第28話 鳴海蓮司の十年
退却の隊列は、葬列に似ていた。
誰も、死んでいないのにだ。
担架が七つ。点滴の袋が、歩調に合わせて揺れる。
国が捻じ込んだ搬送路──通称「回廊」を、列は黙って地上へ向かっていた。
鳴海蓮司は、最後尾の担架の横を歩いていた。
「隊長は歩けるんですから、先に上がってください」
医療班にはそう言われた。断った。
理由を訊き返されなかったのは、幸運だった。説明できる言葉を、持っていなかったからだ。
左腕の篭手は、肘の上で切り離して捨てた。
酸に煮えた装甲の下で、腕は思ったより無事だった。
「積層が規定より一枚厚い型ですね。いい調達です」
処置をした衛生兵は、感心したように言った。
その調達基準を書いたのは、自分だ。
入札を競らせ、数字を詰めて、装甲一枚ぶんの安全率をもぎ取った。
数字は正しかった。
数字は、いつも正しかった。
──では、なぜ十二人が担架の上にいる。
担架の上で、部下が薄く目を開けた。
「……隊長。さっきの人……特級解体師の。うちと、関係のあった人なんですか」
「…………」
「指示の声に……聞き覚えが、ある気がして……」
「喋るな。傷に響く」
鳴海は、部下の毛布の角を直した。
角は、すぐに揃った。
揃えるものが、もう、それしか残っていなかった。
十年前。
十九歳の鳴海蓮司は、初討伐のB級魔狼を担いで、地下二階の素材倉庫に降りた。
「初物は搬入まで自分で見届けな。うちの流儀だ」
搬入口でそう笑ったのは、五つ年上なだけの、若い倉庫番だった。
数日後、仕上がった毛皮には、裂け目ひとつなかった。
牙の一本まで磨かれて、几帳面に揃えてあった。
すごいですね、と言った気がする。
「研いだ包丁と経験だよ」と男は笑って、剥きたての毛皮を広げ、誰かが写真を撮った。
あの頃の自分は、まだ、まっすぐ礼が言えた。
それからの十年を、鳴海は階段を上ることに使った。
B級を狩り、A級を狩り、S級討伐の先頭に立ち、エースと呼ばれ、十二階の会議室に席ができた。
フロアが上がるたび、地下二階は遠くなった。
最後に倉庫へ降りたのがいつだったか、もう思い出せない。
ただ、ひとつだけ覚えていることがある。
深夜、遠征の報告を終えて本部ビルを出るとき、窓の灯りは上の階から順に消えていった。
最後まで点いているのは、決まって地下二階の搬入口の、白い蛍光灯だった。
討伐隊が何時に戻っても、素材が傷む前に、必ず誰かが受けていた。
誰が受けているのか、考えたことは一度もなかった。
点いているのが当たり前で──当たり前のものに付ける名前を、自分は「経費」しか知らなかった。
砥石の稟議を三回差し戻したのは、自分だ。
備品申請を三ヶ月寝かせたのも。外注の相見積もりを取ったのも。
会議室で「戦えない奴に払う給料はない」と言ったのも。
十五分の面談で、男は一度も声を荒らげなかった。
そうか、と言った。廃棄素材を、もらうよ、と即答した。お疲れさん、と笑って出ていった。
あの十五分を、もう千回は思い返した。
そのたびに、自分の論理は完璧だった。数字のどこにも、穴はなかった。
──穴は、数字の外に空いていた。
「なぜ、助ける」
さっき、自分はそう訊いた。
「目の前で血が出てたからだよ」
男は血を拭った包丁を布に巻きながら、それだけ答えた。
理屈になっていない、と思った。
費用対効果も、責任の所在も、貸し借りの勘定も、どこにもない。
目の前で血が出ていたから、止めた。
──あの男は、十年、ずっとそうだったのだ。
目の前に獲物があったから、捌いた。目の前に新人がいたから、毛皮を剥いてやった。目の前の灯りを、最後まで消さなかった。
自分は、目の前で数字が出ていたから、人を切った。
同じ十年だった。
使い方だけが、違った。
回廊の出口から、朝の光が差し込んでいた。
列が止まり、担架がひとつずつ、医療テントの光の中へ受け渡されていく。
十二人。全員、生きている。
自分が死なせかけ、自分が切り捨てた男が生かした、十二人だ。
鳴海は隊列を半歩外れて、岩肌に手をついた。
嗚咽は、最初の一度だけ、喉を鳴らした。
あとは、殺した。
声の殺し方なら、知っていた。十年、会議室で使ってきた技術だ。
泣き方のほうは──どこにも、計上してこなかった。
肩が静まるまで、誰も声をかけなかった。
ただ、最後の担架の上の包帯だらけの部下が、見ないふりをしてくれているのだけが、分かった。
テントの脇を抜けるとき、国の通信員が弾かれたように立ち上がるのが見えた。
回線の向こうの声は、抑えられていても、聞こえてしまった。
「──観測班より地上指揮所。核の活性化が、予測より早い」




