第六十七話:過去からの想い
赤い鳥居を抜ければ、後はもう山道のみが延々と続いている。
彼是一時間、ここに来るまでの要した時間も加えれば、四時間は経過している。小休止を挟まない行軍に一同の顔には疲労が滲み出ていた。その先頭を歩くたった三名だけは、歩くペースを落とすことなく平然としている。一人に至っては歩くことそのものを放棄して、引きずられるがままに身を委ねてしまっている。
こと悠に関しては、童子切り安綱と千年守鈴姫よりも前に出ていた。
どうしても逸る気持ちが抑えられない。それは目的地に一歩、また一歩と近付く度に彼の心中で強くなっていく。
後どのぐらいで着くのだろう。童子切り安綱が言うには、後少しとのことらしいが、未だそれらしき物が出迎えてくれる様子が見られない。先に一人で行ってしまおうか。一本道なのだから、寄り道でもせぬ限り迷うこともなかろう。
自然と足に力が入った。そこに、突如として待ったが掛かった。悠を咎めた声は優しさに満ちている。
「そう急かずとも目的の場所ならばもうすぐだ。そら、鳥居が並んでいるのが見えるであろう? あれを潜れば祠がある」
「そ、そうですか」
「ふふっ、貴様のそのような顔をするのだな」
「えっ?」
「我からすれば悠は童だが、今は本当に童のようだ。そんなに楽しみにしているのだから、頼光殿もきっと喜ぶことだろう」
「安綱さんは、その、源頼光さんと出会ったことはあるんですか?」
「うむ、たった一度だけだったが――忘れもしない、あんな光景を見せつけられればな」
そう口にした彼女の瞳が、遠くへと向けられた。意識は景色を捉えておらず、どこか虚ろであることから、彼女が懐古の海に投じていることを窺わせる。思い出話が語られるとなれば、悠もまた意識を童子切り安綱の方に集中させる。鳥居通りはまだ遠くにある。それまでの暇つぶしとしては、贅沢すぎる。
一呼吸の間を置いて、童子切り安綱が口を開いた。
「あの武人と出会ったのは、今いるこの葛氣山だ――人間が孤軍奮闘している、その情報を聞いた我は即座に応援へと向かった。そこで目にしたのは我の常識を遥かに覆す光景だった……。御剣姫守のように刃戯もない、にも関わらず屍の山を築いていく姿はまさしく鬼神そのもの。慈悲も、無駄も、躊躇いすらもない、ただ鬼という鬼を駆逐していくあの姿に我は戦慄した……!」
語っていく童子切り安綱の口調にも熱が入る。肌を突く剣気が、当時の凄さを物語っているかのようで、より一層期待が高まっていく。やがて、見えてきた。とうとう待ち望んでいた祠を前にして、悠は生唾を飲み込んだ。
立派であること以外、なんら変わらない。当人であろう、立派な石像の隣にあるのは至って普通の祠だ。中は人間がぎりぎり座り込めるぐらいの空間がある。不意に、何もない――彼の愛刀が放った何気ない一言に、しかし待てと仕手たる悠は目を細める。
(見えていない……のか?)
