8 アルーサ一行は、帝国領を旅しています
アルーサからの一行五名は、草原と帝国を隔てる標高四千メートルを超える峰々が連なる山岳地帯を抜けて、帝国領に入った。
ルーレアートは五年ぶり。エルサーナ、セレナ、エルラシオン、マンドハイにとっては、初めての帝国である。
帝国は、二千メートル級、三千メートル級の稜々たる山々、豊かな森林、多くの瀑布、湖水地帯、大湖、広い流域を持つ河川。色とりどりの花々に溢れていた。
そして様々な地方。ノイエスト、アデーン、モカシア。それら地方と同名の各首邑都市、それ以外の様々な都市。
草原に比べれば、人の数の夥しさ、密度の高さは言うまでもない。が、どの都市も新しさを感じる建築物は、ほとんど無かった。古色蒼然、総じてそういう印象を受けた。
エルラシオンは、ルーレアートに訊ねた。
「都ラグーンは、もっと華やかなのでしょうか」
「いえ、人口ははるかに多く、大きな建築物が数多くある、という点ではこれまで観てこられた都市の比ではありませんが、新築の大きな建造物はほとんどない、という点では変わりはありません」
「……」
「都ラグーンが、最も華やかで巨大な建築物が次々に建てられたのは、今から二百年ほど前、建築帝と呼ばれる四十代皇帝コンラッド二世の時代でした。
当時は高い塔が建てられることが流行っており、都中で、百メートル以上の高さを誇る塔が十四もあったそうです。その内の二つはヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)に、三つは、国教のラグーン大教会に聳えていました」
「はい」
「でもそれらの塔は、落雷、あるいは火事で焼け落ち、最後に残っていたヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)の二つの高塔、ラグーン大教会でひとつだけ残っていたアカーニシュタ(色究竟天)大塔も十七年前の大震災で焼亡、倒壊して、ラグーン十四塔と呼ばれた塔で現存するものはひとつもありません」
「……」
「そしてどの塔も再建はされませんでした。高い塔は落雷をまぬがれない、ということが経験的に分かったということもありますが、その後の時代の人びとは、高い塔というものにあまり価値を感じなくなったということが大きいでしょう。
都ラグーンには市中にいくつかの小高い丘が、そして周辺部には丘陵地もありますので、眺望の良い場所には事欠きませんし」
「……」
「さらには、新しく巨大な建造物を建てる、ということも流行らなくなりました。帝国には、大きな建造物はもう充分にある、あとは、今あるものを大切に使っていけばそれでよい。帝国国民も帝国政府も、そう考えています」
「……」
「でも、それらの大きな建造物、維持していくのは、なかなか大変です。それについては、多くの予算が使われて、まめにメンテナンスされていますよ」
「ラグーン皇宮と呼ばれる宮殿の中でも、最も華麗で豪壮で、図抜けて巨大で、宮殿の代名詞となっていたヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)。そしてラグーン国教大教会内の建築物の中で、最も崇高で華麗であったアーループヤ(無色界)大聖堂もともに、先ほど先生が言われた、私が生まれる六年前に都一円を襲った大震災によって倒壊、焼亡してしまったのですよね」
「ヴィマーナ・イエローと呼ばれた、淡い黄色を基調としていたヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)。
アーループヤ・ブラウンと呼ばれた、ダークブラウンを基調としていたアーループヤ(無色界)大聖堂。
はい、そのとおりです。私が五歳、物心ついて間もない年にアーループヤ(無色界)大聖堂は、都ラグーンとその近郊一円を襲った大震災により、アカーニシュタ(色究竟天)大塔とともに倒壊しました。
そしてその大震災によりヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)も一部が倒壊し、その直後に発生した火災により二つの高塔も含めて宮殿のすべてが焼亡しました。
私は都ラグーンで生まれ育ったわけではありませんが、十七年前に起こった大震災のほんの少し前の時期に、両親に連れられて都ラグーンを訪れたことがあったのです。
