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世界救済のハジマリ⑥


 今回はちょっと長めです。


「ちーっす」


「いらっしゃい。……なんだ、またお前か坊主」


「いいのかよ、数少ないお得意様にそんな態度で。あ、感応紙と魔力インクくれ。またなくなった」


「はいよ」


 店主は棚をごそごそと漁り、十五センチ四方の紙束とインク壺を出してくる。


 魔法陣を描くのに必須のアイテムが、この感応紙と魔力インクだ。普通の紙では何を描いても魔力なんて流れていかないし、普通にインクではどれだけ精密な術式を描いてもやっぱり魔力は流れない。この専用アイテムが地味に俺の懐を圧迫しているのだが、それも必要経費と割り切って、俺はちょくちょくこの店に補充に来ている。


「ほれ、これだな」



「おう。サンキュー」


「しっかし、坊主も変わったもん練習してるよな。今時魔法陣なんて使ってるやつそうそういねえぞ?」


「込めた魔力のほとんどが『漏れる』って話か? 正直俺からすればできねーやつの方が理解できねーよ。こっちは威力が出過ぎて困ってるってのに」


「そんなのお前さんだけだよ。俺は長いことこの商売やってるが、魔法陣をまともに扱えるやつなんてほとんど見たことないぜ。まして、一回使っただけで魔法陣のほうが耐え切れずにぶっ壊れるなんて話聞いたこともねえよ」


「ふーん」


「というか坊主、ジジイに魔力の流し方は教えてもらったんだよな?」


「まあな。それができねーと魔法陣も使えねーし、一番最初に教えてもらったよ。それがどうかしたか?」


「いや、そんなにとんでもない魔力量があるなら魔法具を使ってみる気はねえのかと思ってな」


「魔法具かぁ……」


 俺はちらりと店の中を見た。店内には数多くのマジックアイテムが陳列されており、俺の琴線に触れるものもないではないが、俺は首を横に振った。


「……いや、遠慮しとく。魔法陣のほうが色々できて面白そうだし」



 魔法具は、単一の効果しか発揮できないものが多い。火を出すとか、風を起こすとか。


 対して魔法陣は、術式《プログラム》さえ正しく描ければどんな事象でも起こすことができるーーらしい。同じ感応紙と魔力インクを用いても、違う陣を描けばそれに応じて魔法が発現する。こと多様性という面において、魔法陣は魔法具に大きく勝る。


 それに加えて、魔法具は複数回の使用が前提となっているため高額だ。地球の感覚で言えば家電用品なんかに近いだろうか。非常用に一つくらいあってもいいような気もするが、それを買えば宿代や食事代が圧迫され、金策に走る必要が生まれ、結果として魔法陣を学ぶ時間がなくなるのが目に見える。興味はあるが今は手を出さないほうが無難だろう。


 という俺の言い分を察したのか、店主は鼻を鳴らした。


「そうかい。ま、坊主がそれでいいならいいけどよーーけど魔法具が単純でつまんねえモンだと思われるのは心外だぜ。ここはひとつ、ウチの新商品を紹介させてもらおうか」


 そんなことを言い出した。


「は? いやいいよ。いらねーよ。めんどくせーし」


「まあそう言うな坊主。実は昨日、ツテでちょっといいモンが入ったんだよ。ほらこれ、見ろよこのイカす腕輪! 鱗の光沢がたまんねえだろー?」


「うわ、始まった……」


 カウンターの奥から、おっさんが何やら一辺二十センチほどで構成される立方体型の木箱を取り出した。


 そして意気揚々とそのフタを外し、俺に中身を見せてくる。


 仰々しく布でくるまれたその中身は見る限り、腕輪のようだった。薄緑色の鱗のような模様がリングを覆い、その上には輝く赤い石が五つほど散りばめられている。特に変わったものには見えないし、正直興味もないんだが、店主はいかにも話したそうに俺を見ている。


「あー……レアものか?」


「おう、かなり貴重なモンだぜ。何か当ててみろよ」


「黒パン」


「そんなわけねえだろ」


「野菜スープ」


「お前さん、さては全然興味ねえな?」


 今朝の朝食を思い出していた俺におっさんが憮然とした様子で聞いてくる。


 正直あまり興味はないが、仕方ない。ここは愛想で聞いてやるとするか。


「……で、これは何の魔法具なんだよ」


 その瞬間店主が目を輝かせた。


「よくぞ聞いてくれたな坊主! これは『火竜の腕輪』って魔法具だ。これを着けて魔力を流せば、普段の数倍のパワーとスピードが出せるようになるって代物よ」


「火竜の腕輪……ってこれが?」


「おう!」


 一転して興味を引かれた俺は思わずケースの中に鎮座する腕輪をしげしげと眺めた。


 ここ数日、ちょくちょくこの店に来ていたせいで、魔法具に関する基本的な知識は身についている。その俺の浅い見識から言えることとして、身体能力を強化する魔法具というのはとても貴重だ。



