第40話 職を失くした刃
噂ってのは、客層を変える。
十億の男が来てから一週間。うちの行列には、毛色の違う客が混ざるようになった。経済誌の記者。素材商社の営業。どいつも丼じゃなく、俺の口を狙ってる連中だ。
《大将、今日も取材お断り?》
《断り方が毎回同じで草》
《「売り物は丼だけだ」もう定型文だろ》
定型文で済むなら、それに越したことはない。
開店前には、こはくが端末片手にまくし立てていった。
「ミルズの『竜宮宣言』、海外でやばい騒ぎです。オムニ社の株は上がるし、解体師の組合は抗議声明出すし。大将、完全に当事者ですからね?」
「俺は丼を売ってただけだが」
「その丼が国際問題の火種なんですよ……」
で、その夜の行列の先頭に、そいつはいた。
開店は深夜零時。並び始めたのは、こはく情報だと夕方の五時らしい。七時間待ちだ。うちはテーマパークじゃない。
でかいリュックを背負った、外国の女の子だった。銀縁の眼鏡に、着古したワークジャケット。年の頃はこはくと同じくらいか。
「いらっしゃい。何にする」
「一番、安いものを」
流暢な日本語が返ってきた。
切れ端丼を出した。S級の切り落としを賄いダレで和えただけの、看板に載せてない一杯だ。七時間並んだ客に出す品じゃないが、値段で選ぶ客の財布は尊重する主義でね。
湯気で眼鏡が白く曇った。女の子は眼鏡を外して、拝むように両手を合わせた。
一口目で、動きが止まる。二口目からは、止まらなかった。
……食い方で、わかることがある。
箸は危なっかしい。なのに、肉の繊維には逆らわない。切れ端の断面を裸眼でじっと見て、それから口に運ぶ。味わう前に、まず仕事を見る食い方だ。
丼が空になった。女の子は立ち上がって、深々と頭を下げた。
「弟子に、してください」
カウンターの端で、リンの箸が止まった。岩は止まらなかった。ぶれない男だ。
「うちは飯屋だ。弟子って何のだ」
「解体です。わたし、リーゼロッテ・ヴァイスといいます。ヴァイス工房の、十四代目です」
ヴァイス。聞き覚えがあった。欧州の魔獣素材に入る焼き印だ。昔、何度かうちの倉庫にも回ってきた。いい仕事だった。剥ぎの面が、絹みたいに揃ってた。
「工房は、去年、潰れました」
女の子は――リズは、淡々と続けた。
「オート・カーヴァーが、隣町に入りました。速さは向こうが上です。値段も。仕事が、月ごとに減りました。父は職人を五人、切りました。それでも足りなくて、最後は工房ごと」
平らな言い方だった。ああいうのは、痛みがないからじゃない。数え切れないほど繰り返して、すり減った言い方だ。
《おい待て。泣くなよ俺》
《機械に職場取られる話、他人事じゃない》
《うちの工場も似たようなもんだった》
弾幕が、妙に静かに流れた。深夜の客層ってのは、こういう話に弱い。俺も含めてだ。
「配信を見ました。あなたの剥ぎは、うちの祖父と同じ手順でした。祖父より、きれいでした。だから来ました。飛行機代で、全財産の八割が消えました」
「残りの二割は」
「今、丼になりました」
後ろでこはくが変な声を出した。俺は寸胴の火加減を見た。
……こういうのが、一番困る。
「悪いが、弟子は取らない主義だ」
「なぜですか」
「教えるほど大層なもんがない。うちにあるのは研いだ包丁と経験だけだ。そういうのは教わるもんじゃなく、盗むもんだ」
「では、盗みに通います」
即答だった。
リンが丼から顔を上げて、リズを見た。品定めの目じゃない。同類を見つけた目に近かった。
ガルシアが、翻訳機を突いた。
「コノ子、目ガ、飢エテル。イイ飢エ方」
「お前の基準は全部胃袋か」
岩の批評は聞き流して、俺は娘に向き直った。
「で、宿は」
「これから探します。安いところを」
全財産が丼になった娘の「これから」ほど、あてにならない言葉もない。
「賄い、食ってくか。どうせ余る」
「いただきます」
これも即答だった。
「……豚汁も」
リンが横から口を挟んだ。自分の注文と同じ調子で、他人の飯を増やしてくる。
翌日の夜も、リズは列にいた。待ち時間は三時間に縮んだらしい。学習はしている。
閉店後、頼んでもいないのに洗い場に立った。皿の扱いが、うちの誰より丁寧だった。追い出すのも億劫で、賄いを出した。
その翌日も、いた。三日目には、ガルシアの隣が指定席になっていた。岩と娘が並んで丼をかき込む姿は、なんというか、絵面の暴力だった。
《国際色豊かな深夜飯》
《あの子、もう店の一部では?》
《雇ってないのに居るのが強い》
「雇ってない。居着かれてるだけだ」
《野良猫の理屈きた》
否定できないのが痛いところだ。リンは何も言わなかった。ただ、リズの丼が空くたびに俺へ目配せを寄越した。大盛りにしろ、の合図だ。人の店で餌付けを覚えるな。
四日目の閉店後だった。
洗い場を上がったリズが、リュックから細長い包みを出した。油紙を三重に巻いてある。
「ししょう。見てもらいたいものが」
「師匠はやめろ。まだ何も教えてない」
「では、店主。研ぎを、お願いできませんか。お代は、働いて払います」
油紙が、一枚ずつ解かれていく。
中身が見えた瞬間、俺は手を拭いていた。無意識だった。汚れた手で触るもんじゃないと、手が先に決めていた。
古い包丁だった。柄は替えた痕が幾つもある。柄尻には双頭の鷲の焼き印。刃は――細い。元の身幅の、半分もない。
何十年も研ぎ減らして、それでも現役を張ってきた刃だ。
「一族の包丁です。曾祖父の代から、大物を一枚剥ぐときは必ずこれで。……でも、わたしの腕では、もう」
リズの指が、刃の腹にそっと触れた。
「刃が、痩せてしまって」
痩せた刃。素人の言葉じゃない。減った、でも欠けた、でもない。飯を食わせてもらえなかった刃の話だ。
「――何十年、これ一本か」
「はい。砥石も、祖父の代から同じものを」
灯りにかざす。刃線の奥に、まだ芯が残っていた。いい鋼だ。仕事を覚えてる鋼だ。こいつはまだ死んじゃいない。
「……店主?」
リンとこはくが、俺の顔を見て黙った。あとで聞いたら、初めてS級を捌いた夜と同じ顔をしていたらしい。
どんな顔かは知らんが、心当たりならある。
素材が泣いてるのを見つけたときの顔だ。ただ、今夜のは素材じゃない。
――刃が、泣いてた。




