第17話 いや、飯屋が本業なんで
肩書きってのは、出汁と同じだ。
効いてるうちは誰も気づかないが、濃すぎると飲めたもんじゃない。
翌日の夜。開店前のフードトラックに、葛城主任はネクタイを締め直して現れた。
脇に抱えた書類の束が、嫌な厚さをしていた。
「昨夜お電話した件、正式な書面をお持ちしました」
カウンターに置かれた一枚目に、でかでかと書いてある。
『特級解体師認定制度(新設)について』
「国家資格の新設です。第一号──というより、当面は唯一の認定者として、真壁巧氏を想定しています。ここからが本題でして」
葛城が二枚目をめくった。
「待遇です。年俸は、こちらの額。国家案件への優先従事。庁舎内に専用の解体施設。送迎と警護が二名。それから住居の──」
「待て待て」
書類のゼロを数え直した。
二回数えて、二回とも同じ数だった。
「桁を間違えてないか」
「間違えておりません。探索者の序列上位と同じ算定基準です」
「俺は倉庫番だぞ」
「世界で唯一の、です」
役人ってのは、変なところで譲らない。
「だいたい、警護ってのは何に使うんだ」
「あなたの腕は、もう国家機密に近い扱いなので」
「包丁一本でやってきて、初めて言われたよ、それは」
俺は書類をいったん置いて、寸胴の火加減を見た。
今夜は岩竜のテールスープだ。あと二時間は弱火の番をしてやらないと、せっかくのゼラチンが台無しになる。
「真壁さん。聞いておられますか」
「聞いてる。──で、それを受けたら、店はどうなる」
「は?」
「庁舎に通うんだろう。深夜の営業と、配信は」
葛城の目が、泳いだ。
役人の目が泳ぐのは、答えが「駄目」のときだ。
「……勤務は常勤を想定しています。ご営業は、その、週末などに、趣味として」
「じゃあ駄目だ」
「即答!?」
その夜も、店と配信はいつも通りに開けた。
【おっさんの解体キッチン:同接41,000】
国家案件の余波で、同接の桁がひとつおかしいまま、戻らない。
《特級解体師きたああああ》
《ニュース見たぞ! 第一号おめでとう!》
《年俸いくらか予想スレ立ってて草》
「ああ、その件な。断る方向で考えてる」
スープを混ぜながら言ったら、弾幕が止まった。
ぴたり、と。
《は?》
《待て》
《断るのかよ!!》
《国家資格第一号だぞ!?》
《年俸数千万って報道出てたぞ!?》
《おっさん、正気か?》
「いや、飯屋が本業なんで」
《本業そっちかよ》
《じゃあ解体は何なんだよ》
《副業の練度じゃねえんだわ》
《担当のお役人の胃に黙祷》
カウンターの端で、丼を持ったまま固まっている客がいた。
リンだ。箸が、止まっている。
こいつの箸が止まるのは、よっぽどのことだ。
「……受けないの」
「店があるからな」
「……私の業界で、あの条件を断った人、見たことない」
「だろうな。お前らは体が資本だ。俺は包丁と冷蔵庫が資本でね。職場ごと引っ越せって話は、受けられん」
「…………」
リンは何か言いかけて、やめて、丼に戻った。
食いながら、ちらちらこっちを見ている。なんだ、その顔は。
そこへ、こはくから着信が入った。出た途端、深夜の店に大音量が響く。
『まかべさん!? トレンド見ました!? 「断るのかよ」が一位です! ガチやばです! あ、でも安心してください、三位に「それでこそ店主」も入ってるんで、実質世論は五分です!』
「何を言ってるのか半分も分からんが、元気なのは分かった」
『分かってくださいよ! いま国民の話してるんですよ!?』
国民。
ついこの間まで視聴者三人だった男に使う単語じゃないだろ、それは。
三日後の深夜。葛城主任は、目に見えてやつれて戻ってきた。
「……上と、掛け合いました」
カウンターに置かれた書類は、前回より薄かった。
「『非常勤』という枠を、新しく作ります。国家案件が起きたときだけ、要請に応じていただく。施設は使いたいときだけ。警護はなし。営業も配信も、ご自由に。──その代わり、要請には最優先で応じていただく。これが限度です。これ以上は、私の胃に穴が開きます」
「最初からそう言ってくれりゃ早いんだ」
「最初に常勤を蹴る方が前例にないんですよ!」
葛城は湯呑みの茶を一息で干して、絞り出すように言った。
「……上層部への報告書に、何と書いたと思いますか。『年俸を提示したところ、スープの火加減を理由に保留されました』です。私のキャリアで一番、説明に困った一枚でした」
「そいつは悪かった。──ほら、これでも飲んで帰れ。テールスープ、今夜が飲み頃だ」
「そういうところですよ、まったく。……いただきます」
ついでに、と俺は冷蔵庫の上で埃をかぶりかけていた封筒を取った。
例の、特異素材の解析協力依頼。
「これもまとめて、その非常勤とやらでいいか」
「! ようやくお返事を……ええ、ええ、結構です。まとめておきます」
隣で聞いていたリンが、ぽつりと言った。
「……よかった」
「ん?」
「店、なくならない」
「なくなるか。──ほら、大盛り」
差し出した丼を、リンは両手で受け取った。
世間が人類最強と呼ぶ横顔が、湯気の向こうで、ちょっとだけ緩んだ。
その週のうちに、報道が出た。
『世界初の国家資格「特級解体師」誕生──本人の強い希望により非常勤。理由は「飯屋が本業なので」』
見出しのセンスってのは、どうにかならんのか。
──そして、同時刻。
その見出しを映すモニターを、都心のビル十二階──ヴァンガードの会議室が、音もなく見つめていた。




