第五十七話:母と父、そして子
悠の期待は、彼自身が予想していたとおりの結末となった。
耶真杜本部にて、三日月宗近をはじめとする面々が少女を見ている。
しかし誰一人として口を開こうとしない。うんうんと唸って、記憶を掘り起こしているばかりで、そこからの進展が未だに見られない。
「ぜ~んぜん駄目。光世、その子のことやっぱり知らない」
大典太光世がついに匙を投げた。大きく背もたれに身を預ける彼女に続くように、鬼丸国綱も数珠丸恒次も、言葉にはしていないものの、わからないと身体で表現した。
(やっぱり、天下五剣でも駄目だったか……。後はもう、あそこに連れていくしかないな)
それすらも、期待するだけ徒労に終わる可能性がでてきた。最古参の御剣姫守ですらも知らないこの娘は、いったい何者なのか。そもそも本当に御剣姫守なのか。そうとすらも取れる眼差しが集中する中で、ただ一人だけ。
「…………」
「どうかしましたか? 安綱さん」
「いや……」
とても短く、されど彼女の返答には少しの迷いが含まれている。もしかすると、童子切り安綱だけが、記憶なき少女についての手掛かりを握っているかもしれない。期待の眼差しが、今度は沈思する乙女へと向けられた。本当にこの御剣姫守はどこの誰なのか、村正が残した隠し子的な存在なのか。彼女への期待が高まっていく様子に、悠も固唾を呑んで傾聴に徹する。
「ちょっと安綱。そんな思わせぶりな台詞を吐いたんだし、さっさと言ってよね。光世も暇じゃないし」
「貴様はいつも暇そうにしているだろう。……うまく言葉で言い表せないが、なんだろうな。どこか懐かしいような、そんな気がするのだ。はじめて出会うというのにな」
「既視感ですね。実際には経験したことがないのに、まるで以前どこかで経験したことがあるかのような錯覚に陥ってしまう……」
その既視感は、悠も一度経験している。この娘とはやはり、初対面でないような気がしてならない。だけども、それを裏付ける証拠がないから、悠の心にはいまでももやもやとしていた。
「小娘。貴様と我、どこかで逢ったことがあるか?」
「そんなの……」
そこから、鬼丸国綱の口から紡がれることはなかった。この場にいる全員が、その先の言葉がなんなのかをわかっている。あるはずがないだろう、と。それに童子切り安綱ほどの武人が気付かないとは考えにくいのだが……。
どの道、少女からの返答はたった一つのみしかない。三日月宗近が口を開こうとした。それよりも、ほんのわずかに早く。声をあげる者が出た。小さな指をすぅっと伸ばされて、一言……。
「……お母さん?」
室内の空気が一気に下がった。過去最大級の衝撃発言が出たのだ。あんぐりと口を開いて呆然とする光景が生まれたのも、なるべくしてなった結果と言わざるを得ない。
当事者は、もっと驚いている。未婚者で子供もいないのに見知らぬ子から親と呼ばれた童子切り安綱が、激しく狼狽している。これはこれで、ある意味珍しいものを見れたかもしれない。
それはさておき。
あの童子切り安綱に子供がいた。一瞬の静寂からどよめきへと変わる室内は混乱の極みに達していた。次第に彼女へは、裏切り者を蔑むような鋭い眼差しが四方から送られることとなる。女としての幸せが絡めば、こうもあっさり崩れ去ってしまう脆弱な絆によって守られている高天原の未来に悠は憂いた。誰かが結婚したら、この国が悪い方向に傾いてしまう。
さて、そんな結婚に飢えた乙女達はたった一人勝ち逃げした――と、勝手に思い込んでいる相手に機関銃よろしく質問を浴びせている。
「や、安綱さん!? あなたいつの間に……そんな……」
「ちょっとどういうことなの!? なんで安綱が光世より先に結婚して子供なんか生んでたの!? 本気でありえないんだけど!」
「安綱……まさか君が裏切り者になるなんて信じられないよ」
