第1話 コストカット
「戦えない奴に払う給料はない」
通された会議室で、開口一番にそれを言われた。
大手探索者クラン《ヴァンガード》本部ビル、十二階。十年通った職場で、初めて入る部屋だった。窓の外には都心第三ダンジョン──通称「大穴」の管制塔が見える。いい眺めだ。倉庫番には一生縁のない眺めだった。
「真壁さん。あなたの腕が悪いという話ではない。これは経営判断です」
長机の向こうに座るのは鳴海蓮司。クランのエースにして、今期から素材部門の予算を握った男。歳は俺の五つ下の二十九。S級魔獣を単独で沈める、正真正銘の天才だ。
「ダンジョン産素材の解体は、外注に出せばコストが半分になる。数字を見れば誰でも分かる話だ。専属の解体師を一人抱えておく時代じゃないんですよ」
「そうか」
俺の返事はそれだけだった。
鳴海の眉が、ぴくりと動く。
「……驚かないんですね」
「まあ、薄々な。倉庫の備品申請、三ヶ月通ってなかったし」
砥石ひとつ買うのに稟議が三回差し戻される職場ってのは、つまりそういうことだ。十年もいれば、空気の変わり目くらいは分かる。
ダンジョンが現れて二十年。魔獣を狩る探索者は子供のなりたい職業ランキングの不動の一位で、最前線に立つ連中は億を稼ぐ。一方、狩った獲物を裏で捌くだけの男の値段は──まあ、こうして経費削減の赤ペンで消される程度、ということらしい。
「退職金は規定通り出ます。それと、上乗せ分の代わりと言ってはなんですが」
鳴海が書類を一枚、滑らせてきた。
廃棄予定素材の引き取り許可書。C級以下、市場価値ほぼゼロ。倉庫の隅で埃をかぶっていた連中だ。
「処分費が浮くので、こちらとしても助かる。要らなければ断ってもらっても構いませんが」
「もらうよ」
即答すると、鳴海は虚を突かれた顔をした。
「……あんなもの、何に使うんです」
「捌けば食える」
「は?」
「魔猪のC級なんかは、血抜きと熟成さえ間違えなきゃ、そこらのブランド豚より美味いんだよ。脂の融点が低くてな。知らなかったか」
知らないだろうな。こいつは素材を「買取価格」でしか見たことがない。
別に嫌味のつもりはなかったが、鳴海は不愉快そうに書類を揃えて立ち上がった。
「十年間、お疲れさまでした。真壁さん」
「おう。お疲れさん」
面談は十五分で終わった。
十年が、十五分で終わった。
──まあ、そんなもんだろう。
地下二階の素材倉庫に降りると、見慣れた蛍光灯の白が、いつも通りの顔で俺を迎えた。
ロッカーの私物なんて、ほとんどない。包丁一式と、砥石が三本と、油の染みたエプロン。段ボール半分で人生十年分の荷物が片付くんだから、我ながら身軽なもんだ。
「真壁さん! これ、本当なんすか」
振り返ると、搬入係の後輩たちが台車も置かずに立っていた。
「クビって……いや、おかしいでしょ。先月のA級飛竜、真壁さんがいなかったら翼膜どころか胆嚢まで全部駄目になってたじゃないですか。あれ一本でいくらになったと──」
「言うな言うな。決まったことだ」
俺は笑って、最後の包丁を布に巻いた。
解体ってのは、地味な仕事だ。
討伐隊が命懸けで持ち帰った魔獣を、価値を一円も損なわずに「素材」へ変える。上手くいって当たり前。失敗して初めて存在に気づかれる。十年やって、表彰されたことは一度もない。
それでいい、と思ってやってきた。素材は、ちゃんと捌けば必ず応えてくれる。腕ってのはそういうものだ。誰が見ていなくても。
「……お世話になりました!」
台車を押して倉庫を出る俺の背中に、後輩たちの声が揃った。
振り返ると、全員が深々と頭を下げていた。
「おう。──飛竜の翼膜はな、付け根から三センチ上に刃を入れろ。逆撫ですると裂けるぞ」
最後までそれかよ、と誰かが笑った。
少し、泣いてるような声だった。
アパートに帰り着く頃には、日付が変わりかけていた。
築三十年の1DK。その台所には不釣り合いな、業務用の大型冷蔵庫がひとつ鎮座している。中古で買って十年、家賃の次に金をかけてきた相棒だ。
引き取ってきたC級素材を、慣れた手順で処理して詰めていく。血抜きの確認、ドリップの始末、真空パック。指は勝手に動く。十年、毎日やってきたことだ。
作業を終えて、ふと我に返る。
三十四歳。独身。本日付けで無職。所持資格、魔獣解体師一級のみ。再就職のあては──クランの専属解体枠なんて、業界にもう数えるほどしか残っていない。
「……さて、どうすっかな」
呟いて、冷蔵庫の扉を閉めかけた手が、止まった。
最下段の奥。布をかけて目隠ししてある、一番上等の一角。
そこには十年分の「俺の道楽」が眠っている。廃棄処分の判を押された素材の中から、「これを捨てるのは素材への冒涜だろう」というやつだけ、自腹で買い取って最高の状態で熟成させてきた連中だ。
クランの誰一人、その価値に気づかなかった。──たぶん、世界中の誰も、まだ。
俺はビールの缶を開けて、とりあえず祝杯ということにした。
何の祝いなのかは、自分でもまだ分かっていなかったけれど。




