第31話 深夜0時の大手術
手術と解体の違いを、昔、医者の客に聞かれたことがある。
やることは同じだ。開いて、読んで、ほどく。
──違いはひとつ。終わったとき、相手が生きてるかどうかだ。
「中継、ですか」
特注の作業台の脚を蹴って水平を確かめながら、俺は訊き返した。
「国家要請です」
葛城の声は、詫びる温度をしていた。
「核の波形は、海外の観測網にも掴まれています。隠して失敗すれば、国の言葉を信じる者がいなくなる。──ならば全てを見せた上で成功していただくしかないと、上はそう決めました」
「人の仕事場を勝手に劇場にするな、と言いたいところだが」
前掛けの紐を、二重に結ぶ。
「構わんよ。カメラの前で捌いて、朝までに看板。──うちの通常営業だ」
「通常営業の同接は、三百万にはなりませんがね……」
二十二時、中継開始。
最初の二時間は、研ぎだ。
零時からの執刀を前に、十割の刃をもう一段だけ追い込んでいく。
しゃ、しゃ、と砥石が鳴る。世界でいちばん物騒な厨房に、いつもの音だけが流れる。
モニターは断った。コメントも同接も、今夜は見ない。
「手元で手一杯だ。世間の声は、終わってから聞く」
リンが、三歩後ろに立った。
「……周りは全部、私が見る」
「あいよ。──いい分担だ」
同じ夜、地上。
国の中継は、固定カメラ二台の素っ気ない画だった。
実況に立ったダンジョン庁の広報官は、開始四十分で原稿を置いた。
「……すみません。説明できる言葉が、ありません」
それきり、公式の音声は研ぎの音だけになった。
ミラー配信の枠を立てたのは、白瀬こはくだった。
「解説、しません。私にもガチで何も言えないので。──ただ、見ててください。深夜の飯屋の、いつもの手元です」
同接は、執刀前に百万を超えた。
《おい、これ深夜の解体配信のおっさんだろ》
《国が借りる側だったのかよ》
《検証班だ。今夜は検証するものがない。ただ、世界一の手元が映ってるだけだ》
まかべ食堂の閉まった庇の下には、いつの間にか常連が集まり、誰かの立てたスマホを囲んでいた。
《大将、終わったら飯にしよう。腹減らして待ってる》
医療テントの隅では、点滴に繋がれた十一人と、その横に立つ男が、同じ画面を見上げていた。
鳴海蓮司は、それから八時間、一度も座らなかった。
零時。執刀。
浮いた膜の継ぎ目に、刃を入れる。
一層目は、素直だった。
二層目は、繊維が逆を向く。刃を寝かせて、撫でるようにほどく。
三層目の下では、光の粒の川が、脈に合わせて流れていた。
「……綺麗だな」
口に出したのは、それが最初で最後だ。
あとは、手だけが喋った。
太い筋は、時計回りに七本。
一本目を外したのは、二時すぎだった。
筋ってのは、急に切ると暴れる。端から繊維三本ずつ、脈の谷間だけを選んで進む。
出汁を引くのと同じだ。沸かしたら、負け。
四時。五本目。
そこで、脈が飛んだ。
警報が鳴り、観測班の声が裏返る。
「波形悪化! 体力の消耗が予測を超えています──夜明けまで、もちません!」
「リン」
「……ん」
リンは核を見上げたまま、静かに言った。
「……泣き声が、小さくなってる。眠る前の、じゃない。──力尽きる方」
なるほどな。
執刀より先に、患者の体力が切れかけてる。
手は止めない。止めないまま、考える。
急げば、刃が暴れる。急がなきゃ、間に合わない。
こういうとき、職人にできることはひとつだけだ。
──手数を増やさず、無駄だけを削る。
最後に回すはずだった六本目を、前に出す。
死にかけの筋。色が沈んで、脈が通っていない。
刃を寄せて、ようやく分かった。
腐ってるのは、この一本だけだ。
毒の出どころも、痛みの出どころも、暴走の出どころも──全部、こいつだ。
「葛城。段取りを変える」
「は……!? いまですか!?」
「摘出はやめだ。取るのは、腐った筋一本と、死んだ膜だけでいい」
通信の向こうで、書類の山が崩れる音がした。
「け、計画では、核の摘出が──」
「心臓は生きてる。腐ってるのは筋が一本だ。心臓ごと取れば、このダンジョンが丸ごと腐り落ちる。三十万人の真下でな。──悪くなったところだけ外して、あとは生かす。それが一番安くつく」
「ここまでに外した五本の筋は、どうするんです……!」
「切っちゃいない。ほどいて、浮かせてあるだけだ。根が生きてる筋は、置いてやれば自分で張り直す。──解体ってのは、いつでも引き返せる手つきで進めるもんでね」
「保証が、どこにも……!」
「あるだろう。あんたらの研究班が言ったんだ。地球上に二つしかない観測装置だと。──買い被りだとは思うが、今夜はその言い分を使わせてもらう」
返事の代わりに、長い長い息が聞こえた。
役人の腹の括り方ってのは、いつも音で分かる。
「……ダンジョン庁地上指揮所より、全局。執刀方針の変更を──承認します」
腐った筋の根元に、刃の先を当てる。
「悪いようにはしない」
誰に言うでもなく、言っていた。
「十年、あんたの作ったもんで飯を食ってきた身だ。──今夜は、その礼だよ」
引いた。
手応えは、最後まで静かだった。
空が白み始めた頃、最後の死んだ膜が、音もなく剥がれ落ちた。
脈が、一拍。
止まったかと思うほど深く沈んで──次の一拍から、揃った。
引っかかる音が、消えていた。
沈んでいた筋に、艶のある赤が戻っていく。
「……泣き止んだ」
リンの声が、震えていた。
「……寝息になった。あの子、寝てる」
観測班の班長が、計器と核を三往復見て、その場にへたり込んだ。
「波形、安定……崩壊予兆、消失。──作戦、成功です」
地上の歓声は、通信機を通さなくても、届いた気がした。
《終わっ……た?》
《成功!? 成功です!!》
《同接三百万で、まばたきの音まで聞こえる八時間だったぞ》
《俺たちは今夜、世界一の仕込みを見てたのか》
《正直に言っていいか。人類最強より頼りになるのが、深夜の飯屋のおっさんだとは思わなかった》
《それな。──大将、飯にしようぜ。もう朝飯の時間だ》
医療テントの隅で、鳴海蓮司は画面に向かって、深く、長く、頭を下げていた。
下げ方を探して見つからなかった頭は、誰も見ていない場所で、ようやく下がった。
「──以上。仕込み、終わり。お疲れさん」
カメラに向かってそれだけ言って、俺は相棒を布の上に置いた。
刃を見る。
十割で研いだ刃は、根元まで綺麗に終わっていた。
十年連れ添った相棒の最後のひと仕事にしちゃ、上等すぎる舞台だ。
「いい腕だったよ、お前は」
立ち上がろうとして、膝が言うことを聞かなかった。
ああ、なるほど。
八時間立ちっぱなしの厨房なら慣れてるが──今夜のは少しばかり、火が強すぎたらしい。
石の床に、膝をつく。
視界の端で朝陽が差して、誰かの呼ぶ声がして。
──駆け寄ってくる足音が、ひとつ、聞こえた。




