第24話 特異ダンジョン『胃袋』
腹ってのは、正直な臓器だ。
減れば鳴るし、傷めば悲鳴を上げる。
──厄介なのは、悲鳴のほうが聞こえる頃には、だいたい手遅れってことだ。
午前二時半。
看板を仕舞った店の前に、黒塗りが停まった。
今度は、二台だった。
降りてきた葛城主任の後ろに、スーツが四人。全員、目つきが役所のそれじゃない。
「……夜分に、すみません」
「客じゃなさそうだな。今夜は、岡持ちも無しか」
「ええ。──今夜は、書類より重いものを持ってきました」
カウンターの端では、リンが皿を拭いていた。
看板後の皿拭きは弟子の仕事だと、いつの間にか本人が決めた。
葛城はリンを見て一瞬迷い、それから、諦めたように息を吐いた。
「……天宮様にも、いずれ通達の行く案件です。手間が省けたと、思うことにします」
スーツの一人が、店の周りに小さな機械を置いて回った。盗聴対策だそうだ。
丼屋の庇の下が、国家機密の会議室に格上げされた瞬間だった。
「話の前に、これを食え。顔色が、この前より白い」
「いえ、職務中ですので」
「倒れられるほうが職務に障る。──雷鹿の筋だ。三日炊いてある」
葛城は二秒迷って、箸を取った。
三口目で、肩から力が抜けたのが分かった。
固い役人ってのも、肉と同じだ。時間をかけた出汁には、ちゃんと応える。
「──先日の、黒塗りの地名です」
カウンターに広げられた地図の上で、黒は剥がされていた。
人口三十万の地方都市。その市街地の、ほぼ真下に、赤い円がひとつ。
「ダンジョンの正式名は管理番号です。ですが研究班も探索者も、通称しか使いません」
「なんて呼ばれてる」
「──『胃袋』です」
聞いただけで胸焼けのしそうな渾名だった。
「中で死んだ魔獣も、置き去りの装備も、数日で溶けて消えます。回収班が降りる頃には、骨も残らない。入ったものを消化するダンジョン。──それで、胃袋です」
「行儀の悪い客だな」
「その胃袋の最深部の核が──例の波形の主です。あれからずっと観測を続けていました。そして昨夜、変わりました」
葛城は端末をカウンターに置いた。
波形が二段、並んでいる。
上は海外の崩壊事例。注釈に『暴走直前』。
下の波形は、上のそれと、もうほとんど見分けがつかなかった。
「研究班の試算で、もって一ヶ月。最短なら、二週間です」
「暴走すると、どうなる」
「過去の事例どおりなら、ダンジョンは内側から崩壊します。──直上の地盤ごと」
リンの布巾が、止まっていた。
「避難計画は、あります。ですが、三十万人を騒ぎにせず二週間で動かす計画は──ありません」
「確証は」
「保管庫の欠片が、三日前から胃袋の波形と同じ周期で明滅を始めました。観測班の若手は『その子が怖がってる』と報告しています。……非科学的な報告書を決裁したのは、初めてです」
あの石が、怖がってる。
強さ序列一位のセンサーと、同じことを言う若手がいるらしい。
「で、俺に何をさせたい」
「核の摘出です。──暴走する、前に」
葛城は、湯呑みに口をつけなかった。あの夜と同じだった。
「協定違反じゃなかったか。核は触れるの禁止、観測のみ」
「国際観測委員会が、昨夜、特例を承認しました。条件付きです。──『核に触れて、構造を壊さなかった記録を持つ者に限る』」
「ずいぶん絞った条件だな。世界に何人いる」
「一人です」
役人は、まっすぐこっちを見ていた。
「あなたしか、いないんです。真壁さん」
俺は茶を一口飲んだ。
要するに、傷んだ内臓の摘出手術だ。
患者は世界で、執刀は丼屋。ずいぶんな大病院もあったもんだ。
「道具は持ち込みでいいのか。まな板と、研ぎ場の確保が要る」
「……作戦の説明より先に、まな板の話をするのは、世界であなたくらいですよ」
「大事だろう。仕事の八割は段取りだ」
「その仕事に、世界で唯一の登録名称がついていることは、もうお忘れですか」
「台帳の話か。包丁の重さは、登録の前と変わってないよ」
葛城は眼鏡を外して、眉間を揉んだ。
胃袋の話の最中に、胃の痛そうな顔をするんじゃない。
「編成は国家直轄の混成チームです。観測班、工兵、医療班。それと護衛小隊──各クランの精鋭から選抜を」
「私」
こと、と皿が置かれた。
リンが、布巾を畳んでいた。
「護衛は、私がやる」
「天宮様。選抜には序列や所属の調整というものが」
「序列なら、一位」
ぐうの音も出ない人事だった。
「……事務所が、とは聞きません。聞きませんが、一応」
「契約に、もうひとつ足す」
リンは、こともなげに言った。
「──『護衛する相手は、私が選ぶ』」
夜食の自由に続く、二項目めらしい。
あの事務所の担当者の顔が、ちょっとだけ見たかった。
「決まりですね。……正直、助かります。あなたが断った場合の護衛リストは、二枚目から先が白紙でした」
「白紙て」
「一枚目に書く名前が強すぎるんですよ」
葛城は鞄から最後の一枚を出して、カウンターに置いた。
正式な要請書。判子の欄が、見たこともない数だけ並んでいた。
「ひとつだけ、先に言わせてください」
「なんだ」
「今回の作戦の最重要人物は、戦闘員ではありません。観測班でも、工兵でもない。──あなたです。人類最強が護衛につき、国家が道を空け、非戦闘職のあなたが、最前線の一番奥に立つ」
十年、列のいちばん後ろで荷を受け取ってきた男に、ずいぶんな配置換えだ。
世の中の人事ってのは、つくづく読めない。
「危険は、あります。胃袋は現役のS級指定で、核の摘出に前例はない。失敗すれば、街どころか、あなたごと──」
葛城はそこで言葉を切って、それから、役人の顔のまま言った。
「……断っても、いいんですよ」
俺は研ぎ場から、十年物の相棒を一本取って、布で拭いた。
いつもと同じ重さだった。
「いや──素材が泣いてるのは、見過ごせない性分でね」




