第16話 この人は、私の恩人だ
騒動ってのは、寝かせると育つ。
そして役人ってのは、育った騒動を、深夜の丼屋に持ってくる。
「夜分に失礼します。──冷蔵庫の上の封筒、まだお返事をいただいていませんが、今日はそれより大きい話です」
零時十五分。カウンターの一番端で、葛城主任が深々と頭を下げた。
話はこうだ。
都心、駅直結の浅いダンジョンで、十日前に討伐されたS級の大蛇──鎖蛇の死骸が、浅層の大通りを塞いだまま動かせない。
腐らないのだ。死後十日で、腐敗ゼロ。
搬出しようと触れた回収班が三人倒れ、解体に入った一級資格者の刃は、ことごとく弾かれた。
探索は全面停止。直結の駅が三つ閉まって、昼のニュースは「経済損失、一日数十億」と騒いでいるらしい。
「国として、原因の究明と撤去をお願いしたい。──作業は、すべて公開で中継します。透明性のためです」
「うちの店のやり方を、国がパクるのか」
「参考に、させていただきました」
役人ってのは、たまに食えない。
「触ってから決める。──仕込みがあるんでな、行くなら明日の夜だ」
翌日、深夜。浅層第三階層。
国の照明の下に、全長三十メートルの白い大蛇が横たわっていた。
【国家検証・公開中継:視聴者84,000】
《いつもの店主が、いつもじゃない場所にいる》
《国家案件に出前される丼屋とは》
《白瀬こはく:現地入りの許可は下りませんでした! モニター前で正座してます! 胃が痛いです、ガチで!》
「店主の真壁です。今夜は丼はない。──じゃ、始める前にひとつだけ」
鱗を、指の背でこんこんと叩く。
「……妙だな。死後十日で、血の匂いも腐りの匂いもしない。それどころか──こいつ、体の中の道が、まだ全部生きてる」
「魔力構造が、ですか」と、規制線の内側から葛城主任。
「ああ。体は死んでるのに、流れだけが回り続けてる。体のほうが、自分が死んだことに気づいてないんだ。だから腐らない」
「回収班が倒れたのは」
「流れてる川に、素手を突っ込んだからだ。逆撫でされりゃ、川だって暴れる」
《説明がわかりやすすぎる》
《一級資格者が全員撤退した現場の解説がこれでいいのか》
「で、流れには必ず中心がある。──心臓の、隣あたりにな」
そう言ったとき、護衛の列の端で、影がひとつ動いた。
白に近い銀色。見覚えのある顔が、見覚えのない装備で立っていた。
「なんだ、リンか。──『仕事』ってのは、これか」
「……はい」
コメント欄が、爆発した。
《待て》
《待て待て待て》
《天宮凛じゃねえか!!》
《は? 人類最強が「リン」??》
《しかも敬語使われてるの、おっさんの方だぞ》
《考察班、全員叩き起こせ。フードちゃんの正体、いま確定しただろ》
リンは騒ぎに構わず、死骸の胸のあたりをじっと見て、小さく言った。
「……いる。あの夜と、同じ」
「ああ。──また『その子』か」
白い柄に右手が掛かるのを見て、俺は頷いた。守りは、こいつに任せていいらしい。
刃を入れる場所ってのは、切る場所じゃない。流れが、ほどける場所だ。
鱗を一枚。また一枚。筋の境目を、流れと同じ向きに開いていく。
八時間のあの夜と、同じ手順。同じ速さ。場所が変わっても、肉は肉だ。
《地上波来たぞ》
《全局中継始まった》
《視聴者、十万超えた……》
肋骨の裏で、青白い光が息をしていた。
握り拳ふたつ分。あの夜の石の、倍はある。
刃は最後まで、光には当てない。周りの肉ごと、ひと塊で外して、箱に納める。
蓋を閉じた瞬間──死骸が、長いため息みたいな音を立てた。
途端に肉の張りが緩んで、まともな血の匂いが立ち始める。
「……これでこいつは、やっと死ねる。あとは普通の解体だ。腐り始める前に、急ぐぞ」
《今の音で泣いた》
《「やっと死ねる」は反則だろ》
《国家事業が深夜の作業配信と同じ空気で進んでいく》
地上に戻ると、規制線の外が、レンズの壁になっていた。
「真壁さん! 原因究明の感想を!」
「国家案件を、なぜ無名の民間人が!」
「失敗すれば二次災害でした! 責任の所在は!」
「例の偽装疑惑で炎上した配信者ですよね! 今回も売名では──」
マイクってのは、束になると刃物より行儀が悪い。
俺が口を開くより早く、目の前に、背中がひとつ割り込んだ。
照明の下で、白に近い銀色が揺れた。
「──天宮凛。探索者序列、一位」
レンズの壁が、一斉に角度を変えた。怒号みたいだった質問が、別の悲鳴に変わる。
「人類最強だ」「なぜここに」「天宮さん、お二人のご関係は──」
「この人は、私の恩人だ」
静かな声だった。なのに、現場の音が全部消えた。
「命を、救われた。……それだけじゃ、ない。この人の仕事を疑うなら、先に私を疑えばいい」
それだけ言って、リンは一歩も動かなかった。
シャッターの音だけが、雨みたいに降った。
その夜のうちに、トレンドの一位が「天宮凛」、二位が「深夜の解体屋」、三位が「恩人」になったらしい。
らしい、というのは──まあ、うちのテレビは、いつもの通りだ。
撤収する規制線の裏で、装備のままのリンに聞いた。
「序列一位ってのは、偉いのか」
「……一番強い、だけ」
「そうかい。道理で、よく食う」
リンは少し黙って、それから、ふ、と笑った。
「……今夜も、開いてる?」
「ああ。零時にな。──二杯目から大盛りだ」
で、その零時。
店はいつも通りに開けて、いつもの倍の客が並んで、いつも通りに看板まで捌いた。
片付けの途中で、電話が鳴った。葛城主任の番号だった。
「夜分にすみません。……今回の件の御礼は、改めて。実は──別件でして」
役人の声が、妙に改まっていた。
「先ほど、上の方針が固まりました。国は、あなたのために新しい資格をひとつ作ります。──世界で最初の『特級解体師』として、あなたを認定したい。そういう打診です」
受話器の向こうで、拍手と怒号の混ざった音が、遠く聞こえた。
──面倒な予感ってのは、嫌な予感と違って、当たってからが長い。




