第20話 世界の臓器
重い話ってのは、内臓に似ている。
外からは見えない場所で、いちばん大事な仕事をしてる。
だから開けるときは、急いじゃいけない。──傷つけたら、二度と戻らないからだ。
午前三時四十分。
看板を仕舞った店の前に、ヘッドライトが一対、音もなく停まった。
降りてきた葛城主任は、一人だった。部下もなし、書類鞄の列もなし。
代わりに、手首と細い鎖で繋がれた銀色のケースを提げていた。
「……物々しいな。出前にしちゃ、頑丈すぎる岡持ちだ」
「冗談に付き合う体力が、今夜は残っていません」
深夜の照明の下で、役人の顔色は、紙より白かった。
カウンターに、茶をふたつ。
葛城は座る前に、店の外を一度、ぐるりと見回した。
「配信は」
「切ってある。録画もなしだ。──電話で、そう言われたからな」
「……感謝します」
ケースの中身は、分厚い報告書が一冊。
表紙に判子が三つ。どれも、見たことのない印だった。
「結論から申し上げます」
葛城は、湯呑みに口もつけずに言った。
「例の鉱石は、魔石ではありません。ダンジョンの──『核』の、欠片です」
「核?」
「すべてのダンジョンの最深部に、ひとつずつ存在が確認されているものです。ダンジョンを作り、魔獣を生み、全体を維持している。研究班の報告書には、こうあります」
葛城は頁を開き、一行を指でなぞった。
『核とは、世界がダンジョンを生むための、臓器である』
「……ずいぶん詩人だな、お宅の研究班は」
「書いた本人は、三日寝ていないそうです」
俺は茶を一口飲んだ。
臓器、ね。
言われてみりゃ、あの石の光り方は──確かに、脈だった。
「で? その臓器の欠片が、なんだって最深部でもない、熊だの蛇だのの腹ん中にいた」
「不明です。前例がありません。……ただ、核そのものの前例なら、あります。最悪のやつが」
葛城の声が、一段沈んだ。
「過去、海外で核の摘出が試みられた事例が、数件。結果は、すべて同じです。核は、刃だろうが機械だろうが、構造に触れられた瞬間に暴走し──崩壊します。ダンジョンごと。運が悪ければ、上の街ごと」
「……穏やかじゃないな」
「以来、核は国際協定で『触れてはならないもの』とされています。観測のみ。接触は、全面禁止です」
「賢明だ。傷んだ内臓は、素人が開けるもんじゃない」
「ええ。──ここからが、本題です」
葛城が次の頁を開いた。
見覚えのあるグラフだった。天井に張り付いた線が、今度は二本。
「あなたが欠片の周りごと切り出した、あの肉塊。二件とも解析しました。核物質に直接触れていた組織なのに、構造の損傷が──ゼロです。大鎧熊の分も、鎖蛇の分も」
「ほう」
「世界中の接触記録を、すべて遡りました。核に刃を入れて、何ひとつ壊さなかった例は、人類の記録上、二件だけです。──両方とも、あなたです」
「そりゃ、刃を当ててないからな。周りの肉の、流れがほどける場所から外しただけだ」
「それが、できないんです」
「研ぎが足りんのだろう」
「またそれですか!」
葛城は眼鏡を外して、眉間を揉んだ。
ずいぶん見慣れた仕草になったもんだ。
「……先週、研究班があなたの配信映像を全工程解析して、最新のアームで完全に再現しました。包丁も、同じ銘の業物を取り寄せて」
「ほう。それで」
「検体は崩壊しました。零コンマ二秒で」
「アームの研ぎが甘い」
「機械のせいにするのも大概にしてください!」
役人が深夜に声を荒らげるのは、よっぽどのことだ。
葛城は咳払いをひとつして、報告書の間から、角の固い一枚を抜き出した。
「……上の決定です。あなたのその技術は、本日付で、国の台帳に固有技能として正式登録されました。登録名称──ユニークスキル【完全解体】」
「完全、解体」
「保持者は、世界であなた一人です。ご異論は」
「あるに決まってる。スキルってのはな、リンみたいな連中が持って生まれるやつだ。俺のは、研いだ包丁と、十年の経験だよ」
「その経験とやらが世界で再現不能だという話を、いま三十分かけてしたんですが!?」
まあ、台帳に何と書かれようが、明日も包丁の重さは変わらん。
登録料を取られないなら、好きに書かせておけばいい。
「ひとつ聞いていいか」
「どうぞ」
「保管庫の石は、まだ光ってるのか」
「……ええ。息をするように、明滅を続けています。観測班の若手が、最近あれを『その子』と呼び始めて、上が頭を抱えています」
その子、ね。
あの夜、倉庫の入り口で聞いた細い声と、同じ呼び方だ。
強さだけで序列一位を張ってる奴の目には、最初から、あれが「生きてる何か」に見えてたらしい。
──俺の指の背より、よっぽど上等なセンサーだ。
「話は以上か」
「……いえ」
葛城の手が、最後の頁の前で止まった。
めくるかどうか、迷う間があった。
役人が書類の前で迷うのを、初めて見た。
「これは本来、お見せできる段階の情報ではありません。ですが──あなたには、知っていていただきたい」
開かれた頁には、波形のグラフが二枚、並んでいた。
一枚は、海外の崩壊事例の観測記録。注釈に『暴走、直前』とある。
もう一枚は──それと、ほとんど同じ形をしていた。
「……おい。これは」
「国内です。某所のダンジョンの核が、三週間前から、この波形を出し始めました。場所は、まだ申し上げられません」
二枚目のグラフの上で、地名が黒く塗り潰されていた。
世界の臓器が、この国の腹の中で、悲鳴を上げ始めてるって話だ。
葛城が帰ったあと、俺は研ぎ場から包丁を一本、手に取った。
いつもと同じ重さの、いつもと同じ相棒のはずだった。
それなのに。
──黒塗りの下で眠ってる地名に、いつか呼ばれる気がしてならなかった。




