第27話 鉢合わせ
焦りってのは、刃に出る。
急がせた包丁は、肉より先に、持ち主の指を切る。
──人間の組織ってやつも、どうやら同じ作りらしい。
夜明け前、消化の悪い岩場の野営地。
通信機の向こうで、葛城の声が珍しく硬かった。
「ヴァンガードが、独自攻略の届け出を強行しました。受理は昨日の正午。我々の潜行開始の、三時間後です。民間クランの攻略権は法で保護されています。──止められませんでした」
「先行したのは何人だ」
「エース部隊から選抜の、十二名。隊長は──鳴海蓮司です」
通信が切れてから、小隊長が低く言った。
「夜通しで中層へ抜けたとなると、取れる道は限られますね」
「ああ」
俺は、昨日引き返した広間を思い出していた。
骨も装備も残らない、綺麗すぎる広間。
見通しがよくて、まっすぐで、急ぎの隊列が一番好みそうな道だ。
──消化のいい場所ってのは、いつだってそういう顔で待ってる。
中層への大穴を降りて、二時間。
先に止まったのは、足じゃなく鼻だった。
血の匂いだ。それも、魔獣じゃない。
魔獣の血は、十年かけて嗅ぎ分けられるようになった。
人間のは、覚えるのに一日も要らなかった。──嗅ぎたくない匂いってのは、すぐ覚える。
「リン」
「……ん。先。戦ってる音。──まだ、生きてる」
「急ぐぞ」
あの広間は、昨日と同じ顔をしていなかった。
緑がかった深い青の複合装甲が、床のあちこちに転がっている。
昨夜の信号弾と、同じ色だった。
立っている者が、五人。
倒れている者が、七人。
天井では、千切れた白い粘糸が幾筋も揺れていた。
振動で来る主は、もう来ていた。──そして、まだ食い足りていなかった。
天井の闇が、膨らんだ。
「……下がって」
リンが一歩前に出る。それだけで、広間の空気の目方が変わった。
落ちてくる影。白い閃き。
音は、一度だけだった。
「……残りは、私が見る。あなたは──」
「ああ」
言われるまでもない。俺はもう走り出していた。
「動ける奴は手を貸せ! ただし、倒れてる奴に触っていいのは、俺が許可した奴だけだ!」
怒鳴ったのは、たぶん十年ぶりだった。
倒れた七人を、目で順番に量っていく。
査定と同じだ。手をつける順番を間違えた瞬間に、全部が駄目になる。
一人目。太腿から噴いてる。文句なしの最初だ。
「ベルト借りるぞ。──歯ァ食いしばれ」
二人目。装甲の継ぎ目から、酸が入ってる。
「水で流すな!」
水筒を構えた若いのが、びくりと止まった。
「ここの消化液は、水で薄めると皮膚の上で広がる。脂だ。携行食の脂を切って、塗って蓋をしろ。──そう、味噌を塗る要領でいい」
三人目は、見た目が一番派手で、中身が一番軽い。後回し。
四人目は、声を上げていないのが一番悪い。前へ。
胸の装甲に耳を当てる。呼吸の音に、水の音が混じっていた。
「こいつが搬送の一番だ! 担架はこっちから組め!」
追いついた医療班が合流して、手が倍になった。
「……指示が的確すぎます。なんで分かるんですか、装甲の下のことまで」
「魔獣の外套膜の下と同じだ。表が綺麗で中が駄目なやつは、音と匂いでしか分からん。──十年、それで飯を食ってきた」
広間の生き残りの指揮は、一人の男が執っていた。
左腕の篭手が、酸で白く煮えている。
立ち位置を見れば分かる。崩れた瞬間から、一番殿の、一番ひどい場所に立ち続けた奴の位置だ。
鳴海蓮司は、俺を見て、固まった。
何か言いかけた口が、閉じる。
書類を持たない両手が、所在なく動いて、揃える角を探して、見つけられずに止まった。
「鳴海さん。あんたの隊で歩ける奴を四人くれ。担架の脚にする」
「……っ、」
「早く。査定には期限がある」
鳴海は二秒遅れて、部下に手で合図した。
動き出してからのエース部隊は、さすがに速かった。
作業の間じゅう、視界の端で、鳴海がこっちを見ているのが分かった。
値札を付け間違えた品物を見る目、とも違う。
もっと、ずっと昔に似た目をどこかで見た気がしたが──思い出すのは後だ。今は手が足りない。
搬送路は、葛城が地上から捻じ込んだ。
「回廊、確保しました! 医療テントも入り口に展開済みです! ……真壁さん、他クランとの接触は避けてくださいと、あれほど」
「悪いな。鼻が言うことを聞かなくてな」
「……後で報告書が、山になりますからね」
「役所の様式なら、市場の仕入れ表よりは読みやすい」
担架の列が、来た道を戻っていく。
うちの医療班の若いのが、最後の固定を確かめて、長い息を吐いた。
「十二名、全員もちます。──搬送順が、完璧でした」
「順番だけな。縫うのはあんたらの腕だ」
リンが、いつの間にか隣に立っていた。
「……手当、上手かった」
「血抜きの早さは自慢でね。……止める方は、本職じゃないんだが」
「……ん。でも」
リンは担架の列を目で追って、それから小さく言った。
「……あの人たち、あなたの古巣」
「ああ」
「……怒って、ない?」
「怒るのは、肉の前でやることじゃない」
列の最後尾に、鳴海が立っていた。
歩けるくせに、最後の担架の横を離れなかった男だ。
俺の前で、その足が止まった。
頭は、下がらなかった。
下げないんじゃない。下げ方を探して、見つからなかった顔だった。
「……なぜ」
煮えた篭手の指が、震えていた。
「なぜ、助ける」
俺は、血を拭った包丁を布に巻き直しながら、答えた。
「目の前で血が出てたからだよ」