 というのも、身体能力を高める魔法具を作るには、ドラゴン由来の素材が必須になるからである。



 ドラゴンといえばファンタジー世界における定番モンスター。この世界においても存在するというのは意外ではなかったが、問題はその強さである。魔法に習熟した魔法使い、剣術に熟達した剣士などなど三十人がかりでようやく小型の竜一頭が倒せるかどうか、と聞いたときには思わずパワーバランスの悪さに唖然としたものだ。



 そんな化け物の素材が必要になるだけあって、身体能力強化系のアイテムはかなり値が張る。木箱の隅には値札があったが、書かれた数字はこの店にある他の魔法具とはケタが一つ違っていた。俺でも無理をすれば買えないことはないが、向こう一か月は宿屋暮らしのできる俺の財布がスッカラカンになるレベルとなれば迂闊に手は出せない。


「おい坊主、買うつもりならやめといたほうがいいぜ」


 そんなことを考えながら腕輪を凝視していると、俺の思考を読み取ったかのように店主が口を出してきた。


「値段の話か? まあ確かに高いけどさ」


「いや、それもあるが……この魔法具の効果、覚えてるか?」


「パワーとスピードの強化だろ? それがどうかしたか?」


「ああ。この魔法具はな、パワーとスピードは強化されるが『耐久力』に関してはほとんど強化されねえんだよ。だから多分坊主が使おうとすると、強化された身体能力についていけず反動で身体がぶっ壊れる」


「……」


 俺は言われた台詞の内容に思わず閉口した。


 ほう。強化された身体能力についていけず反動で身体のほうがぶっ壊れると。


 なるほどなるほど。


「ゴミアイテムだな」


「自分が使えねえからって拗ねんな坊主。……というわけで、これを使いたかったらまずは自分の身体を鍛えなきゃならねえんだよ、反動に耐えられるようにな。坊主のガタイじゃあ無理だろうなあ」


「……あっそ」


 ならなぜ俺に見せた、とは聞くだけ無駄だろうなあ……どうせただ自慢したかっただけだろうし。


 この店主、見た目が厳ついわりに話しやすいのだが、こうしてたまに仕入れた魔法具の自慢話をしてくるのは何とかならんのか。会話する相手がいなくて暇なのはわかるんだが。


「悪いおっさん、そろそろ行くわ。あんまりチンタラしてると師匠がガキどもに取られる」


「まあそう急ぐなよ。このアイテムだがな、手に入れるにあたってはそりゃもう結構な苦労があってーー」


「はいこれ代金。また来るわ」


「あ、おい坊主!」


 話が長くなりそうだったので退散。俺はカウンターの上に置きっぱなしになっていた感応紙と魔力インクをポケットにねじ込み、代金ちょうどを店主のおっさんに放り投げて店を出た。



×××



「火竜の腕輪か……もうちょい安ければなあ……」


 魔法具店から出た俺は、ぶつぶつと独り言を呟きながら噴水広場を目指している。


 頭の中にあるのはさっき魔法具店で見たマジックアイテムのことだ。色々デメリットもありそうだが、身体能力の強化というのは魅力的だ。


 というのも、魔法陣というのは基本的に術式さえ描ければ何でもできる技術なんだが、『身体強化』やら『治療』やらといった人間の身体に作用する分野は魔法陣の使用が禁止されている。師匠に理由を聞いたら、遠い目で『事故が多かったから』と言っていた。一体何があったんだろう。



 ともあれ、魔法陣にとっては身体能力関連は苦手分野なのは間違いないようだ。だが、魔法具にそういった制限は存在しない。あの腕輪についていた値段の高さからも、その効力が確かなものだということがうかがえる。


