第2話 視聴者3人のキッチン
無職、十四日目。
分かったことがひとつある。三十四歳の解体師に、世間は驚くほど用がない。
求人サイトの検索窓に「魔獣解体」と打ち込むと、出てくるのは三件。地方処理場の夜勤、経験不問の搬出バイト、あとはなぜか警備員だった。
ハローワークの窓口でも首をかしげられた。
「解体……ビルのほうですか?」
「魔獣のほうです」
「ああ……最近は、外注の登録制が多いみたいですねえ」
知ってる。その外注に仕事を取られてクビになったのが俺だ。──とは言わなかった。窓口の人は悪くない。
で、暇になった人間が何をするかというと、動画を見る。
ダンジョン配信ってやつだ。攻略、検証、大食い、何でもある。ダンジョン出現から二十年、ずいぶん育った文化だと思う。
その中に「魔獣解体やってみた」という動画を見つけて、再生して、三十秒で胃が痛くなった。
刃の入れ方が逆だ。筋膜は引っ張りすぎだし、何より血抜きの終わっていない肉に、そのまま包丁を入れている。
「あー……もったいねえ」
画面の向こうの魔兎に、思わず手を合わせた。あれじゃ素材が浮かばれない。
──で、まあ。
気がついたら、配信アプリの登録画面を開いていた。
チャンネル名は五分悩んで『おっさんの解体キッチン』にした。ひねりも何もないが、嘘もない。
機材は型落ちのスマホが一台。三脚の代わりに砥石の空き箱を二段重ねて、台所の流しが映る角度に据える。横には十年物の業務用冷蔵庫。築三十年の1DKで、そこだけ妙に本格的な絵面になった。
別に、バズりたいわけじゃない。
ただ、二週間も本気で包丁を握らないでいると、腕は確実に鈍る。素材は冷蔵庫にある。なら、捌くところを流したって減るもんじゃない。
暇潰しってのは、そういうことだ。
深夜零時。配信開始のボタンを押した。
【配信を開始しました 視聴者:0】
「……まあ、そうなるよな」
誰もいない台所で、誰にともなく頭を下げる。
「えー、『おっさんの解体キッチン』、第一回です。今日はC級魔猪のロースを捌きます」
零時十二分、視聴者1。
零時二十分、2。
零時半を回ったところで、3。
《なんの配信?》
記念すべき最初のコメントが流れた。
「見ての通り、解体だよ。C級の魔猪。──ちょうど熟成が上がったところでな」
引き取ってきた魔猪の骨付きロース、約八キロ。布巾で表面の水気を押さえて、まな板に据える。
《魔猪って家で捌いていいの?》
《資格ないと違法のやつでは》
「魔獣解体師一級、持ってる。自家消費なら届出で済む」
《なんで深夜にやってんの》
「無職なんでね。毎日が深夜みたいなもんだ」
《急に重いって》
包丁は筋引きを一本だけ。十年使って、十年研いできた相棒だ。
その前に、肉の状態を確かめる。ドリップはほぼなし。血抜きは引き取った当日に済ませてある。ここをサボった素材は、何をどうしたって二流の味にしかならない。
《解説が妙に具体的で草》
《ガチの人では?》
「魔猪はな、肋骨の内側に薄い膜が二枚走ってる。普通の豚にはない。これを破ると獣臭が脂に回る。だから、先に骨から外す」
関節の継ぎ目に刃先を五ミリだけ沈めて、手首を返す。
こん、と乾いた音がして、肋骨が一本、傷ひとつなく外れた。
二本目。三本目。同じ音、同じ間隔。
《え?》
《今の何?》
《骨ってそんな静かに外れるもんだっけ》
「外れるよ。骨に刃を当てなきゃいい。包丁ってのは骨を切る道具じゃない。──境目を見つける道具だ」
我ながら、技術の話になると口が回る。十年、倉庫で独り言ばかり言ってきたせいだろう。
二枚の膜を、破らずに剥がす。
魔猪の脂は融点が低い。手のひらで触れると溶け始めるから、押さえるのは指の背だけ。
ロースの芯に刃を滑らせると、断面が鏡みたいに照り返した。いい熟成だ。廃棄の判子を押された奴とは思えない。
「素材ってのは、ちゃんと扱えば必ず応える。誰が見てなくてもな」
《おっちゃん、何者?》
《元プロ? どこかのクランにいたとか?》
「ただの解体屋だよ」
気がつけば、八キロの塊は部位ごとの整然とした列になっていた。骨は骨、膜は膜、脂は脂。捨てるところがひとつもない。
まな板の上には、血の一滴も残っていない。
コメント欄が、少しの間、止まった。
《手元、早送りしてない?》
《等速だが》
《録画のカット編集だろ。生で見るまでは信じない》
「生だよ、これ。ほら」
画面に向かって手を振ってやる。我ながら、だいぶ間抜けな絵面だと思う。
そういえば、と画面の隅を見た。
視聴者は三人のまま。コメントをくれたのは二人。
残りの一人は、入ってきてから終始無言だ。退屈なら出ていけばいいものを、数字は一度も減らなかった。世の中、物好きがいるもんだ。
「今日はここまで。この骨はいい出汁が出るんだ。──じゃ、お疲れさん」
配信終了のボタンに指をかけたとき、画面の隅に小さく通知が出た。
【あなたの配信からクリップが作成されました】
「クリップ? ……広告か何かか」
十年、倉庫と素材にしか触ってこなかった男に、配信文化の細かい作法までは分からない。
深く考えずにスマホを伏せ、流しを磨き、包丁を研ぎ直してから布団に入った。
無職十四日目にしては、悪くない夜だった。視聴者三人。大入りじゃないか。
──だから、知らなかった。
俺が泥のように眠っている間。
伏せたスマホの中で、たった四十秒のクリップの再生数が、音もなく回り始めていたことを。




