第11話 ヴァンガードの異変・二
その報せは、月曜の朝礼前に届いた。
「大穴の中層十九階で、うちの提携工房製の長剣が折れました。──戦闘中に、です」
会議室のモニターに、写真が映し出される。
刀身が、根元から三分の一のあたりで、ねじ切れるように断たれていた。
「使用者は前衛一名。左腕に裂傷。幸い、軽傷です。盾持ちのカバーが半秒早ければ、無傷でした」
幸い、と装備部長は言った。半秒遅ければ、という言い方を、彼は選ばなかった。
鳴海蓮司は、配られた資料の数字だけを目で追った。
素材はA級岩竜の牙。納品元は、ヴァンガード素材部門。解体は、選定基準を厳格化したばかりの登録外注、一級資格者。検品、通過。
書類の上では、どこにも穴がない。
「工房の見解は」
「鍛造工程に異常なし。素材内部の魔力構造に微細な断裂が複数──鍛造前の検査では検出できない深さだったそうです。つまり、その」
部長が、一拍置いた。
「解体段階の損傷だろう、と」
また、それか。
鳴海は手にしていたペンを、静かに置いた。置いてから、今朝はまだ一度も、そのペンで何も書いていないことに気づいた。
選定基準は厳格化した。試験解体を義務づけ、ペナルティ条項も強化した。書類の上で、外注の質は確かに上がった。事故率、前月比二割減。
その「上がった質」の素材が、人間の腰の高さで折れた。
「事故ロットは全量回収。同一業者の納品分は出荷停止。工房と負傷者への対応は、私が直接やります」
「……単価三割減の上に、回収費ですか」
テーブルの端で、誰かが小さく言った。
誰が言ったのかは、確かめなかった。
午後、筆頭スポンサーの武具メーカーから、役員が二人来た。
アポイントが入ったのは、三十分前。役員が自ら出向いてくる用件は、ひとつしかない。
「単刀直入に申し上げます。探索者の装備事故は、武具を打った我々の事故として報じられる。素材起因であっても、です」
「原因は特定済みです。該当業者は契約を解除し、検品体制を三重化します」
「鳴海さん」
年嵩のほうが、静かに遮った。
「業者を替えるのは、これで何度目ですか」
返す数字が、なかった。
「契約更改は半年後です。それまでに、御社素材の品質数値が『以前の水準』に戻ること。今日のところは、それだけ申し上げに」
役員たちは、出された茶に口をつけずに帰った。
以前の水準。
買取商社の査定人も、同じ言葉を使った。以前のお宅の素材は教科書みたいだった、と。
誰がやっても同じはずの規格作業に、「以前」と「今」がある前提で、全員が話す。
馬鹿げている、と思う。
解体は国家資格制の規格作業だ。資格者が規定の手順で処理すれば、品質は同等になる。なるように、制度が組まれている。
個人の腕で品質が変わるなら、それはもう工業ではない。工芸だ。
クランの屋台骨を、工芸に預けられるか。
だから、あの判断は正しかった。
数字も、そう言っていた。
──言っていた、はずだ。
その夜、鳴海は一人、素材部門の納品データベースを開いた。
検索条件、過去十年。処理者、真壁巧。
エンターキーを押す指が、一瞬だけ迷った。迷った自分に苛立って、押した。
処理件数、一万四千二百件。
事故報告、ゼロ。返品、ゼロ。等級降格、ゼロ。クレーム、ゼロ。
ゼロが四つ、画面に並んでいる。
何かあるはずだ。隠れた失敗、握り潰した事故、せめて一件の返品。十年だぞ。人間が十年、毎日刃物を振るって、無傷でいられるはずがない。
鳴海は地下二階に降りて、紙の検品控えまで遡った。
何も出なかった。
代わりに出てきたのは、ファイルの間に挟まった、几帳面な手書きの申し送りの山だった。
「飛竜の翼膜は付け根から三センチ上。逆撫で厳禁」「岩亀は甲羅を外す前に、必ず体温を確認」──誰に読まれることも期待していない筆跡で、倉庫の棚、一段ぶん。
運が良かっただけだ、と思おうとした。
十年。一万四千二百回。毎日。
その回数の前で、「運」という言葉は、音を立てて安くなった。
気づくと、指先がデスクの縁を、こつ、こつ、と叩いていた。
止めた。
翌日の緊急幹部会は、重かった。
素材部門、赤字幅拡大。単価三割減が効き始めて、最初の月だ。そこにスポンサーの通告と、回収費が乗る。
経理の読み上げが終わると、会議室は、空調の音だけになった。
沈黙を破ったのは、探索部門を束ねる古参の幹部だった。
「──真壁がいた頃は、こんな事故は一度もなかった」
その名前が役員会議で出たのは、初めてだった。
鳴海は、自分の指が資料の角を揃え直しているのに気づいて、止めた。とっくに、揃っているのに。
「個人の話ではありません。体制の話です」
声は、思ったより硬く出た。
「専属一名に全素材を依存する体制こそが、リスクでした。あの男が事故を起こさなかったのは結構なことです。ですがそれは結果であって、保証ではない。属人性の排除は、組織として正しい判断です」
「その正しい判断の収支が、これか」
幹部が、決算速報の紙を、指の腹で叩いた。
「正しさの定義を聞いてるんじゃない。十年間ゼロだったものが、なぜこのふた月でこうなったのかを聞いている」
研いだ包丁と経験だよ。
いつか倉庫で聞き流した声が、なぜか今になって耳の奥で再生されて、鳴海はそれを振り払った。
違う。あれはただの倉庫番だ。戦えない、数字を出さない、経費の一行だ。
あいつのおかげのはずがない。
──ないんだ。
「業者の再選定と、検品の三重化。数字は戻します。期限は半年、スポンサーの更改までに」
「期待しているよ。数字は嘘をつかないんだろう」
会議は、それで散会になった。
資料をまとめる鳴海の背中の後ろを、幹部たちが連れ立って出ていく。
ドアの手前で、そのうちの一人が、もう一人へ、独り言ほどの声量で言うのが聞こえた。
「……例の深夜配信、見たか」
「ああ。──断面ってのは、あんなに静かなものなんだな」
ドアが、閉まる。
鳴海蓮司は、その配信を、まだ一度も開いたことがない。