 うかがえるんだが……


「っつーかあのおっさん、この平和な街に何でそんなもん持ち込んだんだ? どの層向けの商品なんだよアレ……」


 ま、結構値も張るししばらくは店のインテリアだろう。今すぐどうこうする必要もないか。


 そんなことを考えながら、俺は道の角を曲がりーー




「もう終わりですか? だらしないですね」


「くそっ、この番犬女!」


「完全に俺たちを殺しに来てやがる……ッ」



 赤毛の少女が木刀片手にチンピラ二人を威圧している光景に出くわした。


「……」


 とりあえず俺は無言で数歩下がって角の陰に座り込んだ。

 何か取り込み中みたいだし、感応紙の枚数がきちんと足りているか確認でもしとこうかな。



『とりあえず、店から盗んだパンを返してください。そうすれば』


『何だヨ、許してくれるってのか!?』


『背骨一本とアバラ十二本で許してあげましょう』


『それは許してるって言わねえだろ!』




 あれ? 何か頼んだ分より感応紙が五枚ほど多いな。数え間違い……いや、お得意様へのオマケってとこか。

 何だよ、あのおっさんサービスいいじゃないか。今度お礼に『なぜこの店に客が少ないのか』という理由を箇条書きで五十個ほど教えてやろうっと。




『だいたいあなた達はその年で万引きなんかして恥ずかしくないんですか? 子供ならともかく、その年で人様のものを盗んで恥ずかしくないんですか? 働こうとは思わないんですか?』


『やめろ、そういう正論は聞きたくねえ! 耳と胸が痛くなってくるんだよ!』


『ちくしょう、もう我慢ならねえ! 今日こそボコボコにして暗がりに引きずり込んで押し倒してぶごぉっ!』


『ああすみません、手が滑って人体急所を三か所ほど木刀で突いてしまいました』


『もう誤魔化す気もないよな!? くそったれ、俺は簡単にはやられねえぞ!』




 今日は天気がいいな。またアイラが弁当持ってきてくれたりしねーかなあ。アイラの母親が作ってくれたらしいんだが、本職のパン屋だけあってサンドイッチなんかは絶品だった。また食いたいもんだ。




『まだやりますか?』


『『チクショー! 覚えてやがれぇっ!』』



 お、終わったかな。


 俺が隠れていた物蔭を、チンピラ二人が通り過ぎていく。どうやら逃げるのに必死で俺には気づかなかったようで、わき目もふらずに路地を駆けていった。


 バサバサ髪のやつと、小柄なやつ。よくよく見れば初日に俺に絡んできたやつらのうち二人だった。ざまぁ。

 どうやら安全になったようなので、俺は物陰から出ていく。


「よう、奇遇だな」


「……あなたですか」


 立ち去ろうとしていたらしい赤毛の少女が振り向いて嫌そうな顔を見せてきた。珍しいことに今日は普段着の上から紺色のエプロンを身に着けている。あと、左手に大きめの丸パンを持っていた。