倒壊してしまうことになる直前の時期のアーループヤ(無色界)大聖堂、アカーニシュタ(色究竟天)大塔を、そして焼亡してしまうことになるヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)と二つの高塔のその最後の華麗な姿をこの目で見ました。
私は、それらの建物の実際の姿を直接見ることのできた最も若い世代である、ということになります」
「先生はアーループヤ(無色界)大聖堂、アカーニシュタ(色究竟天)大塔とヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)を実際に見られているのですものね。そのお話は何度かうかがったことがありますが、とても羨ましいです」
「はい、幸運でした。
ラグーン十四塔以外では、
アーループヤ(無色界)大聖堂の尖塔、
ヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)の中央天塔棟が、
ラグーンにおける最も高い建造物であったわけですが、もちろん合わせて倒壊、焼亡しました。
そしてヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)も、アーループヤ(無色界)大聖堂も、どちらも再建はされませんでした。
ヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)は都の北郊外に拡がる広壮な丘陵地に建てられ、床面積が15万平方メートルありました。
コンラッド二世が建築に着手しましたが、完成したのは次代の四十一代皇帝オットー四世の治世下でした。
そのヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)が焼亡したあとは、ラグーン皇宮については、都の市中に点在している床面積が各々2万平方メートル程度の北宮殿、南宮殿。それから床面積が1万平方メートルに満たない古宮殿を今はメインの宮殿として使っています。
* アーループヤ(無色界)大聖堂
・約430年前に建造。
・ラグーン国教大教会の中心となる大聖堂。
・大聖堂の尖塔の高さは約92m。
・17年前に地震により倒壊。
・倒壊5年後に、倒壊跡地に仮設大聖堂建造。
* アカーニシュタ(色究竟天)大塔
・186年前に建造。
・ラグーン国教大教会内に聳えていた高さ百メートルを超える三つの大塔の内、最後に残っていた大塔
・高さ約138m。
・17年前に地震により倒壊。
* ヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)
・180年前に建造。
・3階建て、高さ約28m。
・中央天塔棟は7階建て、
建物部分の高さ約56m,
建物に載る尖塔頂上部の高さは約84m。
・東翼塔棟及び西翼塔棟は5階建て、
建物部分の高さ各々約42m、
建物に載る尖塔頂上部の高さは各々約63m。
・高さ各約126mの二つの高塔が聳える。
・床面積約15万平方メートル
・17年前に地震により一部倒壊、直後に発生した火災によりすべて焼亡。
・焼亡跡地は庭園として整備され、その後帝国民に開放されることになった公園の一部となる。
* 古宮殿(別名、黄金宮殿)
・約410年前に建造。
・2階建て、高さ約12m。
・床面積約9300平方メートル
・建物の相当部分に金箔の貼られた殿閣があるため黄金宮殿とも呼ばれている。現在その金箔はかなり剥落。金箔を修復する予定はない。
* 北宮殿(別名、黒宮殿)
・約290年前に建造。
・2階建て、高さ約12m。
・床面積約2万2000平方メートル。
* 南宮殿(別名、赤宮殿)
・約260年前に建造。
・2階建て、高さ約12m。
・床面積約2万300平方メートル。
* 東離宮(別名、青離宮)
・144年前に、都ラグーンの東郊外に建造。
・2階建て、高さ約14m。
・床面積約1900平方メートル
* 西離宮(別名、白離宮)
・119年前に、都ラグーンの西郊外に建造。
・2階建て(高さ約14m)、一部3階建て(高さ約20m)。
・床面積約6600平方メートル。
* 皇帝夫妻は基本的に
春は、東離宮
夏は、南宮殿
秋は、西離宮
冬は、北宮殿
で暮らしている。
帝国の伝統行事開催日の前後は、
古宮殿
に滞在する。
ラグーン国教大教会についてはアーループヤ(無色界)大聖堂の倒壊跡地に、それほどには大きな費用も長い時間もかけずに簡素で質実な仮設大聖堂を建てました。
