第30話 完全解体
でかい仕事ってのは、静かに始まる。
市場のセリも、夜明けの仕込みも、声を張った奴から順に脱落していく。
──最後まで素材の前に残るのは、黙って立ってる奴だ。
開ききった石の扉の奥は、広間というより、胸の中だった。
肋骨みたいな白い梁が壁を支え、その全部が、ゆっくり膨らんでは縮む。
中央の高みに、それは居た。
赤い。
保管庫で眠ってる欠片の、何万倍。
うちの店が何軒入るか分からない塊が、天井から太い管で吊られて、脈を打っていた。
「……心臓だな」
「核、です」
通信の向こうで、葛城が律儀に訂正した。
「同じことだ。働いてる臓器の顔をしてる」
観測班が機材を展開する。三脚、ケーブル、見たこともない箱。
そのどれより先に、リンの足が止まっていた。
「……音が、変」
言われて、耳を澄ます。
規則正しい脈の合間に、ときどき、引っかかる音が混じる。
研ぎの最中に刃こぼれを踏んだような、嫌な音だった。
「解析、出ません……!」
観測班の悲鳴は、十分で上がった。
「表面走査は通ります。ですが内部のモデル化が──走らせるたびに、結果が変わる。観測の、しようがありません」
「機械ってのは正直でいい」
俺は背負子を下ろして、前に出た。
小隊長が腰を浮かせ、リンが首を振って座らせるのが、視界の端に見えた。
近くで見る核は、思ったより素材の顔をしていた。
表皮を走る赤黒い筋。艶の流れ。膜の下を巡る、光の粒の通り道。
ぐるりと半周して、俺は口を開いた。
「観測班、書き取ってくれ」
「は……はい?」
「表層の膜は三層。二層目だけ、繊維の向きが逆だ。太い筋は時計回りに七本、全部が下の管に集まってる。──ただし六本目は死にかけだ。色が沈んで、脈が通ってない」
「ま、待ってください。目視で、何を──」
「いいから書け。それと向かって左の下、膜が一枚浮いてる。継ぎ目だ。ほどくなら、あそこから入る」
機材の箱がしばらく忙しく鳴って、止まった。
観測班の班長が、画面と俺の顔を、三往復した。
「……部分走査の結果と、一致します。全部。──筋の、本数まで」
「だろうな。素材ってのは、外側が中身を語る。鱗の並び、艶の流れ、脈の道。──こいつは、それが全部でかいだけだ」
通信の向こうで、長い息の音がした。
「……真壁さん。研究班の最終所見を、ひとつだけ読み上げます」
「手短に頼む」
「『核とは、世界がダンジョンを生むための臓器であり、魔獣とは、その臓器が生む細胞である』」
「詩人なのは知ってる」
「続きが、あるんです」
紙をめくる音がした。
「『ゆえに、真壁巧が十年間捌き続けてきたものは、すべて世界が作ったものである。彼の目は、刃の技術ではない。世界の構造そのものを読む目である。──現状、核を観測できる装置は、地球上に彼の両目しか存在しない』」
広間の目という目が、こっちを向いた。
やめてくれ。仕事がしにくい。
「……だ、そうです。【完全解体】の保持者どの」
「買い被りだ」
俺は背負子から砥石を出しながら答えた。
「目ん玉なら、誰でも二つ持ってる。俺のは研いだ包丁と、十年の経験だよ」
「その十年が世界で再現不能だという話を、いったい何度──」
「葛城。それより時間の話だ」
通信が、一拍詰まった。
役人ってのは、痛いところを突かれると、咳払いから入る。
「……再計算中です。脈の間隔が、扉が開いてから、さらに縮んでいます」
正直に言や、所見とやらに思うところが、ないわけじゃなかった。
思い出していたのは、地下二階の白い蛍光灯だ。
誰も降りてこない倉庫で、十年。来る日も来る日も、世界の作ったもんを開いて、読んで、ほどいてきた。
誰も見ちゃいなかったが──読んだ数だけは、誰にも負けん。
それだけの話だ。台帳に何と書かれようが、包丁の重さは変わらん。
リンが、いつの間にか隣に立っていた。
核を見上げる横顔が、保管庫の石の話をした夜と、同じだった。
「……その子、泣いてる」
「ああ」
「……ずっと痛いって言ってる。あの、色の沈んだ筋のところ」
「──見えるのか」
「分からない。でも、聞こえる」
やっぱり、俺の指の背より上等なセンサーだ。
「葛城。段取りを前に倒すぞ」
「……本来の計画では、二日かけて足場と保全環境を──」
「その二日が、もうない。あんたの機械も、そう言ってる」
「……失敗すれば、崩壊を早めるだけです。上は、摘出の中止と住民避難への切り替えも検討に──」
「三十万人を、騒がせず一晩でか」
通信の向こうで、答えは返らなかった。
俺は、浮いた膜の継ぎ目を、もう一度目でなぞった。
入りはあそこ。筋は七本、死にかけの六本目は最後に外す。三日炊く出汁より、よっぽど素直な段取りだ。
「言ったろう。──素材が泣いてるのは、見過ごせない性分でね」
そのときだった。
脈が、一拍、飛んだ。
リンが弾かれたように顔を上げ、観測班の警報が一斉に鳴った。
核の赤が、一段濃くなる。膨らみが、戻りきらなくなる。
「波形、変異! 海外の崩壊事例と一致──暴走の、初期波形です!」
葛城の声から、役人の温度が消えた。
「猶予は──夜明けまで。八時間です!」
八時間。
いつかの、ノーカット耐久配信と同じ長さだ。
「工兵さん、作業台を頼む。研ぎ場は、その隣だ」
俺は前掛けの紐を結び直して、布に巻いた十割研ぎの相棒を、静かに台の上に置いた。
──夜明けまでに、世界で一番でかい仕込みを、終わらせる。