 それだけ見ればいかにも可愛らしいパン屋の店員なんだが、不愛想な表情と、腰に差した木刀がその雰囲気をぶち壊している。


「また喧嘩か?」


「私が普段から喧嘩ばかりしているように言わないでください。少し、手癖の悪い人たちを懲らしめていただけです。私が店番しているときに商品を盗もうとしたので」


「ふーん」


 ということは、こいつがさっきから手に持っている丸パンは取り返した商品ということか。


 しかしこいつが店番の時に万引きを試みるとは、チンピラたちもなかなか無謀なことをするな。そんなもん絶対にうまくいくわけねーだろうに。


「……では、私は店番があるので戻ります」


 世間話をする気もないようで、赤毛の少女はあっさりと踵を返す。


「そうだな。じゃあ行くか」


「……は?」


 当然のように隣に立って歩き出した俺に、赤毛の少女は生ゴミを見るような目を向けてきた。


「どうしてあなたがついてくるんですか?」


「ははは、まあそう言うなって」


「隣を歩かないでください。不愉快です」


「照れ隠しか?」


「殺しますよ」


「ごめんなさい」


 駄目だ。この女と友好的なコミュニケーションを取れる光景が想像できない。


「……何か用でも?」



 歩きながら、諦めたように聞いてくる。


「ああ。お前にーー橘六花に聞きたいことがある」


「……」


 俺が昨日聞いたばかりの、目の前の女の名前を口にすると、赤毛の少女はわずかに目を細めた。俺が今からする話の重要性を理解したようだ。


 赤毛の少女は口元に手を当てたまま、


「なぜあなたは私の名前を知っているのですか? というか、いきなり呼び捨てにされて気分が悪いのですが」


「アイラに聞いたんだよ! ってかもう話進めるぞ!」


 こいつはどうしてこうも俺に対して厳しいんだ。せっかく日本人っぽく名字・名前の順番で呼んだのにそっちも無反応だし。


「単刀直入に言うか。橘、お前日本人だろ」


 今度こそ目の前の少女の目が見開かれた。


「……どうしてそれを?」


「勘」


「真面目に答えてください」


「あー……まあ、アイラにお前の名前を文字で書いてもらった時、それがどう見ても漢字だったからな。それでわかった。よくよく思い出してみれば思い当たる節もあったし」


 俺が思い浮かべているのは、この女と初めて会った時のことだ。


 さっきもそうだが、この赤毛の少女はそこらのチンピラを棒切れ一本であっさりと倒してのける。とんでもなく強いのだ。だが、その剣の腕前に反して体は華奢で、とても剣の修行をしてきたようには見えない。


 そのちぐはぐさは、俺にある種の違和感を与えた。


 まるでただの普通の少女に、何者かが後付けで『剣士としての実力』を植え付けたかのような。それはつまりーー


「女神に会って、異能をもらったんだろ。多分剣術に関するものを」


「……ということは、あなたもですか」


「まあな」


 剣客少女は否定しなかった。代わりに警戒するような目で俺を見た。


「私は、私以外に転世者がいるとは聞いていないのですが」


「けど、いないとも聞いてない。だろ?」


「それは……」


「何なら、俺に何か質問してみろよ。それで俺が日本人だってことを証明してやる」


 俺が言うと、赤毛の剣客少女は頷く。


「そうですね。では、三問ほど出しましょう」


「おう。かかって来い」


「平成28年時点での日本の首相の名前は?」


「知らん」


「平成28年のオリンピックの開催地は?」


「まったくわからん」


「……平成28年は、何の元年と言われているでしょうか?」


「VR元年だな。仮想現実、つまりバーチャルリアリティー技術を用いた様々なデバイスが登場した年だ。主にゲーム業界や医療業界での活用が見込まれる技術で、VRシステム搭載ゲームハード『PSVR』は発売当初から購入希望者が殺到し入手は困難になっているほどだ。現在のところVRの体験にはハイスペックなPCやゲームハードが必要になるが、時代が進んで技術が進歩することで低価格化が起こりより多くのユーザーが獲得できると見込まれている。十年後にはPCよりも広く普及しているという予想もある」


「……」


 剣客少女は胡散臭いものを見るような表情になった。


「どうだ。これで信用してもらえたか?」


「詳しすぎて気持ち悪いです」


「その言い方は傷つくからやめろ」


 この女は俺を罵倒しながらじゃないとコミュニケーションが取れないのだろうか。


 まあ、ぶっちゃけ時事問題は俺にとって鬼門である。ここ数年、アニメ以外のテレビ番組を観た記憶がない。


「……まあ、いいでしょう。あなたが日本人であることを認めます」


「おお、そうか。そりゃ何よりだ。じゃあ情報交換でもしようぜ」



「ーーお断りします。あなたと協力する気はありません」



「えっ」


 ぴしゃり、と俺の申し出が撥ねのけられた。


 俺はさすがにびっくりした。まさかこの話が断られるとは思っていなかったのだ。


「お、おい待て待て。これは感情論でどうこうしていい話じゃねーだろ。ほら、例の超強いモンスターの話もあるし」


「近々やってくるという、『魔王』の話ですか?」


「そう、それだ。わざわざ別の世界の人間を連れてくるってことは、どう考えても滅茶苦茶強いってことだろ。俺たちが二人この世界に寄越されたのは、一人じゃ『魔王』を倒せないってことじゃねーのか?」


 わざわざ死後の人間に干渉し、説得し、異能まで授けて異世界に送り込む。あのポンコツ女神がどれだけ忙しいのか知らんが、こんな面倒なことを必要もないのに何回もやったりしないだろう。異世界人《おれたち》が二人いるってことには必ず何か意味がある。


