第37話 最後尾ハ、ココデスカ
行列ってのは、生き物だ。
餌をやると育つ。うちの行列は今夜、駐車場を二回折れて、公道に尻尾をはみ出させていた。
寸胴の湯気ごしに頭数を数える。完売まで三時間ってとこか。
先頭は夜勤明けの常連。その三つ後ろに、岩が立っている。
昨夜、律儀に最後尾を探していた岩だ。大陸の序列一位、『不倒』のガルシア。リンいわく、災害級を素手で止める男らしい。今夜は手ぶらで、財布と翻訳機だけ提げていた。
俺の見立ては少し違う。あれは、いい客だ。並び方でわかる。列を乱さない。前の客の会計を待つ間、翻訳機に何やら打ち込んでいる。
南の海溝の一件は、まだ「調整中」らしい。葛城からは三日にいちど、胃の痛そうな声で電話が来る。世界がどう転ぼうが、それまでは通常営業だ。
開店前は、いつもの仕込み配信。まな板の上には磯鎧蟹。甲羅がS級防具になる、気難しい素材だ。
殻と身の間に、薄皮が一枚ある。ここを破ると、身に殻の渋が回る。
だから、破らない。刃を寝かせて、皮一枚の上を滑らせる。
パキ、と乾いた音。甲羅が外れた。中の身は、雪みたいに無傷だ。
《は?》
《今の見えた人いる?》
《0.5倍速でも無理でした》
《海外ニキ「OH……NINJA……」》
《違う。人間国宝だ》
忍者じゃない。ただの解体屋だ。刃の当て方の問題で、慣れれば誰でもできる。
……できると言い続けて丼三千杯ぶんになるが、できたやつをまだ見たことがない。世間の包丁は、研ぎが足りないんじゃないか。
順番が来た。カウンターに岩の影が落ちる。月でも欠けたのかと思った。
「オススメ、クダサイ」
「磯鎧蟹の味噌汁と、雷角牛の炙り丼だ」
「リョウホウ。オオモリ」
「あいよ」
言葉は硬いが、注文は柔らかい。オススメを聞く客に、悪いやつはいない。十年倉庫番をやってた俺が言うんだから、たぶん確かだ。
雷角牛は火を入れすぎると鋼になる。表面だけ炙って、余熱で芯まで運ぶ。タレは開店の日から継ぎ足しの一本槍だ。
丼を出す。岩は両手で受け取って、深々と頭を下げた。
一口で、動きが止まった。
翻訳機が、手から滑り落ちる。
拾わない。二口目。三口目。あとは雪崩だった。
カウンターの端で、箸の音がひとつ止まる。リンだ。フードの奥から、岩の丼の減りを横目で測っている。
「……おかわり。大盛りで」
「ワタシモ。オカワリ、アリマスカ」
「あるが、競うもんじゃないぞ」
空の丼がふたつ、同時に戻ってきた。聞いちゃいない。
三杯目も同時。四杯目で常連たちが賭けを始めた。五杯目で、俺は明日の仕入れ表を書き直すことに決めた。
六杯目で、岩の箸が止まった。リンは七杯目を頼んでから、ちらりと隣を見た。
勝敗はついたらしい。何のだかは知らんが。
人類最強と大陸序列一位が、肩を並べて丼をかき込む深夜二時。うちのカウンターも、ずいぶん物騒な眺めになったもんだ。
《待て待て待て》
《世界一位と序列一位が並んで飯食ってんの、歴史の資料集に載せろ》
《ここは国際会議場か?》
《フードトラックなんだよなあ……》
《無言のおかわり対決、こわい》
《大将だけが平常運転で草》
弾幕は騒がしいが、こっちの仕事は変わらない。よく食う客が増えた。感想としては、それで全部だ。
配信の同接は、気づけば六桁が当たり前になっていた。深夜は暇人が多い。世界規模で多い。それだけの話だと思っている。
それから、岩は毎晩来た。
二日目には列の作法を覚えた。三日目には夜勤明けの男と、拳を合わせる挨拶を交わしていた。岩のくせに、馴染むのが早い。
四日目の夜。食い終わった丼を置いて、ガルシアが翻訳機を掲げた。
「ワタシ、常連」
「まだ四日だろ」
「ワタシ、常連」
「……皆勤ではあるな。まあ、そうか」
夜勤明けの男が吹き出して、列のどこかから拍手が湧いた。
リンだけが、箸を置いた。
「……常連歴なら、私が先輩」
「そういう張り合いがあるか」
あとで知ったが、ガルシアは滞在先のホテルを断って、店から歩いて五分の安宿に移ったらしい。常連の自覚ってやつは、行動に出る。
国際親善ってのは、条約より先に胃袋で始まるのかもしれん。
困りごとも、なくはない。
行列の顔ぶれが、日に日に多国籍になっていくのだ。聞き覚えのない言語の相談。翻訳機ごしの「オススメハ」。それから、装備の格。腰の得物が明らかに国宝級のやつが、普通に列で順番を待っている。
今夜も、若い探索者に写真を頼まれた。異国の言葉だったが、身振りは万国共通のそれだった。
「悪いが、撮るなら丼にしてくれ。俺は具じゃない」
翻訳機はちゃんと仕事をしたらしい。若いのは笑い、丼を三枚撮った。それから四杯食って帰った。いい客だ。
夜勤明けの男は、この状況を面白がっている。
「大将、うちの店、もう世界遺産だな」
「勝手に登録するな。固定資産税が怖い」
リンが端末をこっちに向けたのは、そのあとだった。海外の掲示板らしい。
「……『聖地』って、呼ばれてる。この店」
「うちは神社じゃないんだがな」
「……『あの二人が並ぶ店』。巡礼、って書いてある」
「巡礼ってのは、もうちょっとありがたいもんを拝みに行くやつだろ」
「…………」
リンは何か言いかけて、結局、空の丼を差し出した。
「……おかわり。上限まで」
「上限の交渉は、帰ってきてからの約束だったな」
「……覚えてたなら、いい」
フードの奥で、口元だけがゆるんだ。見なかったことにして、飯を盛る。
まあ、誰が何を拝もうが、うちのやることは変わらない。捌く。作る。出す。それだけだ。
――と、思っていた。
閉店間際。駐車場に、車のライトが乱暴に躍った。
機材ごと転がり込んできたのは、こはくだった。昼間、意気揚々とパスポートの申請に行ったはずの顔から、色が抜けている。
「まかべさん! やばいです、ガチのやつです!」
「落ち着け。まず座れ。豚汁でいいか」
「もらいますけど! 今はそうじゃなくて!」
豚汁を置いてやると、こはくは一口すすって、少しだけ人の顔色に戻った。
突きつけられた端末で、見慣れないサイトが開いていた。うちの配信の映像が、読めない言語の弾幕をまとって流れている。
「うちのチャンネル、海外のサイトに無断でミラーされてます。ひとつやふたつじゃないです。発掘した私が言うのもなんですが、規模がおかしいです!」
画面の隅で、数字が化け物みたいに回り続けていた。
「同接、合計で五十万超えてます。……私たちの、誰も知らないところで!」
豚汁の湯気の向こうで、リンとガルシアの箸だけが、変わらず動いていた。
――世界ってのは、どうやらこっちの段取りを待っちゃくれないらしい。




