第七十三話:変異
懐かしいキャラ再登場(前)www
再び足を運んだ道場には、既に先客がいた。
顔を見るや否や力ない笑みを浮かべる相手に、悠は目を僅かに見開く。どうしてここにお前がいるんだ、と。予測していなかっただけに、彼の顔は疑問で歪んでいく。
結局、悠が弥真白へと帰還するのは当初より予定していた明日となった。三日月宗近らによる妨害工作――恋の病に感染しているから本部でしばらく様子観察を行う、と言われた時には思わず鼻で一笑に伏してしまったが。完璧な作戦だったのに、とのたまって膝から崩れたのは自分のせいではない――は一切関係なく、悠自らが決断を下している。
このまま帰ってしまうことも、もちろん悠にはできた。
実行に移さなかったのは、楓の様子が気になったからに他ならない。自分にはもう関係のないことだから、と割り切っても気になって落ち着かなくなるぐらいならば、せめてもう少しだけ様子を見ておきたい。そうした意志の元、耶真杜に残ったのに自分達の作戦が成功したと喜ばれた。勘違いも甚だしい。どうしてそのような思考へと行きつくのか、わからないから彼の悩みは尽きず。悠は軽い頭痛にも苛まれていた。
それはさておき。
「どうしてここに……」
気になる相手が目の前にいるものだから、改めて悠は尋ねる。先客が小さな溜息をもらした。
「もう一回仕合しようって言ったでしょ?」
「それは……確かに言ったけど。いいのか?」
「明日帰っちゃうんでしょ? だったらのんびりなんかしてられないじゃん」
(そう言ってもだなぁ……)
仕合は確かに、悠も望んでいた。
だからこそ、全力を出せない彼女との決着を悠は望まない。楓は明らかに無理をしてやってきた。万全でない相手に勝っても意味などない。俺はあくまで全力の楓という御剣姫守と戦って勝ちたいのだから。悠は静かに首を横に振った。
お前と戦う意思はない。悠の意思表示に楓が異を唱える。
「……どうして戦ってくれないの?」
「当然だろう。俺が戦いたいのは全力の楓であって、今の楓じゃない。まだ色々と悩んでるんだろう? そんな状態で戦ったってお互いにすっきりしない。だから俺は戦わない、お前のコンディションが戻るまではな」
「わ、私様なら大丈夫だって!」
「どこかだ。とにかく俺はお前とやらない、また機会を改めてからにしよう」
「そんなのいつになるかわからないじゃない!」
「仕方ないだろ。子供じゃないんだから、大人しく言うこと――」
言い終えるよりも先に金打音を鳴らされる羽目になった。悠は深く溜息を吐く。
楓がいきなり斬り掛かってきた。口論したところで埒が明かない、ならば実力行使に移ろうとした、彼女らしいやり方でもあって、だからこそ自らの不調を露呈しまった彼女の太刀筋が、悠の表情をより一層険しくさせてしまう。
(これのどこが本調子だ……!)
太刀筋は骨にまで響く鋭く、重たい――それが悠の知る楓の太刀筋であるのに対して、まったく真逆の太刀筋がきたものだから悠も困惑の感情を隠せずにはいられない。不調となった彼女の剣は、非力な女性のそれとなんら変わらない。だから簡単に受け止められてしまう。
「ほらっ! ちゃんとしないと大怪我しちゃうよ!」
「楓……!!」
素早く抜いた小刀で楓の太刀を弾く。あっけなく彼女の手から離れた太刀は、遠くへと落ちた。床を叩いた音が彼女の心の内を表しているかのようで、虚しさを感じさせる。
「これでわかっただろ? 前の楓だったらこんなにあっさりと終わることはなかった!」
「…………」
「こんな剣を何度も打ち込まれたって俺には届かない――とにかく、仕合は中止だ。またいつか耶真杜に来る時もある。それまでにコンディションをしっかりと――」
踵を返したと同時に、強烈な痛みが左肩に走った。
血飛沫が眼前で舞っている。濃厚な血の香りがつんと鼻腔を刺激して、理解する。斬られた。だが、いつの間に。いやいつの間に刀を拾ってきた。どっ、と大量の汗が吹き出し、全身を駆け巡る高熱と激痛が思考に混乱を招く中で、悠は大刀を構えて楓を見やった。
顔を俯かせて楓は佇んでいる。その左手が――異形と化している。肌も灰色に変色し、爪が剣のように分厚く、鋭利さを兼ね備えている。あれでは、まるで……。
(鬼みたいじゃないか……!!)
