第22話 全部まかべさんのおかげ
祝い事ってのは、出汁と逆だ。
仕込みはいらない。澄ませる必要もない。
──濁ったまま騒がしいのが、いちばん美味い。
梅雨の晴れ間の、深夜零時前。
店の前には見慣れた三脚が三本。今夜はご丁寧に、赤いリボンまでかかっていた。
「来ました! ガチで来ました! 白瀬こはく、チャンネル登録者──100万人、突破です!!」
「めでたいな。今夜は大盛りを無料にしてやる」
「祝い方が実家! でも食べます!」
登録者三桁の底辺配信者──と本人が名乗っていたのは、つい数ヶ月前の話だ。
例の全国ニュース以降、「人間国宝を最初に見つけた女」の名前は勝手に独り歩きして、数字は坂を転げるように増えた。
見る目だけはガチ、という自己評価は、どうやら正しかったらしい。
零時、配信開始。
【白瀬こはく100万人記念・恩返しぜんぶ返しSP! 会場:まかべ食堂】
《おめでとう!》
《発掘者の凱旋》
《会場が実家で安心する》
「本日は私の記念日ですが、最初に言わせてください。──全部、まかべさんのおかげです!」
「俺は丼を出してただけだよ」
《また言ってる》
《はいはい、ただの解体屋ただの解体屋》
第一部、ファンアート紹介。
世界中から募ったという絵が、次々と画面に流れていく。
包丁を構えた俺。丼を抱えて目を細めるリン。トロフィーみたいに胸を張るこはく。
「ちなみにまかべさんの絵、平均して実物より三割男前です!」
「画力ってのは、嘘をつくためにあるんだな」
《本人、手元しか映さないから顔が伝説化してるんよ》
《丼を抱くリンちゃんの絵、尊すぎて保存した》
第二部、切り抜き職人表彰式。
大賞は、例の偽装騒動を最初から最後までフレーム単位で検証し続けた、検証班ニキ。
こはく手製の「金の包丁トロフィー」(段ボール製)が、画面越しに贈られた。
《検証班、表彰されて照れてて草》
《あの夜の「目のほうを疑う」は名文だった》
第三部、海外ニキの名言・誤訳コーナー。
「いきます! 『He is not a cook. He is a priest of meat.』──自動翻訳、『彼は料理人ではない。肉の神父です』!」
「神父て」
《肉の神父で草》
《MAKABE、海外だと聖職者扱いなの初めて知った》
「あとこれ! 『My sleep medicine』──訳して、『私の睡眠薬』!」
「褒められてるのか、それは」
《最高の褒め言葉なんだよなあ》
《夜勤民はあの研ぎの音で寝てる》
カウンターの端で、こと、と音がした。
定位置に、リンが座っている。今夜はフードもなしだ。
「……それを。大盛りで」
「あいよ。──ところで、例の通達はどうした」
リンは丼を受け取ってから、こともなげに言った。
「……事務所と、話し合った。契約を、ひとつ足した」
「ほう。どんな」
「──『夜食は、自由』」
《つよい》
《人類最強の契約更改、議題が夜食》
《事務所の担当者の顔が見たい》
通った、らしい。
まあ、序列一位と交渉のテーブルで向き合う度胸のある大人は、そう多くない。
「いい交渉だ。──祝いに、味玉をつけてやる」
「……ん」
箸が動き出す。いつもの、綺麗な食い方だった。
企画も看板間際、というところで。
こはくが、マイクを持ち直した。
さっきまでの祭りの声と、少しだけ温度が違った。
「最後に、ひとつだけ。……私だけがこの店を知ってた頃の、ちょっとだけ寂しい話、してもいいですか」
滝みたいだった弾幕が、ゆるやかになる。
「あの頃の私は、再生数二百回ちょっとの配信者でした。深夜に他の人の配信を見て回るのだけが趣味で。……それで、見つけたんです。視聴者三人の、変な解体配信」
「三人のうち一人は、こはくさんだったな」
「そうです! 残りの二人が誰だったのかは、いまだに謎です!」
《俺かもしれん》
《名乗り出ろ、初期三人衆》
「あの頃、世界で私だけが知ってたんです。深夜の駐車場に、とんでもない手元があるって。……今は、100万人が知ってます。それが嬉しくて、誇りで──ほんのちょっとだけ、寂しい」
こはくは笑った。泣き笑いに近い顔だった。
「私の秘密基地、世界に見つかっちゃったので! だからせめて、これだけは言わせてください。──まかべさんを最初に見つけたのは、私です! 以上、白瀬こはくでした!」
《泣いた》
《発掘者の誇り、確かに受け取った》
《100万人、おめでとう》
配信が切れたあと。
リンが、無言でこはくの前に丼を置いた。
「……おかわり。祝い、だから」
「えっ、天宮さんが装ってくれたんですか!? ガチで!?」
「……発掘の、礼。──でも」
リンは定位置に座り直して、ぼそりと付け足した。
「……弟子は、私」
「そこ張り合うところです!?」
丼の湯気だけが、二人の間でのんきに立ちのぼっていた。
俺はと言えば、祝いの大盛りを三杯、追加で装っている。
100万人の城下町ってのは、どうやら米の減りが早い。
片付けの途中、弾幕の最後のほうに流れていた妙なコメントを、ふと思い出した。
《そういや最近、素材市場で「まかべ印」って言葉が流行ってるらしいな。あれ何なんだ?》
まかべ印。
聞き覚えのない言葉だ。俺は看板の灯りを落とした。
──その四文字が今ごろ、どこの誰の足元を静かに崩している最中なのかを、このときの俺はまだ知らなかった。




