第36話 今日も開店
灯りってのは、消すほうに覚悟がいる。
点けるほうは、簡単だ。
──だから俺は毎晩、何の覚悟もなしに、看板の灯りを点ける。
祭りの火が、すっと細くなった。
駐車場の隅から戻ってきた葛城の、手帳を開く構えで、全員が察したらしい。
あれは、『胃袋』の夜と同じ手つきだ。
「南の海溝で、新しい特異ダンジョンの発生が確認されました。各国の合同調査が、すでに入っています」
葛城は、そこで一度、言葉を切った。
「最初の調査隊が持ち帰った素材が──どの国の、どの解体師の刃でも、触れた端から崩れて消えるそうです」
宴のざわめきが、波が引くみたいに静まった。
「規模は、『胃袋』の比ではないと。各国からの正式な協力要請が、外務省に届き始めています。例の国際要請の枠は、これから上に通すつもりだったんですが──」
「通る前に、世界のほうが先に来たか」
「ええ。役所の前例というのは、できる前から使われる運命のようで……」
こはくのカメラは、回ったままだった。
一拍の沈黙のあと、弾幕が雪崩れた。
《おいおいおい》
《祝賀会の途中だぞ。空気読め、海溝》
《でも、大将なら行くんだろうな……》
《検証班だ。本日の検証結果──嫌な予感しか、しない》
俺はお玉を置いて、ひとつだけ確認した。
「葛城さん。その素材ってのは──泣いてるのか」
「……現地の報告書の言葉を借りるなら。『世界最大の資源が、誰にも触れられないまま腐り続けている』と」
「そいつは、放っておけない性分でね」
弾幕が騒ぎ出す前に、付け加えておいた。
「ただし、行くのは調査と段取りが済んでからだ。それと──終わったら、帰ってくる。前にも言ったろ」
《知ってた》
《『俺の職場は、ここだ』》
《世界よ、これが本店だ》
「調整します。早くても、ひと月は先です」
葛城は手帳を閉じて、それから紙コップを掲げ直した。
「──ですので皆さん。祭りの続きを、どうぞ」
夜勤明けの男が、待ってましたと酒瓶を振り上げた。
「そんじゃ大将の、世界デビュー前夜祭も兼ねてもう一杯ーー!」
「残留祝いと出発祝いを同時にやるな。どっちかにしろ」
宴ってのは、しぶとい。
悪い報せのひとつくらいじゃ、火は消えないもんだ。
リンが、隣に立った。
丼じゃなく、寸胴の火加減を見る顔だった。
「……護衛は、私。決定」
「頼もしいが、順番ってもんが」
「『胃袋』のときも、私。実績。前例」
「……役人みたいな理屈を覚えたな」
「……鍛えられた」
遠くで葛城が、なんとも複雑な顔をしていた。
こはくも、マイクごと割り込んでくる。
「現地レポーターは私です! 明日、パスポート申請してきます! 海外ニキたちに、ガチの本物を見せてやりますよ!」
なし崩しってのは、こういうときのためにある言葉だ。
宴が引けて、灯りを半分落とした頃。
リンが、最後まで残っていた。
「……この前の。話の、続き」
「おう。聞こうか」
「……今は、言わない」
「そうか」
「……海の向こうの仕事が終わって。あなたが、この店に帰ってきたら」
リンはフードを被らず、まっすぐこっちを見た。
「──そのとき、ぜんぶ言う。だから」
「だから?」
「……ちゃんと、帰ってきて。いつもの時間に。いつもの店に」
「あいよ。約束する」
リンは小さく頷いて、それから思い出したように、空の丼を指した。
「……あと、大盛りの上限。あれも、そのとき交渉する」
「やっぱりそっちも入ってるんだな」
話ってのは、肉と同じだ。
休ませた分だけ、味が乗る。
──まあ、中身はおおかた、大盛りの上限の話だろう。知らんが。
翌日の、深夜零時前。
仕込みは済んだ。
寸胴は機嫌よく湯気を上げて、棚の上では布に包まれた先代が眠り、研ぎ上がった二番手が出番を待っている。
庇から外を覗いて、手が止まった。
開店前だってのに、行列が、駐車場の外まで折れていた。
見慣れた顔の間に、見慣れない顔が混ざっている。
岩みたいな体格の男が、翻訳機を片手に、律儀に最後尾を探していた。
「コノ店ニ、並ビニ来タ。──最後尾ハ、ココデスカ」
夜勤明けの男が、にやりと笑って親指を立てる。
「おう、ようこそ。ここが世界の本店だ」
リンが、俺の袖を引いた。
めったに聞かない、強張った声だった。
「……あれ、大陸の序列一位。『不倒』のガルシア」
「ほう。──で、何か問題か」
「……ない、けど」
「腹が減って並んでるなら、ただの客だ。うちは美味いかどうかしか聞かない店だ」
世界には、まだ捌かれていないものが満ちてるらしい。
海の向こうにも──たぶん、この行列の中にも。
けっこうなことだ。
腹を減らしたやつがいる限り、この商売は終わらない。
カメラの赤いランプが点る。
「さて──今日も開店だ」