楓が咆哮を上げた。
突然の変異についてを現段階で解き明かすことは不可能にして、無意味。まずは己を守るためにも、この怪物をどうにかせねばならない。最悪、斬ることも視野に入れて、剣鬼は前進する。
「ぐぅっ!!」
ぎりぃ、と剣鬼が歯軋りする。
彼の左肩に受けた傷は深くはなく、されど軽傷でもない。満足に動かせられない悠には残った腕一本で対処することを強いられて、人外の膂力に勝てるはずもない。楓の爪撃を受けた悠は大きく弾き飛ばされた。
床に打ち付けられて、直撃する寸前に柔らかな感触に守られた。温かい一肌にそぐわない、突き刺すような冷たく鋭い殺気の主の声が響く。
「楓ぇぇぇっ!!」
千年守鈴姫が楓へと肉薄した。
膨大な殺気が込められた太刀筋が楓を瞬く間に追い詰める。それでも未だ致命的な一撃を与えさせない楓も、さすがと認めざるを得ない。左手一本だけで立ち合うこと、十一合目――楓が大きく弾き飛ばされた。その先にあるものを見て、悠は気付く。
「いや……!」
違う、楓は弾かれたのではない。計算して弾かれたのだ。左手一本で千年守鈴姫の猛攻は防ぎきれまい、その判断は極めて正しい。だから手放していた得物を取りにいった楓の判断もまた、然り。
「二刀流にしてボクに勝てると思ってるの? あまいよ!!」
再び二振りがぶつかる。
楓が刀を取り戻してから、初太刀目――戦況が大きく変わった。
「何……?」
「くっ……こ、この!」
それまで優位を保っていた千年守鈴姫が楓に押されている。
先の違いはどこにある。悠は楓の動きに注視した。
答えはすぐに見つかった。剣を取り戻してからの楓は、一太刀を浴びせる度に咆哮を上げている。そうした時、防戦一方を強いられている彼の愛刀の腕は大きく弾かれている。この現象こそが戦況が急に転じた原因であり、同時に楓の刃戯なのだろう。
声を発することで発動するタイプの刃戯なら、長曾祢虎徹との仕合で経験している。
悠の推察は、的中していた。そう告げるかのようにやってきた新たな訪問者に、皆の注目が集められる。
「安綱さん!」
「楓! き、貴様その刃戯は……! どうして貴様が吼丸の刃戯をッ!?」
「吼丸……?」
楓の矛先が変わった。
自らへの向けられた凶刃に、童子切安綱の対応は迅速であった。正面から叩き落す。その一刀を形容するなれば無骨にして、しかし同じ御剣姫守をも地に膝を着かせた破壊力は計り知れない。
異形と化した爪が断たれた。それに伴って、楓の身体が糸の切れた人形のようにぐらりと崩れ落ちる。いつしか左手も元の形へと戻り、それを見届けてからようやく、緊張の糸を悠は緩めた。
他の面々も一息をついて得物を鞘に納めている。
「とりあえず……なんとか落ち着いたってところか」
「一体何があったというのだ? それに……悠よ、貴様は傷を負っているではないか!? まさか、楓がやったのか……?」
「事情は後で説明しますよ。まずは彼女を本部へと運びましょう。いつまた暴れるかわからない以上、放置しておくのは危険すぎる」
「そうだね、じゃあ縛り上げるね」
「……おい鈴。お前、そんなロープいったいどこから持ってきた?」
「えっ? いつも携帯しているよ? ボクが新選組にいた頃は捕縛術なんかも教えてもらってたし、その名残で」
「そ、そうか……」
手際よく拘束していく愛刀の姿に、悠は苦笑いを小さく浮かべる。本当は主を……、と呟いたのはきっと気のせいだと思いたい。
「悠よ、貴様の治療も最優先事項だ」
「こんなの平気……ってわけではないですけど、大丈夫ですよ」
「いいや万が一ということもある――我も気は進まぬが、致し方あるまい」
「……どういう意味です?」
「現実逃避か? それとも忘れているのか? 貴様も何度も世話になったことがあろうに……本当に気は進まんがな!」
誰かに対して毛嫌いしている様に、悠は小首をひねり――あぁ、そういうことか。思い出してしまった嫌な記憶に、彼の顔は見る見る内に活力が失われていく。童子切安綱の言うとおり、すっかり失念していた。毎日が目まぐるしく刺激的であることに脳の処理が追い付いていなかったことも然り、ここ最近大怪我というものをしてこなかったことも理由としては含まれる。
「あ、あの本当に俺は大丈夫ですから。こんなの消毒して包帯巻いておけばどうってこと――」
「何を言う! 一生傷にでもなったらどうするつもりだ!! とにかくあの者の手配は吾がしておく、気持ちはわかるが……逃げるなよ?」
「うっ……」
「ね、ねぇ悠。いったい何の話をしているの?」
「……知らない方がいい」
「えっ? ちょ、ちょっと主ってばなんのことかボクにも教えてよ!」
(教えられるわけがないだろ……!)
耶真杜に血の雨を降らすわけにもいくまい。何度も尋ねてくる千年守鈴姫から逃げるように悠は顔を背け続けた。