視認するには十分すぎる大きさのそれが、千年守鈴姫の目には見えていない。嘘を吐くような性格でないことは確かで、仮にそうだとしても意味がない。自分だけが見えている。どうして、本当にこれが見えていないのか。悠の疑問の眼差しに、彼の愛刀は小首をひねるばかり。どうやら本気であるらしい。
「おい鈴! お前本当にコレが見えていないのか!?」
「こ、これ? これってなんのこと?」
「あるだろ!! 祠の中に一振りの刀が……!」
「そんなもの、どこにもないよ主……」
「そんな馬鹿なことがあるはずが……!!」
扉に施錠はされていなかった。普段の彼であれば神聖な場所を踏み荒らすような愚行は犯さない。ただこの時ばかりは、あるはずのものをないと言われたことで躍起になっていた。実物させ見せれば否が応でもわかるはず。悠は扉を開けて、奉納されていた太刀に手を伸ばす。
指先が触れて――一瞬、意識が混濁する。それはすぐに収まった。しかし、視界に映されている光景に異常が起きている。まったく見知らぬ場所に悠はぽつんと佇んでいた。
「こ、ここは……!」
先程までしかと目に映っていたものが跡形もなく消えてしまっている。代わりに今、悠の瞳にある光景は岩壁とまっすぐと伸びた長い廊下のみ。うっすらと浸水しているこの廊下は、どこへ続いているというのか。大小の両方を抜いて、悠は警戒しながら奥へと進んでいく。
しばらくして、開けた場所へと出た。そこで悠の警戒心は極限にまで高められることとなる。誰かがいる。鎧兜を身に纏い、腰に太刀を佩いたあの女も御剣姫守か。だとするとこの状況について何か知っている可能性があるかもしれない。心に訪れた安堵は、逆にこの状況を生み出した張本人という可能性によって即座に剥奪される。
敵か味方か、それを判断するには言葉を交えてみないことにはできない。意を決して、悠は女へと近付いていく。
「あの……」
くるりと踵を返した女に、悠ははっと息を呑んだ。肩に掛かる濡羽色の髪がさらりと流れる。景色を映す瞳は赤々と輝いていて、しかし鬼のような禍々しいものはない。彼女は間違いなく人間だ。当然といえばそのとおりで、だが何故ここにいる。故人が現世に現れるなど……。
いや、或いはここが現世であるという認識が誤っているのか。ここは死後の世界で、何かしらの要因で導かれたのは存命している己の方ではなかろうか。水の音も、頬をひんやりと冷やす空気の感触も、すべてが正常に働いているのは己が生んだ錯覚で――それらを確認する術は、ない。
あらゆる疑念を抱いた悠の視線と、女のどこか虚ろな視線が交差する。それが両者にとっての合図となった。女が太刀を抜き、悠も二刀を素早く抜き放つ。
空気ががらりと変わった。どうやらこの女は俺と闘るつもりらしい。同時に、あっ、と悠は声をもらした。一度目にしたものは決して忘れない。例え一瞬の出来事であろうと、印象が強ければ尚更のこと。女の持つ太刀は、ついさっき目にしている。だから忘れるはずがない。あんな奇妙な太刀を、どうして忘れられる。
祠にあったものは錆びついていた。刃毀れもひどく、もはや修復は叶わない。今はどうだ。女の手中でしっかりと握られている太刀は神々しい真鍮色に輝いている。
「その太刀は……まさか!」
悠の問いに女は答えない。代わりに鋭い斬撃が放たれた。咄嗟に横薙ぎに払った脇差で、その攻撃を逃れる悠。直撃こそ避けたものの、彼の身体は大きく弾き飛ばされる。その事実が、女の……いや、人間の膂力を凌駕していることを語っていた。
強い。強くて当然だ。御剣姫守でもない、自分と同じ人間であることに相違ないが、生まれ育った環境そのものが異なる。
彼女は、本物だ。どうして、という疑問がこの時悠の心中からきれいさっぱり消失した。今、悠は何の因果か偉人と刃を交えたのだ。過去に飛んだのか、それとも白昼夢の類か――それもどうでもいい。左手に残る痺れが現実であると教えてくれる。これは現実だ。ならばこの出来事を奇跡と言わずしてなんと言えばいい。強くなるために葛氣山へと訪れた甲斐があった。
(絶対に自分の物にしてみせる!!)
勢いよく地を蹴って、悠は女へと肉薄する。要らぬ遠慮を彼女は望んでいない。ましてや遠慮をして勝てるような相手でもない。悠の初太刀は、そんな彼の想いを乗せた全身全霊の唐竹斬りから始まった。けたたましい金属音が木霊して、火花が激しく飛び散る。
「思いっきりいかせてもらいますよ!!」
悠が仕掛けた。大と小による連撃に一分の隙もない。更に小刀は彼の手中でくるりと回る奇技をも披露する。もてる技は全部この場で披露する気概で彼は刃を振るっていた。出し惜しみはしない、だから易々と破られはしない。そう自負しているから、彼の太刀筋にも鋭さが増していく。
だが、敵手は過去の剣豪である。御剣姫守であったならば、この事象についても納得していよう。悠の太刀筋は閃光と見紛うほど迅くて、嵐のような猛々しい。常人では視認することすら叶わない剣を、彼と同じ人間である女はすべて見切っていた。
本当に自分と同じ人間なのか。内心で舌打ちをもらす悠の頬に、一筋の汗が伝う。
(こうもあっさり、見切られるなんてな!)
