第19話 俺を切ったのは、あんたらの判断だ
断り方ってのは、刃の入れ方に似ている。
深く入れるときほど、静かでなきゃいけない。
力んで音を立てた時点で、肉も話も、台無しになる。
店の音が、消えていた。
寸胴の湯気だけが、細く立ちのぼっている。
【おっさんの解体キッチン:同接39,000】
《包丁置いたぞ》
《おっさんが、包丁を置いた》
《全員、息止めてて草も生えない》
「鳴海さん。数字の話、あんたはさっき途中でやめたな。──俺が代わりに、最後までやろうか」
「……どうぞ」
「十年で、俺があの倉庫で捌いた魔獣は一万四千を超える。素材の歩留まりは平均九割八分。納品クレームは、ゼロ。全部、倉庫の帳簿に載ってる数字だ」
「…………」
「で、その十年に、あんたらがつけた値段が『据え置き』だ。それも帳簿の数字だよ。──別に、間違っちゃいない」
鳴海の指が、書類の角に伸びて、止まった。
揃える角が、もう残っていないからだ。
「あの日、あんたは言った。『これは経営判断です』と。──いい言葉だと思ったよ。私情がなくて、責任の置き場所がはっきりしてる」
「……ええ」
「だから、これもただの、判断の話だ」
俺は、まな板の上の包丁の柄を、指の背でとんと叩いた。
「俺を切ったのは、あんたらの判断だ。尊重するよ。──だから、俺の判断も尊重してくれ」
誰も、何も言わなかった。
弾幕まで、止まっていた。
「俺はここで店をやる。深夜に開けて、捌いて、丼を出す。それが俺の経営判断だ。──稟議は通ってる。差し戻しは、受け付けてない」
《………》
《……き、決まった……》
《怒鳴らないのが一番効くやつだこれ》
《「据え置き」への返しが「差し戻し」なの、倉庫番十年の語彙すぎて泣く》
《砥石三回差し戻した職場の話、回収されたぞ》
鳴海は、しばらく書類を見ていた。
それから、絞り出すように言った。
「……交渉の材料は、まだあります。たとえば設備です。あなた専用の解体棟を新設し──」
「鳴海さん」
俺は寸胴の蓋を開けて、お玉でひと混ぜした。
火を止めても、出汁の仕事は続いてる。いいスープってのは、そういうもんだ。
「肉はな、筋に逆らって引くと、どんな包丁を使っても繊維が潰れる。一度潰れた繊維は、二度と戻らない」
「…………」
「人も、たぶん同じだ。戻らないんじゃない。──戻すもんじゃないんだ。互いに、不味くなるだけだからな」
長い沈黙だった。
鳴海は書類を鞄に仕舞い、立ち上がって──頭を下げた。
深く、まっすぐ。角度をひとつも、間違えていなかった。
皮肉なもんだ。断られたときだけ、研ぎの角度が合うってのは。
「……お時間を、いただきました」
「おう。──丼が口に合ったなら、また客として来な。うちは客なら、誰でも歓迎だ」
鳴海の足が、半歩だけ止まった。
何か言いかけて、やめて、それから夜の向こうに消えた。
詫びの言葉は、最後まで出なかった。
《最後まで言えなかったか……》
《でも最後の礼だけは本物だったぞ、今の》
《「また客として来な」が優しすぎて逆に刺さる》
《これが品のあるざまぁってやつか》
「ほら、営業再開だ。並び直さなくていい、順番は覚えてる」
寸胴に火を戻すと、列が何事もなかったように動き出した。
真ん中あたりで、常連の誰かが拍手をしかけて、隣の客に止められていた。
いい判断だ。拍手ってのは、肉の前でするもんじゃない。
カウンターの端で、こと、と丼が置かれた。空だ。
「……四杯目」
「はいよ」
受け取った丼の縁を、リンは指でなぞって、それから小さく言った。
「……さっきの。強い人の、顔だった」
「俺は包丁より重いもんは持たない主義でね」
「……そういう意味じゃ、ない」
それきり黙って、リンは四杯目に取りかかった。
耳が、ちょっと赤かった。
湯気のせいってことに、しておいてやる。
《リンちゃんの言う「強い」は重みが違うんよ》
《序列一位の認定が出ました》
《同接、跳ねてる。五万超えたぞ》
看板までの三時間で、世界は勝手に騒がしくなっていた。
片付けの途中、こはくから着信。出た瞬間、いつもの音量が深夜の駐車場に響く。
『まかべさん! 切り抜き見ました!? 「俺を切ったのは、あんたらの判断だ」、伸び方がガチでやばいです! 一時間で再生百万、トレンド一位です!』
「切り抜きってのは、ローストビーフか何かか」
『違います! 動画です! あと悔しい報告なんですけど、私が切り抜く前に、三人が切り抜き上げてました! 仕事はやすぎ!』
「お前の本業はなんなんだ」
『発掘です! 最初にまかべさんを見つけたのは私なので、歴史的功績で食べていけます!』
通話の向こうで、キーボードを叩く音がしている。
働き者なのか遊んでるのか、十年経っても分からん気がする。
トレンドは一位が「あんたらの判断」、二位が「低温ざまぁ」、三位が「ヴァンガード」らしい。
三位の連中の会議室が今ごろどんな温度なのかは──まあ、俺の知ったことじゃない。
俺はただ、断っただけだ。
筋の通らない肉に、刃を入れなかった。それだけの話だった。
午前三時。寸胴を磨き終えたところで、電話が鳴った。
葛城主任の番号だった。
「夜分にすみません。……いえ、例の切り抜きは、私も拝見しましたが──本題は、別です」
役人が前置きを飛ばすのは、急ぎのときだ。
「例の鉱石。──解析結果が、出ました」
声が、いつもの役人のそれじゃなかった。
「真壁さん。これは、電話で話していい内容ではありません。……今から、伺っても構いませんか」
深夜三時に役人が動く話ってのは、丼より重いと相場が決まってる。




