第38話 海外ニキ、公式になる
無断ミラーってのは、要は味の盗み売りだ。
よその軒先で、うちのタレが勝手に注ぎ足されている。潰して回るのが筋だろうと、俺は思っていた。
こはくの結論は、逆だった。
「消しても消しても湧きます。モグラ叩きです。だったら――公式が、本物のミラーを立てちゃえばいいんです!」
「本物の偽物ってのは妙な話だな」
「支店です! 世界中に出すんです。うちの支店を!」
「うちの、ときたか」
「発掘した私が言うのもなんですが、私はもう身内です!」
胸を張るんじゃない。否定する理由も、特にないが。
それから一週間、閉店後のカウンターは工事現場になった。ケーブルが這い、モニターが増える。仕組みはさっぱりだが、こはくの目つきでわかる。あれは職人が道具を仕込む目だ。
常連の反応は軽いもんだった。夜勤明けの男いわく「大将、ついに多国籍企業だな」。生憎、税務署に出してるのは個人事業の届けだけだ。
権利まわりの書類は、葛城が胃を押さえながら整えてくれた。
「無断転載への対応が、なぜ私の業務なんでしょうね……」
「悪いな。豚汁つけるぞ」
「やめてください。収賄になります」
豚汁一杯で堕ちる役人がいるか。……いや、いるかもしれん。うちの豚汁だしな。
そうして『まかべ食堂・公式多言語ミラー』は開店した。自動翻訳の弾幕付き。運営、白瀬こはく。初日の同接を見て、桁をひとつ読み間違えたかと思った。
やることは変わらない。深夜二時、いつもの仕込み配信。まな板の上は雷角牛のブロックだ。
《綺麗……》
《こっちは昼です。飯テロは国際法違反では?》
《時差という概念が憎い》
《寝ろ。そして俺は見る》
《↑どっちだよ》
時差ってのは面白いもんで、うちの深夜二時は、どこかの国じゃ夕方らしい。弾幕の挨拶も「こんばんは」と「おはよう」が同じ画面で流れる。腹が減るのに、国境はないらしい。
店を閉めても、アーカイブはどこかの昼で回り続ける。うちの暖簾は、俺の知らない時間に、知らない誰かの前で揺れているわけだ。妙な気分ではある。
変わったことがひとつ。解体の手順を口で説明すると、翻訳が追いつかなくなった。
「筋膜の白いところに刃を寝かせて、あとは肉の目に沿って落とすだけだ。押すな。引け。刃物ってのは引いてる間しか仕事をしない」
《翻訳班、殉職》
《原文のままでいい。手が全部説明してる》
《0.5倍速勢、今日も敗北》
《包丁メーカー、感謝の決算》
手順を言っただけなんだがな。慣れれば誰でもできる。
……できると言い続けて丼三千杯と少しになる。最近、世界のどこかで包丁の売上が伸びてるらしい。研いでから使えよ、とだけ言っておく。
異変は三日目に来た。
「まかべさん、変なあだ名がバズってます。ガチのやつです」
こはくの端末に、英語の弾幕が流れていた。読めない。ただ一語だけ、自動翻訳が律儀に日本語へ戻していた。
《肉の神父》
「……なんだこれは」
「刃を入れる前に、素材へ頭を下げるじゃないですか。あれが向こうだと『祈り』に見えるみたいで。最初は誤訳だったのに、もう称号です」
「祈っちゃいない。礼を言ってるだけだ」
「それ、余計に神父です!」
弾幕は勝手に育っていく。
《神父、今夜の説教は?》
《肉の神父に祝福された丼が食いたい》
《MEAT PRIEST、語感が良すぎる》
神父ってのは、パンを配る側の人だろう。うちは丼だ。宗派が違う。
訂正の口を開きかけたところで、袖を引かれた。リンだ。
「……直さなくていい」
「なんでだ」
「……似合ってる。少しだけ」
「どこがだ」
「…………丼を、配ってる」
配ってるんじゃない。売ってるんだ。言い返す前に、リンは丼に戻っていた。もう空だった。早い。
意外な戦力もいた。岩だ。
ガルシアは食い終わると、勝手にモニター前へ陣取るようになった。母国語の弾幕に目を走らせては、太い指で翻訳機を突く。
「コノ翻訳、チガウ」
「どう違うんだ」
「『美味イ』ハ、モット、ツヨイ」
「強い美味いってなんだ」
「『生キテテ、ヨカッタ』」
「……そのまま載せとけ」
大陸序列一位が翻訳監修をやってる飯屋は、世界でうちだけだと思う。人件費は丼で払っている。安いのか高いのか、もうわからん。
真似するやつも出た。
こはくが見せてくれた動画では、海の向こうの若いのが、見よう見まねで磯鎧蟹を捌いていた。甲羅は割れて、身は渋だらけ。再生数は百万を超えていた。
「『神父への挑戦』ってシリーズだそうです。世界中で失敗してます」
「素材がもったいないな」
「あ、説教だ」
「説教じゃない。……ただ、三人目のは筋がよかった。刃を引く癖がついてる。あれは伸びる」
「弟子ですか?」
「弟子は取らない主義だ」
画面の向こうの手つきを、つい最後まで見てしまった。悪い癖だ。
週が明ける頃には、ミラーの同接が本家を追い越した。
配信席のこはくが、モニターの数字を眺めて笑った。笑ったまま、目の縁だけ赤かった。
「世界中に視聴者がいるんですよ。やばくないですか。……私だけが知ってた店だったのにな、とは、ちょっと思いますけど」
「席なら取っといてやる。最古参用のな」
「特等席じゃないですか! 一生通います!」
現金なやつだ。だが、発掘者の席にはあとから来た百万人は座れない。それだけは数字の外の話だ。
配信の締めには、いつからか決まりごとができていた。
空になった寸胴を映す。すると各国の「ごちそうさま」が、弾幕に折り重なる。
《ゴチソウサマ》
《gochisousama、覚えた》
《神父、こっちの昼にまた来ます》
《おやすみ。そしておはよう》
悪くない眺めだ。飯の礼ってのは、どこの言葉でも姿勢が同じらしい。
カウンターでは、リンとガルシアの箸が今夜も同じ速度で動いている。世界がどれだけ広がろうが、うちの深夜はこの音で回っている。
その速い流れの中に、一行だけ、温度の違う弾幕が紛れていた。
《――オムニ社が、お前を買いに行くぞ》
拾い直そうとした時には、祝福の波に流されて消えていた。
オムニ社。聞かない名だ。
どこの常連か知らんが――生憎、うちの売り物は丼だけだ。




