第10話 弟子入り志願
鉱石の騒ぎから、十日が経った。
店は何も変わらない。深夜零時、コインパーキングの隅、賄い丼一品の五百円。
変わったのは同接の桁だ。手元と鍋しか映していない配信に、毎晩万単位の暇人が集まる。世も末だと思う。
ちなみに葛城主任の置いていった封筒は、まだ冷蔵庫の上にある。
返事は急がないと言われたしな。光る石より先に、捌くべき肉が毎晩ある。
今夜の丼は、大鎧熊の肩肉。鉄菱の連中が「せめてもの礼です」と一箱送ってきたやつだ。
瓦みたいな装甲の下で十年働いた肩は、繊維が太くて、出汁にすると馬鹿みたいに濃い。
零時二十分。
街灯の影から、いつものフードが滲み出てくる。
「いらっしゃい」
「……それを」
「あいよ」
皆勤賞は今夜も更新中だ。
一杯目、湯気に祈る間がひとつ。それから綺麗な箸使いで、一定のペース。二杯目、三杯目、四杯目。
《今夜も平和》
《この子の食いっぷりで一日の疲れが取れる》
《わかる。そしてこっちの腹が減る。困る》
異変は、五杯目のあとに起きた。
いつもなら小銭をきっちり数えて、深々と一礼して、夜に溶けていく。
それが今夜は、箸を置いたまま動かない。
「どうした。足りないなら、まだ鍋にあるぞ」
「……ちがい、ます」
フードの奥で、すう、と息を吸う音がした。
「……弟子に、してください」
鍋を磨く手が、止まった。
コメント欄も、一拍止まった。
《は?》
《弟子!?》
《フードちゃんが長文(七文字)喋った》
「……弟子ぃ?」
「はい」
「あんた、探索者だろ。歩き方で分かる。──解体なんて覚えても儲からんぞ。潰しの利かない裏方仕事だ」
「……かまいません」
「見ての通りの路上だ。教室もなけりゃ、給料もない」
「……かまいません」
「理由を聞いても?」
フードが、少し俯いた。
長い沈黙のあと、絞り出すような声がした。
「……お弟子さんには、毎日……まかないが、出ると……聞きました」
《飯だった》
《動機が十割飯》
《知ってた》
《純度百パーセントの食い意地、いっそ清々しい》
「誰に聞いたんだ、そんな話」
「……鉄菱の、人たちが。あの夜の汁は、おかわりが……できて、いいなと」
「あー」
そういえば、解体のあとに一杯ずつ振る舞ったな。こいつはあのとき、ちゃっかり列の最後尾にいた。
正直、断る理由を探した。弟子なんて柄じゃない。
ただ──誰にも見向きされない裏方仕事に「教えてくれ」と頭を下げる人間が、どれだけ珍しいか。それだけは、俺が一番よく知っていた。
「……賄いは出す。給料は出ない。それでよけりゃ」
フードが、勢いよく縦に振れた。
「なら決まりだ。──名前、聞いてもいいか。弟子を『おい』とは呼べん」
「……り……」
フードが、固まった。
「り?」
「……リン、です。……カタカナ、の」
「そうかい。よろしくな、リン」
《本名出かかってたろ、今》
《カタカナのリンちゃんw》
《何も見てません! 何も繋げてません!》
「じゃあ早速だが、握ってみな」
よく研いだペティナイフを渡す。題材は魔猪の肩ロース。筋膜剥がし、基本のキだ。
「力は要らん。刃に仕事をさせろ。手ってのは、ただの案内人だ」
「……はい」
結果から言うと、肉と筋膜は驚くほど綺麗に分かれた。
まな板も、綺麗に二枚に分かれた。
《まな板ァ!!》
《切れ味じゃなくて膂力なんよ》
《「力は要らん」と言われた三秒後に腕力で全てを解決する女》
「……すみません」
「いや、筋はいい。──主に握力がな」
「……向いてない、でしょうか」
「十年前の俺の初日よりは、だいぶマシだ」
フードの奥の空気が、ふわ、と緩んだ。
《今、「えへ」って言わなかった?》
《言ってない。でも言った(伝われ)》
新品のまな板を出しながら、俺はこいつの本職をちょっとだけ考えて、やめた。
客の詮索は具にしない。弟子になっても、たぶん同じだ。
そのとき、パーキングの入り口で、がしゃん、と派手な音がした。
見れば、三脚を抱えた小柄な女が、機材ごと盛大に転んでいた。
「いったあ……カメラは無事!? 無事です! ──あ、どうも! 配信者の白瀬こはくです!」
《本物きた》
《言い出しっぺ降臨》
《聖地巡礼ならぬ聖地凸》
「……あんたが、こはくさんか。いつもクリップどうも」
「ご本人から認知いただきました! 今の、自分でクリップしたい! ──今日は取材に来ました! 実地取材です! まかべ食堂の現場を、私のチャンネルでガチレポする許可をください!」
「飯を食うなら客だ。許可も何も要らんよ」
「食べます! 仕事なので!」
カウンターに着いたこはくは、隣のフードに気づいて、石みたいに固まった。
「ど、どどど、どうも。いつも、その、画面で拝見して……」
「……? どうも」
「ひゃい」
《こはくちゃんが借りてきた猫に》
《「気づいてる側」の顔である》
《飯くらい静かに食わせてやれ》
丼を出すと、こはくは一口目で叫んだ。
「やばっ。何これ、やば。語彙が死ぬ。死にました」
「大鎧熊の肩だ。瓦の下で十年働いた肉でな。──筋ってのは、労ってやれば応えるんだ」
「名言いただきました! あとで切り抜きます!」
隣からリンが、空の丼を無言で差し出してくる。対抗するように、こはくも丼を突き出した。
深夜の路上が、急に賑やかになった。
悪くない。悪くないが──洗い物は、倍だ。
看板を仕舞う頃、こはくが機材を抱えたまま、妙に改まった顔で言った。
「まかべさん、お願いがあります!」
「ん」
「コラボ配信、やりましょう! 私のチャンネルとまかべ食堂の合同企画! 絶対バズります、ガチで! 題して──」
三脚の上のカメラが、赤いランプを点けたまま、こっちを向いている。
「『伝説の解体屋の正体、ぜんぶ暴いちゃいますSP』です!」
──嫌な予感ってのは、研いだ刃と同じで、だいたいよく当たる。
さて今回ばかりは、外れてくれるといいんだが。




