第六十八話:修練と成果
一般的にイメージする道場より、そこは遥かに広大な空間が設けられていた。単純にいっても三倍、いや四倍の広さはあろうそこに悠は立ち入った。入室者は現時点において彼を除いていない。ざっと百人以上は収容できようスペースに一人だけがいることで、改めて広さと、それ故の虚しさを演出するには十分だった。
それらを気にすることもなく、悠は中央へと移動する。周りに人はいない――まぁ当然なのだが。周囲の安全も確保したところで、ようやく腰で待機していた大刀をすらりと抜いた。
構える。基本的な型――上段からの唐竹斬り。鋭く呼気を吐き、同時に打ち落とす。風切音の具合から、今日の体調は良好。修練を続ける。一度、二度――百度と迎えたところで、ようやく基礎練習が終わった。終始調子も維持し続けて、身体も程よく温まってきた。一息吐き、次なる修練に挑む。
この修練にはもう一人必要だった。なにせ模擬戦をするのだから、一人でやっていては単なる稽古にすぎない。もうすぐ今日の稽古相手がきてくれる。それを今か、今かと思うと落ち着かない。
切羽と鯉口をぱちん、ぱちん、と打ち鳴らす自分はさぞ幼稚に見えることだろう。もっとも、そのことについて咎めてくるような輩はいないので、悠も己の行動を律することをしなかった。
ここには自分と、もう一人しかいない。そして彼女も咎めてくることはないだろう。何故なら、きっと。今頃は自分と同じ気持ちなはずだろうから。まだ見えぬ相手を思い、しかし悠には揺るがぬ自信があった。
程なくして――きた。本日二人目となる来訪者に悠は快く出迎える。
鎧兜と重装備な井出立ちはこの道場には少々浮いてる気がしないでもないが、そのような事実に、これからすることに比べてどれだけ価値があろうか――ない。井出立ちなど、仕合においては飾り物にも劣る。重要なのは強者であること。この点に関して、来訪者は十分に条件を満たしている。
悠はここで小刀をも抜いた。二刀が揃ったことで剣鬼が再臨する。それを涼しげな顔で見守っていた相手もまた同様に、腰の太刀をすらりと抜く。
間髪入れずに敵手が地を勢いよく蹴り上げた――先の先。狙うは剣鬼の右腕。これに悠は小刀で防いだ。金属音が反響し、火花がわっと飛び散るよりも早く第二、第三――斬嵐刺雨が彼の身に降りかかる。息もつく間も与えない無慈悲な猛攻は常人では到底追い切れず、だが悠は――臆すことなくそれを見据えた。つぅ、と一筋の汗が彼の頬に伝うも、不敵な表情は崩れない。
悠は避けない、真正面から敵手の剣に応えた。両の腕を忙しなく、されど流れる水のように、雷雲を翔ける稲妻のように。敵手の剣戟をすべて打ち返してみせた。
敵手の顔つきが変わる。よくぞここまで練り上げた、と……まるでそう言いたげに。それに悠は不敵な笑みを返した。
そんな楽しい時間も、乱入者によって阻まれることとなる。
誰かが俺の名をしきりに呼んでいる。あぁ、どうやらもうそんな時間らしい。楽しい時間というのは本当にあっという間に過ぎ去ってしまう。もっとこの時間を楽しんでいたい、が……何事においてもメリハリはきっちとりつけねば。名残惜しい気持ちを胸に抑え込んで、悠は頭を下げた。それを合図に仮想世界が音を立てて崩壊する。
「――ちょっと悠ってば!! さっきから呼んでるのに返事ぐらいしてよ……いったいどうしちゃったの?」
「――――」
意識は外界へ。真っ先に飛び込んできたのは、曇らせた表情で顔を覗き込んでいる愛刀で、様子から察するに当初予定した時間よりも遥かに経過していたと気付くのは難しいことではない。要らぬ心配を掛けてしまったらしい。となると非があるのは紛れもなく自分なので、悠は素直に謝罪した。優しく頭を撫でることも追加して、彼女の機嫌を取る成功率を少しでも高めておく。
拒むことなく目を細めて受け入れる千年守鈴姫に、悠も安堵の息を静かにもらす。
「……悪い鈴。ただ、ちょっと今日は調子が良かったからさ。つい熱が入ってしまった」
「……悠、何かあったの?」
「何がだ?」
「なんていうか……変わったね。雰囲気が特に……。ねぇ何があったの?」
「……まぁ、ちょっとな。でも大丈夫だ、心配されるほどのことじゃない」
「そ、そう……?」
「そうそう。それよりもどうしたんだ?」
「あ、そうそう! 朝ごはんできたから呼びに来たんだった! 早く悠、じゃないと冷めちゃうから」
「わかった。行こう――久しぶりに鈴の料理が食べれるな」
「え? 久しぶりって……そんなに言うほど経ってないよ」
「ん? あぁ、そうだったか……いや、そうだったな。悪い、まだ頭がちゃんと働いてない」
「ねぇやっぱり今日の悠変だよ!!」
「気のせいだ! それより飯が冷えるから早く行かないと……!」
問い質してくる千年守鈴姫から逃げるように、悠は部屋を後にする。
部屋を出てすぐに、楓と出会った。出会った、というのは恐らく正しくはない。そう悠が思えたのは、彼女自身にある。童子切り安綱の監視から抜け出してきたことはさておき――どうせまた拘束しても抜け出してくるだろうから――、ぎらぎらと輝かせた瞳から、どうやって世間話をしにきたと思い至る。
あれは戦いを挑んでくる者の目だ。どうせ暇してるんだから私様と太刀合ってよ、と――彼女が本当にこう言っているかどうかは、悠が思うに彼女の言動から考慮すればきっとこういっているに違いない……単なる勝手な想像ということであって。だが、意図は決して間違ってはいない。彼女は結城悠との仕合を強く希望している。
朝早くから喧嘩を売られる経験は、悠の人生史においてはじめてのことで。しかしながら、悠はその誘いを拒まない。丁度よかった。あれからざっと百年は修練してきた、その成果がどこまで目の前の楓に通ずるものか。
(修業の成果……披露する時がきたな)
となると、悠が気に掛けるべきは隣にいる愛刀の存在だ。千年守鈴姫がいれば、今度こそ楓に刃を振るいかねない。彼女との仕合は、以前と比べ物にならないほど熾烈なものとなる。そんな予感がしてならないからこそ、悠は千年守鈴姫をどうしても遠ざける必要があった。
しかし――それよりもまずはやるべきことがある。
「おはよう楓。よく眠れたか?」
「まぁね。やっとあの鬱陶しい首輪から解放されたよ……」
「解放されたっていうよりは、逃げてきたんだろ? また安綱さんに捕まるぞ?」
「もうちょっと優しくしてくれたら嬉しいんだけどさぁ……私様だって人権ってものがあるんだからさ」
「普段の行いが悪いからそうなるんだと思うぞ?」
「……それ、童子切り安綱にもおんなじこと言われた……」
「だろうな。まぁとりあえず朝食を食べよう――って鈴、さっきから背中を抓ってくるのやめてくれないか? 地道に痛い」
「……別に」
瞳をぎらぎらと輝かせたまま、鯉口と切羽をぱちり、ぱちりと落ち着きなく打ち合わせる姿に先の自分を思い出し苦笑いを浮かべる悠。きょとん、と小首を傾げるも我先にと食堂へ走っていった楓の後姿を見送って、悠も後を追いかけるように歩を進める。その間、悠の背中から二指が離れることなく。痛い、というささやかな抵抗も頑なに拒否されて最後まで抓られっぱなしだった。