「こ、こんなのは運命ではありません。きっと夢……悠さんが来てくれた嬉しさで、きっと夢を見ているに違いありません」
「ちちちち、違う!? 我は結婚はしていないし、それに生むのであれば悠と子作りをすると決めているのだ!」
「は?」
「ンンッ!! と、とにかく我は子供はおろか結婚していないのは貴様らが一番知っているだろうに!! 何年こうして同じ屋根の下で暮らしてきたと思っているのだ!」
「そう言われてみれば、確かにそうですね」
「よ~く考えたら、安綱が結婚するとかまずありえないし」
「よし表に出ろ光世。今日こそ貴様の腐った性根を叩き直してくれる!!」
「落ち着いてください安綱さん! えっと、本当にこの人がお母さんなのか? 村正さんじゃなくて?」
「……? お母さんは、お母さんだよ?」
きょとん、と。小首をひねる仕草にも、状況が状況だけに微笑ましくは思えない。冗談であったのならば質が悪く、かといって嘘を言っているようにも見えないことから、恐らくは真実と捉えて間違いない――が、となると。童子切り安綱が虚偽を言っているのか。それもまた考えられない。
きっと、どちらも本当のことを言っている。だからこそ矛盾が生まれ、場の空気は手が付けられぬほどの混沌と化していく。そろそろどうにかせねば、醜い争いが起きよう。全員の手が腰の刀に伸びたところで、悠は仲裁に入った。
「皆さんいい加減に落ち着いてください!!」
手を大きく叩くことで、自らに注目させる。
「ぐっ……」
視線で殺すとは、よくいったもの。女性の嫉妬……それも天下五剣ほどにもなると鋭利な刃と同等になるから、数多くの修羅場をくぐりぬけてきた剣鬼でさえ、その表情を苦痛に歪めてしまう。それほど重々しい威圧感にも負けず、いや……感じてすらいない少女に感心しつつ、悠は言葉を繋げる。ここで退くわけにはいかない。
「この子は童子切り安綱さんをお母さんと言った。そして安綱さん本人は違うと否定している――まず、安綱さんがこんな嘘を吐く人だと俺は思っていません。それは天下五剣の面々であればよくわかっていることでしょう」
「どうかなぁ。安綱、ホントにぃ~?」
「だから何度もそのように言っているではないか! しかし、さすがは悠だ。貴様だけだ我を真に理解してくれる者は……やはり我ほど相応しい伴侶はいないな!」
「……。ですが、この子も嘘を言っているようには見えません。どんな理由があるのかはともかくとして、この子にとっての母親は童子切り安綱さんなんです」
「……つまり、こう言いたいのか? その娘の本当の母親が見つかるまでの間は、我が母親として接しろ、と?」
「そうなります……ね」
どうやら童子切り安綱も察してはいたらしい。村正によって生み出されたわけでもない少女への謎がますます深まるばかりなのは否めない。しかし現時点ではこれ以上の進展も見られず、ならば一先ず目の前にある問題を片付ける方が優先される。
小さい身ながら、遠路はるばる少女は渡ってきた。その頑張りが水泡に帰さぬためにも、ここは大人である自分達が一肌脱がねばならぬ時だ。同時に、悠も覚悟を固めていた。こうなった後の展開はおおよそ予想がつく。
「え~安綱が母親って、なんか似合わないし。どうせなら光世の方が母親として相応しいじゃん?」
「いや、それはないな」
思わず、本音をもらしてしまった。口は災いの元とは、正にこの状況そのものを差す。偉大なる先人はよくこんな言葉を思いついたものだ、と。感心する一方でずいっと迫ってきた大典太光世を手で制しつつ、飛んでくる問いに悠は答える。今更なんでもない、などという言い訳は彼女に通用しまい。
「ちょっと悠今のはどういう意味なのよ!?」
「いや、特に今のにはないというか……まぁ、その、気にするな!」
「いや気にするし!! 気にするなって言われても無理だから!」
