第15話 ヴァンガードの異変・三
遠征は、成功のはずだった。
大穴、中層二十六階。エース部隊三十六名、直率は鳴海蓮司。十日間の大規模討伐遠征。
戦果は、申し分なかった。
A級岩竜、二体。A級飛竜、一体。B級以下、九十七体。素材換算で、四半期分の赤字をひと月で埋める量だ。
量で殴る。それが鳴海の立てた挽回策だった。
解体の質が市場に疑われているなら、誰にも文句のつけようのない一級の素材を、市場が黙る量で流し込む。単価が三割下がっているなら、三割増しで獲ればいい。
それができる戦力が、ヴァンガードにはある。
少なくとも──戦力は。
最終日、二体目の岩竜を沈めたとき、部隊の若手が言った。
「やっぱり鳴海さんは別格っすよ。これで素材部門も一発逆転ですね」
「逆転ではありません。正常化です」
鳴海は剣の血を払って、そう答えた。
数字は戻す。役員会で、そう言った。
地上へ向かう輸送車列を見送ったとき、鳴海は確かに、勝った気でいた。
三日後。
検品報告書は、薄い紙のくせに、やけに持ち上げにくかった。
『遠征討伐分・受入検品結果。総数百体のうち、規格内五十一。等級降格もしくは廃棄、四十九』
半分だ。
半分が、倉庫に着くまでの間に、ただの肉と革の塊に変わっていた。
「輸送事故か」
「いえ。輸送は規定通りです。温度記録にも異常はありません」
報告に来た素材部門の主任は、そこで一度、言葉を選んだ。
「……現地の一次処理です。血抜きと、内臓の始末と、予冷。討伐から最初の三時間で、素材の持ちは決まるんだそうです。今回は獲物が多すぎて、処理が……追いつかなかったと」
「外注の現地処理班を同行させたはずだ」
「させました。一級資格者を、規定の倍。──ただ」
主任が、ファイルから古びた紙束のコピーを出した。
几帳面な、手書きの文字。
『遠征隊向け・一次処理手順。岩竜:討伐後ただちに頸の第二関節から血抜き。三十分以内』『飛竜:翼膜は付け根から三センチ上。逆撫で厳禁。吊るす前に必ず──』
獲物別。階層別。季節別。
めくっても、めくっても、終わらなかった。
その筆跡に、見覚えがあった。地下二階の、棚一段ぶんの申し送りと、同じ手だ。
「古参の搬入係が言うには……以前は遠征のたびに、その遠征の獲物に合わせた手順書が、荷に入っていたそうです。誰が頼んだわけでもなく。──書いていた本人がいなくなってからは、誰も」
鳴海は紙束をファイルごと受け取り、デスクに置いた。
角を、揃えた。
とっくに揃っていたのに、もう一度、揃えた。
「報告は以上か」
「……経理から、もうひとつ。今回の遠征、戦果を半分に割ると、遠征費が上回ります。つまり」
「分かっている」
赤字だ。
量で殴りに行って、量で殴り返された。
主任が出ていったあと、鳴海は窓の外を見た。大穴の管制塔が、今日も同じ顔で立っている。
この眺めのいい十二階で、自分は何をひとつでも、前に進めただろうか。
その夜、鳴海はオフィスに一人で残った。
書きかけの対策案は、二行で止まっていた。
現地処理研修の強化。手順書の整備。──その手順書を、誰が書く?
ペンの尻が、デスクを二度叩いた。
止めた。
端末を引き寄せる。検索欄に文字を打って、消した。もう一度、打った。
【おっさんの解体キッチン】
幹部たちが噂していた、例の深夜配信。真壁巧が今、立っている場所。
開いたことは、一度もなかった。開く理由がなかった。あれは、終わった経費の話だ。
──検証だ、と自分に言った。
あの男の手順とやらに、再現不能な何かが本当にあるのか。あるなら手順化して盗めばいい。なければ、やはり運だったと証明できる。どちらに転んでも組織の利益になる。
完璧な理屈だった。
完璧な理屈を、深夜二時のオフィスで、たった一人で組み立てていた。
再生したのは、例の八時間の動画だった。
《ノーカット仕込み配信:朝まで、全部見せます》。再生数の桁を、二度数え直した。
音は、消して見るつもりだった。
最初の一時間、画面の中の男は、ただ刃物を研いでいた。
早送りに伸ばした指が、止まった。
研ぎ上がった刃を、男が灯りに透かす。その確かめ方ひとつに、見覚えがあった。地下二階の蛍光灯の下、何百回もすれ違って、一度も足を止めなかった光景だった。
二時間目。大鎧熊の肩。
刃が入る。音もなく、筋と筋の境目が、ほどけるように開いていく。
切っている、ようには見えなかった。
最初からそういう形だったものを、ただ元に戻している。そう見えた。
鳴海蓮司は、剣の天才だ。
だから、分かってしまった。
あの刃の入り方は、再現できない。自分の剣でも、届かない。力でも速さでもない。あれは──視えていなければ、できない。
気づくと、音を出していた。
しゃ、という研ぎの音。骨の外れる、乾いた小さい音。コメントの弾幕が、画面の端を流れていく。
《この手元を六時間見て、まだ疑う気力が残ってる奴がいたら、俺はそいつの目のほうを疑う》
窓の外は、とっくに明るくなっていた。
八時間の動画が、終わろうとしていた。早送りは、一度もしなかった。
画面の中で、男が雷鹿の断面をレンズに向けている。
稲妻の形のサシが、走ったときの姿のまま、そこにあった。一筋も、逃げていない。
十年。一万四千二百件。事故、ゼロ。
ファイルごと受け取った、あの几帳面な手書きの文字が、その断面に重なった。
運じゃない。
運じゃないなら、何だ。俺が経費の一行に丸めて、赤ペンで消したものは、何だったんだ。
動画が終わり、暗転した画面に、自分の顔だけが映った。
ひどい顔だった。
「……なぜだ」
声は、誰もいないオフィスに、思ったより大きく落ちた。
「あいつは──戦えないだけの、男のはずだ」




