第34話 俺の職場は、ここだ
値札ってのは、品物につくもんだ。
人間の側につき始めると、ろくなことにならない。
──で、俺の値札はいま、海の向こうで勝手に競り上がってるらしい。
数日がかりで封筒の山と格闘した葛城主任は、開店前のカウンターに、書類を三つの山に分けて置いた。
「整理しました。右から、各国の政府。真ん中が海外の大手クランと企業。左が、放送局と研究機関です」
「ご苦労さん。で、一番でかいのは」
「東の大国の専属契約です。提示額は……口で言うのは憚られるので、これを」
差し出されたメモのゼロを数えた。
途中で、やめた。
「桁ってのは、数えられるから桁って言うんだぞ」
「私に言わないでください。私も三回、数え直しました」
他にも色々あった。
城を一個くれるという国があった。島ごとくれるという王族がいた。
専用機と、銅像の建立計画と、俺の名前がつく予定の通りが一本。
「銅像はやめさせろ。客が来づらくなる」
「心配する場所がもう、銅像の段階じゃないんですよ」
俺は仕込みの手を止めずに訊いた。
「全部まとめて、ひとつだけ確認したい。──その話、店ごと行けるのか」
「店、ですか」
「このトラックと、冷蔵庫と、深夜零時の営業だ。向こうに持っていけるのか」
葛城は書類の山を見て、俺を見て、眉間を揉んだ。
「……無理です。どの契約も、専属か移住が前提です」
「じゃあ全部駄目だ。返事はそれで頼む」
「即答の早さだけは、世界一だと思いますよ……」
葛城は山を紙袋に戻しかけて、ふと手を止めた。
「……一通だけ、毛色の違うものが」
航空便の封筒から出てきたのは、契約書じゃなかった。
線の硬い、子供の字の手紙だ。翻訳の付箋が貼ってある。
──おっさんの手元を見て、ぼくは解体師になると決めました。かっこいい仕事だと、初めて知りました。
「……これは貰っとく」
「返事の宛先、控えておきますね」
役人ってのは、変なところで気が利く。
その夜の配信は、いつも通り零時に始めた。
【おっさんの解体キッチン:同接188,000】
『胃袋』の一件から、同接の桁はおかしいまま帰ってこない。
「例の話な。全部、断った」
鍋を混ぜながら言った。
弾幕は、止まらなかった。
《知ってた》
《知ってた》
《は? ……いや、知ってた》
《受けてたら受けてたで、こっちが解散だった》
《城より寸胴を選ぶ男》
《担当のお役人の胃に、今夜も黙祷》
前は「断るのかよ」で埋まったもんだが。
世間ってのは、学習が早い。
こはくから着信が入った。出た瞬間、深夜の駐車場に大音量が走る。
『まかべさん! トレンド一位です! 「それでこそ店主」! 前回三位だったのに、ついに出世です!』
「そいつは何よりだ」
『あと、「まかべ食堂 海外移転」ってデマが四位に入ってるんで、ガチで一回ちゃんと否定したほうがいいです! 泣いてる海外ニキが、やばい数います!』
なるほどな。
俺はお玉を置いて、カメラの正面に立った。
「勘違いされてるみたいだから、一度だけ言っとく」
弾幕が、すっと流れを緩めた。
「仕事を断ったんじゃない。引っ越しを断ったんだ」
「腕ってのは、呼ばれりゃ出向くもんだ。海の向こうで素材が泣いてて、俺の包丁が要るってんなら、行く。『胃袋』のときと同じだ」
「だが、終わったら帰ってくる。──俺の職場は、ここだ」
深夜の駐車場。古いフードトラック。庇の下の、傷だらけのカウンター。
棚の上では、布に包まれた十年選手が休んでいる。
「深夜零時に灯りが点いて、腹を減らしたやつが並ぶ。俺の仕事は、それで全部だ」
弾幕が一拍止まって、それから雪崩れた。
《ここが世界の本店か》
《泣いてる場合じゃなかった。並ぶ場合だった》
《海外ニキ「謁見ではなく、行列に並べばよいのか」 そうだよ》
《国家より強い「いつも通り」》
《検証班だ。本日の検証結果──この店は、動かない》
カウンターの端で、リンが丼から顔を上げて、こっちを見ていた。
何か言いかけて、やめて、また丼に戻った。
最近こいつ、その仕草が多いな。
葛城が、隅で手帳に何か書きつけていた。
「……非常勤の枠を、国際要請まで広げる方向で上と掛け合います。もう、前例がないとは言いません。──前例は、あなたなので」
「話が早くなったな、あんたも」
「鍛えられましたから」
閉店間際。
常連が引けて、夜勤明けの男が「大将、世界一の豚汁、ごちそうさん」と笑って帰った。
丼を重ねる音だけが残る。
リンは、いつもの端の席にいた。
丼の底は、とっくに綺麗になっている。
なのに、帰らなかった。
「お代わりか」
「……ううん」
リンは箸をきちんと揃えて置いて、椅子の上で、背筋を伸ばした。
フードはもう、被っていない。
「……話が、あります」
いつもの注文と、声の温度が違った。
丼の話じゃないことだけは──研がなくても、分かった。




