第13話 ノーカット八時間
「上限は、ないです」
答えは、三秒で返ってきた。
「配信の連続時間、規約上は無制限です。ただ、八時間を超えると『耐久』って呼ばれて、だいたい伝説になります。……まかべさん、まさかとは思いますけど」
「八時間か。ちょうどいい」
「ちょうどよくない! 何がちょうどいいんですか!」
仕込みってのは、元々それくらいかかるんだ。普段は、見せてないだけで。
記事は、一晩でよく育っていた。
転載が八つ、まとめが五つ。昼の情報番組でも「深夜の人気配信者に素材偽装疑惑」と十五秒ほど流れたらしい。
らしい、というのは、うちのテレビは八年前から冷蔵庫の台だからだ。
こはくからは、一時間おきに電話が来た。
「通報五十件出しました! でも記事が増えるほうが速いです! ガチで増殖してます!」
「そうかい。なら、こっちは予定通りだ」
「ほんとにやるんですか、八時間ノーカット……。身の潔白って、普通は会見とか、弁護士とかじゃ」
「会見じゃ肉は焼けないだろ」
「そういう話でしたっけ!?」
電話の向こうの悲鳴を聞き流しながら、俺は砥石を水に沈めた。
ちなみにうちの弟子は、昨日の看板際に「……しばらく、仕事です」とだけ言い残して、今夜は休みだ。
行き先は聞いていない。客の詮索を具にしない店は、弟子の詮索も具にしない。
その夜。庇の下に、貼り紙を二枚出した。
一枚目。【本日、丼はお休みです。仕込みをやります】
二枚目は、書類の束のコピーだ。八年前の雷鹿の買い取り記録。魔獣素材の取扱届。保健所の営業許可。受付印が映る向きに揃えて、クリップで留めた。
深夜零時、配信開始。
【ノーカット仕込み配信:朝まで、全部見せます】
開始三秒、同接四万。炎上ってのは、客寄せにもなるらしい。
《来たぞ》
《燃えてると聞いて》
《祭りの会場はここですか》
《で、言い訳は?》
「店主の真壁です。今夜は丼はない。代わりに、うちの仕込みを最初から最後まで流す。カメラは止めない。編集もしない。書類は庇に貼った。読みたい奴は読んでくれ。──以上だ」
偽装、という言葉は使わなかった。
弁明ってのは、口でするもんじゃない。十年、倉庫でそう覚えた。
最初の一時間は、研ぎだ。
荒砥、中砥、仕上げ。しゃ、しゃ、という規則正しい音だけが、深夜の路上に流れていく。
《おい、解体は》
《まだ研いでる》
《一時間ずっと研いでるんだが》
《研ぎで尺稼ぎか? 都合の悪いとこだけ飛ばす気だろ》
色の違う水は、今夜も混じってくる。
俺は答えなかった。砥石の番手を上げた。
刃ってのは、騒がしい夜ほど静かに仕上がる。
《検証班だ。冒頭からフレーム単位で解析を回してる。現時点でカットの痕跡なし。続報を待て》
《頼んだ》
《すまん、検証どうでもよくなってきた。音がいい》
二時間目、大鎧熊の肩の筋外し。
三時間目、魔猪の骨を割って、寸胴に出汁を仕掛ける。
四時間目、筋と端肉を炊いて、タレの当たりを取る。
喋ったのは、技術の話だけだ。
「骨ってのは、割る場所で出汁の濁りが決まる。関節は避ける。髄はまっすぐ開く」
疑惑の話は、こっちからは一度もしない。
《気づいたか。この人、今夜まだ一度も「信じてくれ」って言ってない》
《言わないんだよ、この人は。手しか出さない》
《その手が全部喋ってる》
流れが変わったのは、四時間を過ぎたあたりだった。
《すまん、寝てた。起きたらまだ捌いてた》
《わかる。この配信、心拍数が下がる》
《夜勤の仮眠はここで取ることに決めました》
同接は、減らなかった。
画面の向こうで寝てる連中の分まで、数字は静かに積み上がっていく。妙な商売だ。
こはくは、と見れば──「モデレーターは私が! 徹夜はガチで得意です!」と意気込んでいた監視役が、カウンターの端で機材を抱いたまま、誰よりも早く陥落していた。
タオルケットを掛けてやる。配信ってのは、過酷な仕事らしい。
五時間目、コメント欄に見覚えのある名前が流れた。
《鉄菱・隊長:当事者なので一応。例の大鎧熊の解体、見積もりも支払いも納品も、全部正規でした。書類も残っています。あの夜、うちの隊はこの人に救われました。以上です》
《本人きて草》
《当事者の証言は強い》
《物証で殴るな》
六時間目、検証班が長い書き込みを置いていった。
《検証班・最終報告。ここまで全フレーム連続。カットなし、早送りなし、すり替えなし。……最後にひとつだけ言わせてくれ。この手元を六時間見て、まだ疑う気力が残ってる奴がいたら、俺はそいつの目のほうを疑う》
《成仏したか》
《疑うのも仕事だ。ドンマイ》
アンチの色をした水は、いつの間にか、流れから消えていた。
空が白み始めた頃、最後の包みを開いた。
雷鹿の背ロース、八年物。──例の「廃棄個体」の、端の一切れだ。
《来た》
《本丸だ》
《これが疑惑のS級……》
偽物のサシは、火を入れると逃げる。
だから、火を入れる。
熱した鉄板に乗せると、脂がひとすじ落ちて、青白い火が立って、消えた。
裏を返して、引き上げて、少し休ませて──切る。
断面には、稲妻の形のサシが、走ったときの姿のまま残っていた。
逃げていない。一筋も。
俺はその断面を、レンズに向けた。
十秒、そのまま。何も言わずに。
コメント欄が、止まった。
「──以上。仕込み、終わり。お疲れさん」
時刻は朝の八時。八時間で騒動に触れたのは、最初の一言だけだった。
《お疲れ様でした》
《完敗です》
《おい、例のまとめ、記事消して逃げたぞ》
《転載先も次々消えてる。早すぎて逆に笑う》
《今日からここ、作業配信の聖地な》
《白瀬こはく:おはようございます! 私は何ひとつ見逃して──寝てました! ガチで一生の不覚です!!》
寝起きの監視役の絶叫を最後に、配信終了のボタンを押した。
機材ごとこはくをタクシーに詰めて帰し、貼り紙を剥がし、洗い場を流す。
朝の通りは、夜とは別の顔をしている。雀が鳴いて、新聞配達のカブが角を曲がっていった。
さて、俺も寝るか──と、伸びをした。そのときだった。
風が、変わった。
鉄錆に似た匂いが、ひとすじ、風上から流れてくる。
十年、毎日嗅いできた匂いだ。嗅ぎ間違えるはずがない。
血だ。それも──まだ、新しい。
通りの角から、足音がひとつ、近づいてくる。
ひどく、不揃いな足音が。