その後その大聖堂は「仮設」という名称はそのままであってもメンテナンスしていくことによってこのまま大教会内において中心をなす聖堂として使っていく。アーループヤ(無色界)大聖堂の再建はしない、と決定されました」
* ラグーン国教首座大教会仮設大聖堂
・12年前に建造
・高さ約24m
・尖塔は無し
・床面積約6千平方メートル
・最大収容人員 約4000人
「皇帝、教皇は、帝国において最高の二大権威であると思います。その二大権威を最も象徴する建築物であれば、かつてのヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)、アーループヤ(無色界)大聖堂のようにそれに相応しい豪華さ崇高さが必要なのではと思うのですが……」
「最高の二大権威であるからこそ、現代においてはこれでよし、となったのでしょう。
王子にかつて講義させていただきましたように、神々の時代、英雄の時代はもう終わったのです。
その考えの元に、ヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)の焼亡跡地は、元々あった宮殿併設の広大な庭園の中に包含される形で整備されました。
そしてその庭園すべてが公園として帝国民に開放された場所となりました。
その後、その公園の周りに大浴場をはじめとして各種の慰安施設、遊興施設、商業施設、宿泊施設が建てられ、元々はヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)があった都の北郊外の丘陵地は、今は帝国民のための一大レジャーランド、都から程近い手軽な観光地になっていると聞いています。
大浴場もそれらの施設も建てたのは民間資本でした。建物も現代風で色彩も結構派手だそうです。近年においては珍しいことですが、庶民的な歓楽街が短い期間で新たに出現したわけです。
昔からのそういう場所は都の中にもそこそこありますけど」
* ラグーン北丘陵公園
・11年前から帝国民に開放
・面積約430万平方メートル
・公園内に整備された庭園、植物園、遊歩道があり、森、4つの池が点在する。
「そうなのですね。
では都も結構庶民的な雰囲気の街並みが多くて、やはり威厳や華やかさを感じる佇まいではない、ということでしょうか」
「そんなことはないですよ。高い塔はすべて焼亡し、十七年前の大震災で、アーループヤ(無色界)大聖堂、ヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)も倒壊、焼亡してしまいましたが、それ以外ではあの大震災でも都ラグーンにあった建物で倒壊、焼亡したものはそれほど多くはありませんでした。
一部が壊れて修復を要する建物はそこそこありましたが、
その修復も今に至るまでの間にほぼ完了している、と聞いています。
アーループヤ(無色界)大聖堂、ヴィマーナ宮殿(仏国土宮殿)は、建物としては高すぎ、大きすぎたのでしょう。
都ラグーンにはあの大震災にも耐えた、建てられてから数百年の歳月を経た建物がまだまだたくさん、大小合わせればそれこそ無数といってよいくらいに残っています。
風霜を重ねた建造物というのはそれだけで重厚で趣があります。都ラグーンは、全体としてみればやはり威容と言い切ってよい街並みですよ」
五人はそれぞれ馬に乗っての移動であった。
替え馬を連れてはいないので、一日平均の移動距離は六十キロ程度に抑えた。都ラグーンへは、二ヶ月程度はかかるであろうと思われた。
有名な独立峯、オリザレス山も観た。
かつては、綺麗な円錐形の、三千五百メートルを超える山だったのだが、四百六十年前の大噴火により、頂上部分の二割近くが吹き飛ばされ、今では海抜二千九百四十二メートル、円錐の頂点、上部が消失した山となっていた。
そして、かつては、高さ二百二十メートル、幅約十五メートルの、細く垂直に落下する瀑布だったのが、二百五十一年前の地震による山容崩壊により、高さ百四十八メートル、幅約二百七十五メートルに変化した、スルサの滝の、幅広で豪壮な瀑布も観たのであった。
そして、一行は、ブルクシャフトに到着し、予定していた宿、北都館に入った。
北都館には、ラシアスからルーレアート宛の親展と、親展ではない便りが各一通。
そして、セレナ宛のラシアスからと、アル・ラーサからの親展が各一通。
計四通の便りが、気付で届いていた。