「彼女に気を遣って言葉を濁す必要はありませんよ、悠さん。悠さんの言う通りだと私も思いますから」
「確かに。僕も光世が母親をやってる姿が全然想像できないなぁ」
「それは永遠に訪れぬ運命ですね」
「ち、違うし! 光世だってやればちゃんとできるし! 本当だし!」
「その話はまた後でするとして――」
「ひどっ! みんな光世に冷たすぎない!?」
「――安綱さん。どうでしょうか?」
「……正直にいって、我も母親というものが果たして務められるかどうか……はっきり言えば自信などない。だが、それでも――この娘が我を母親として思っているのならば、例え一時のことであったとしても! この役目、果たしてみようと思う」
心なしか、少女の顔に笑顔が浮かんだ。小さな身体を彼女に預けて――鈍く重い音が鳴った。鎧が固かっただろうに、思いっきりぶつけた額が真っ赤になっている。だが、少女から笑みが消えることはなかった。
「しかしだ、そうなると当然父親も必要となってくる。貴様もそう思うだろう悠よ」
(やっぱりそうなるよな……)
求めてくる視線は、そういうことなのだ。悠は小さくため息を吐いて、頷く。父親役を担うことへの肯定は、新たな波紋を呼び起こす。これも予想通りの展開だから、悠も落ち着いている。
「ど、どうして悠さんが!!」
「はんた~い! 絶対にはんた~い!!」
「僕もちょっと、嫌かな。うん」
「そんな運命は認めません!!」
「落ち着いてください。あくまで仮です。安綱さんだけだと負担が大きくなる。となると支えていくのは当たり前です。ですが父親という役はどうあがいても女性が担うのは不可能。だから俺が一肌脱ぐのは必然でしょう」
「そのとおりだ。我が言わずともすべてを察するとは、まるでおしどり夫婦のようではないか。なぁ悠よ」
「それについてはノーコメントで――どうする? 決定権はお前にある」
少女が探しているのは、あくまで母親。父親も、とは公言されていない。もしかすると、父親を望んでいないかもしれない。そこに赤の他人が父親になってやる、と言われたところで相手にはただただ迷惑極まりない。ましてや子供だ。いらぬ心の傷だって植え付けかけない。
そんな心配も、少女の笑みによって杞憂に終わった。どうやら結城悠を父として認めてくれるらしい。お礼とばかりに、義母の下から離れてきた少女を優しく、しっかりと悠は抱きしめてやった。小さな身体から伝わってくるぬくもりは、小さくも温かい。「……俺が父親でいいのか?」
「……お父さん」
「あぁそうだぞ。この男が……いや旦那が貴様の父になってくれるぞ。なぁ我が旦那よ」
「え、えぇ。まぁ……」
本人を前にして、違うと否定できないことはわかっているだろう。嫉妬なのか、それとも警告なのか。背中にぐりぐりと柄頭を押し付けてくる愛刀。後で構ってやる時間を設けた方がよさそうだ。ハンドサインをこっそりと送って、止んだことで悠は小さくため息をした。
「俺のことを本当の父親として思ってくれ、というのは難しいとは思うが……まぁ、そういうことだ」
「うん……!」
「はっはっは! さすが我が娘!」
「うわ~もうすっかりお母さん気分になってるじゃん安綱ってば」
「わ、私だっていい母親になれます! 悠さんとなら最強のおしどり夫婦として全国に轟かせられるぐらいに……!」
「今回ばかりは諦めるしかないんじゃないかな三日月。あの子も、あの二人にすっかり懐いちゃってるしさ」
「こんなのは運命ではありません……断固認めません! うぅ……」
「ふむふむぅ、これはなんだかいいネタになりそうですねぇ。忘れない内にしっかりと書き記しておかないとぉ…! うふふ、筆が捗っちゃいますねぇ!」
様々な反応が巻き起こる中で、悠は次なる行動に思考を巡らせる。さて、あの小狐丸達をどうやって説き伏せようか。考えて、とりあえず三日月宗近達に全面的に押し付けることにした。