一見すれば、初太刀目から打ち込み続けている悠の方が押しているように他者の目には映るやもしれぬ。実際のところ、彼の怒涛の攻めに対して女は防御するか、回避するかの二択しか取っていなかった。だからそのように見えてしまうのも、仕方がないかもしれない。
現実は、大きく異なる。攻めている当人だからこそ、悠が一番理解している。
女は攻めようとしてこない。時折返される剣閃も初太刀ほどの勢いはない。彼女は手加減している。そうでなくては、こうもあっさり見切れるものか。初太刀では辛うじてだったのに、急に見切れるようになるなんてありえない。
痺れを切らして、悠は自ら間合いを大きく開けた。
「偉大な先人にこんなこというのもなんですが、手加減されるのってちょっと傷付くんですよね。そろそろ本気でお願いしますよ。俺は貴女の……御剣姫守が生まれる以前から鬼と戦っていた人達の強さを知りたくて葛氣山まで足を運んだんですから」
またも女は応えない。しかし、応えてはくれた。
眼前へと突き付けられていた切先に悠は顔を青ざめさせながら大刀で弾く。
「なっ……!」
息を吐く間もなく、第二、第三と刃が悠に強襲する。
速い……いや迅すぎる。先読みがまったく追いつかない。予測している動きがあっさりと上回れてしまう。上回れては即応能力で修正をかけ、予測しなおしても。完了した頃にはまた超えられてしまう。あっさりと、嘲笑われるかのように。女の実力の底がまるで見えない、見える兆しすら感じない。おまけに、打ち込みを受ければいちいち骨が悲鳴を上げる。
(これが……この世界の人間の強さか!)
これには堪まらぬ、と悠は小刀を振るった。得物の質において、恐らく破壊されることはなかろうと彼は判断する。かと言って、そのまま過信すれば真っ先に壊れるのは己の肉体だ。骨が砕けようものなら、もう刀を振るうことはできない。そうなればただでさえ劣勢である状況がますます悪化する。
起死回生を狙った悠の一刀が空を斬った。女の姿は、遥か遠くにある。
「……どういうつもりですか?」
思わず、そう口に出してしまう。先の攻防で、相手に間合いを空ける必要性はなかった優勢に立っていた者がふいにするなど、単純に考えても下策も下策。あのまま攻め続けられていれば、まず悠の敗北は決していた。揺るぎない勝利を手に、女は高らかに剣を掲げられていたものを、何故。よもや刃を交えることさえも飽きたとでも彼女はいいたいのか――沸々と沸いた屈辱と怒りを乗せて悠は地を蹴り上げた。
けたたましい金属音を奏でて、渾身の力で放った唐竹斬りが弾かれた。
遠くに飛ばされた大刀を横目に、次にくる感触に悠は目を見開く。
気が付けば胸元に抱き寄せられている。女の方はもうとっくに納刀していて、もはや刃を交えるに相応しくない空気が辺りを包んでいる。
「な、なにを――」
不意に、女を通じて脳裏に映像が次々と浮かんできた。燃え盛る炎の中に身を投じ、鬼を斬る戦乙女の後姿。勇ましく、どこか儚い。
――剣に捧げた我が人生に悔いはなし――
――されど、まだ見ぬ我が子の顔が拝めぬことだけが唯一の心残りか――
――許されるのであれば、来世は争いなき平和な世界で……――
――我が剣を、我が子へ受け継がせん――
「――か。悠ってば!!」
「え……あ……」
誰かに呼ばれている。眼前で心配そうに顔を覗き込んでいた誰かを視認してようやく、悠は意識を覚醒させた。謎の空間も、女も、もう視界から消失している。
「鈴……? 俺は……」
「よかった……。悠ってば、祠に触った瞬間、突然固まっちゃってボク本当に驚いんだんだから!」
「祠……」
「って、悠? その刀は……?」
千年守鈴姫の指摘に、悠はゆっくりと視線を下ろす。いつ抜いたのか記憶がない、当然だ。彼の手中にて納まっているのは己の得物にあらず。
激しく打ち合い、圧倒的強さを見せつけられた相手の得物であることから、悠は驚愕に瞳を揺らすこととなる。
右手には一振りの大刀が握られていた。




