庫は地下二階じゃない、吹きさらしだ」


 その通りだった。壁のない解体場では、手を止めた人間から冷えていく。


 排水溝をさらい、台を磨く。ヴァンガードの会議室では、これらは全部「間接費」と呼ばれていた。いまは名前が違う。仕込み、と呼ぶ。


 ヴァンガードにいた頃は、朝一番の倉庫の灯りを「光熱費」の欄で見ていた。その男がいま、自分の手で灯りを点けている。


 スイッチは、指一本だった。


 あの男は十年、この指一本を誰にも数えられないままでいたのか。


 考えかけて、やめる。資格の計算を始めると、手が止まる。手が止まると、研ぎが遅れる。この場では、それだけが罪だ。


「新入り。三番台、開けろ」


 親方の声は、吹きさらしの風より短い。


「はい」


 返事が出るようになったのは、二月目からだ。最初の頃は、声より先に一拍あった。指示を受ける側の呼吸を、体が忘れていた。


 手も変わった。剣を握っていた頃の豆の上に、研ぎの豆が重なって潰れた。風呂で見るたび、知らない男の手になっていく。悪い気は、しなかった。


 三番台に載っていたのは、輸送中に冷凍の切れたC級の海獣だった。港の事故で丸一日、常温に置かれたらしい。


「廃棄ですか」


 親方の眉が、わずかに動いた。


「――また数字の顔になったぞ、新入り」


「……すみません」


「捨てるかどうかは、帳簿に訊くな。素材に訊け」


 訊けと言われても、耳のつけ方を教わっていない。


 鳴海は手袋を替え、海獣の腹に手を置いた。教わった通りに脂の硬さを確かめる。教わった通りに膜の色を見る。ここまでは手順だ。手順は、裏切らない。


 腹の右半分は、駄目だった。押した指の戻りが遅い。


 だが左は――押した指を、押し返してきた。


 手が、止まった。


 手袋越しなのに、押し返された感触だけが残る。


 死んでいる。それは分かっている。分かっているのに、左半分の張りは、まだ何かを差し出そうとしている手つきに見えた。冷たい台の上で、半身だけが行儀よく順番を待っている。


 ――素材が泣いてる。


 あの男の口癖を、鳴海はずっと符牒の類だと思っていた。原価意識の対義語。感傷というコスト。会議で聞き流すための言葉。


 符牒なら、聞き流せた。数字に翻訳できない言葉は、会議室では存在しないのと同じだったからだ。


 違うのかもしれなかった。


 泣く、の意味はまだ分からない。ただこの台の上に「間に合う側」と「間に合わなかった側」があることだけは、先に手が分かってしまった。


 背中で、親方が鼻を鳴らした。


「顔が変わったな。――で、どうする」


「右は駄目です。ですが左は――」


 数字で続けかけて、言葉を選び直す。


「……左は、まだ、仕事になります」


「なら、なんで突っ立ってる」


 それから四時間、鳴海は左半身だけを剥いた。


 水気は抜け始めていた。急げば面が割れる。急がなければ腐りが追ってくる。速度の決め方を価格表の外で考えたのは、たぶん人生で初めてだった。


 借り物の包丁は、昨夜のうちに研いである。八割で。餞別の砥石をもらった夜からずっと、あの人に言われた通りだ。


 十割の刃は、十割の腕を要求してくる。いまの自分が振り出せる手形じゃない。


 剥き終えた面は、絹には程遠かった。それでも検品場の若いのが二度見した。


「これ、ほんとにあの半腐れですか」


 鳴海は答えず、包丁を先に拭いた。手より先に、道具。ここに来て最初に、殴られるように覚えた順番だった。


 昼前、親方が台を一瞥して言った。


「今日のは、拾えたな」


 それだけだった。査定でも評価でもない。ただの事実の確認だ。


 なのに、四時間分の肩の重さが少し軽くなった。数値化できない報酬というものを、この場に来て初めて帳簿の外で受け取っている。


 昼休み、食堂のストーブの前で、湯気の立つ定食を湯気のあるうちに食った。


 この癖は、あの店で覚えた。


 食い終わる頃、事務の婆さんが郵便を寄越した。


 差出人の名前を見て、箸を置く。ヴァンガードで自分の隊にいた男だった。解散のあと、中堅クランへの移籍が決まったはずの。


 『胃袋』の中層で、罠に足を持っていかれかけた男だ。止血の順番を、あの人に決めてもらった側の一人だった。


 便箋は一枚。字は、報告書の頃より濃かった。


『移籍先で、素材管理を任されています。鳴海さんの工程表は、いまも使っています。上からは古いと笑われますが、搬送事故はうちの班だけゼロです。


 クラン再建は、諦めていません。あの看板をもう一度と言っているのは、自分だけではありません。


 その時が来たら、真っ先に連絡します。ですので――』


 ですので、の先は一行空いていた。


『研ぎ、続けていてください』


 工程表。事故ゼロ。数字の並んだ手紙のはずなのに読み方が分からなくなって、鳴海は二度読み返した。


 便箋を二つに畳む。几帳面に角を揃えかけて――やめた。


 揃わないまま、胸ポケットに入れる。色の浅くなった写真の、隣だった。


 返事は書けなかった。


 「待っている」と書けば嘘になる。「無理だ」と書けば、もっと嘘になる。


 払うものを先に払ってからだ。口じゃなく、手で。


 夕方、道具を洗って上がると、掲示板の前に人だかりができていた。


「竜宮って、あの海溝のやつだろ。素材が、触った端から崩れるって」

「世界中から解体師を集めるらしいぞ」

「腕に覚えのある奴は受けてみろ、だとよ。――どうする?」


 若い連中の声が跳ねる。


 鳴海は人垣の後ろから、真ん中の紙を見た。国際調査団の紋章と、ダンジョン庁の判。


『特異ダンジョン「竜宮」遠征 国内解体師・選抜試験のお知らせ』


 要項を、上から順に目で追う。


 一番下の行で、止まった。


『試験官:真壁巧(特級解体師)』


 人だかりが引いた後も、鳴海はその場を動けなかった。


 背後で、砂利を踏む音。


「――受けるのか」


 親方だった。


「……私に、資格があるかどうか」


「試験ってのは、それを決めるためにある」


 それだけ言って、親方は事務所のほうへ消えた。


 風が、掲示板の紙を鳴らした。


 胸ポケットの中で、角の揃っていない便箋が、かさりと動いた気がした。


 ――詫びの払い先が、向こうから貼り出された。

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― 新着の感想 ―
剣士だけやってりゃ良かった人なんだな 野戦指揮官に高級将校させたのが間違いだった
なんだかんだ巻に入った様な展開だなこの話は面白いから長く続いて書籍が出るまでになって欲しいな。
天才剣士のセンスは伊達ではないと。 こういうのも嫌いではないです。 この人は、なまじ、経営者的な才覚も有ったのが良くなかったかも知れませんね。
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