 と、俺なりに理屈を立ててみたのだが、赤毛の少女は一顧だにしなかった。


 それどころか真顔で、


「あなたが何か役に立つのですか?」


 と聞いてきた。


 目線を鋭くして、ともすれば睨みつけるように。


「路地裏の不良にも歯が立たない、あなたのような弱者が私の役に立つんですか?」


「……あ?」


 さすがにこの言い方にはカチンときた。


 確かに初対面で俺がこいつに無様な姿を見せたのは否定しない。

 だが、それは俺が魔力の使い方を知らなかったからだ。異世界に来て日が浅く、知識が足りなかったからだ。


「……俺の力は、てめーみてーな単純なモンじゃねーんだよ。いいよなてめーは。棒きれ振り回すだけで相手がバタバタ倒れてくんだからよ」


「ええ。あなたと違って私は強いので」


「……ッ、てめえ、いい加減にしとけよ! そんなもんは力の種類の話だろうが! 俺だってなあ、きちんと練習すりゃあちゃんと戦えるようになるっつーの!」


 声を荒げる俺に対して、赤毛の少女はどこまでも冷静だった。絶対零度を思わせる視線で俺を射抜いたままこう言った。


「アイラから聞きましたよ。噴水前で、子供たちと一緒になって魔法について学んでいるそうですね」


「それがどうかしたかよ」


「いえ、無駄な努力をしているなと思いまして。すぐにやめて働き口でも探したほうがいいと思いますよ?」


「てめえーー」



 言えなかった。続きを口にすることは許されなかった。

 いつの間にか赤毛の少女が間近にいた。あまりに足運びがあまりに速過ぎて動けなかった。その手には木刀が握られ、切っ先が俺の喉元に突きつけられていた。


 ごくり、と喉を鳴らす。


 赤毛の少女は木刀を俺に向けたまま、こう言った。


「あなたは、弱いです。どうせまた不良たちに絡まれれば、すぐに怯えて戦えなくなります」


 その断言に、俺は息を呑んだ。


 赤毛の少女の言葉に図星を指された、そういう意味もある。


 だが何よりも、その目が。俺を切り殺すように睨みつける少女の目が、もはや憎むような色を宿していたことに気圧されたからだ。



 ぞくり、と肌が粟立つ。はっきりわかった。この少女が俺に向けているのは、嫌悪感のような生易しいものじゃない。敵意そのものだ。

 だが、それはおかしいだろう。俺たちは出会ってまだ一週間だぞ? この短期間で、そこまでの悪感情を醸成するのは常識的に考えて不可能だ。


「……お前、何でそこまで……」


「前にも言ったと思いますが」


 赤毛の少女は木刀を腰に戻し、つまらなさそうにこう告げた。


「私は弱い男が嫌いです。世界で、少なくとも二番目には」


 赤毛の少女はそう言い残して去っていった。


 その背中を、俺は呆然としながら見送った。



×××



「たらったたったらーたたらー、たらったー」


 トレードマークの青いリボンを揺らしながら、アイラ・ベネットは路地を進んでいく。


 アイラの手には、籐で編まれたバスケットが提げられていた。中身はアイラの母親が作った昼食用のサンドイッチだ。噴水前にいつも集まっている友人や魔法の師匠と一緒に食べようと思い、母親にねだって用意してもらったのだ。


「みんな喜んでくれるかなー」


 以前持って行ったときはみんな嬉しそうに食べてくれた。よっぽど気に入ったのか、ゴンタとシグレの二人が取り合って喧嘩を始めたほどだ。


 ちなみに今日のものはアイラが作ったものもいくつか入っている。


「美味しいって言ってくれるかな。言ってくれるといいなー」


 アイラは能天気に表情を緩めながらその光景を想像し、足取りを弾ませながら路地の角を曲がる。


 ーーそして、曲がった先で反対側から歩いてきた通行人と正面からぶつかった。


「わぷっ……あ、ごめんなさ」


 ぎくり、とアイラの顔が凍り付く。


「よう、おちびさん」


 大柄な男。髪を残らず剃り上げたスキンヘッドに、アイラは見覚えがあった。


 スラム街の不良たちを束ねるリーダーのような人物。アイラの両親が、『あいつには気を付けろ』と口をそろえて教え込んできた人間。


「あ……あ、」


 反射的にアイラは周囲に視線を投げた。しかし誰もいない。偶然か、アイラの視界が及ぶ範囲には通行人一人いなかった。


 怯えた目を向けるアイラをどう思ったのか、大男はにい、と笑った。


「そんなに怯えんなよ、おちびさん。むしろ俺は会えて嬉しいんだぜ?」


「え……?」


 大男は笑っている。今のところ、敵意も見えない。正面からぶつかったのに怒り出す気配もない。


 だが、アイラの脳内では警報が鳴り続いていた。

 そして、それが正しかったことはすぐに証明される。


「ーー俺はお前がここに来るのを待ってたんだからな」


 ぞくり、とアイラの背筋が冷えた。


「ま、あの番犬女を引き離すオトリ役になった二人は今ごろボコボコだろうが……お前がいりゃァ釣りがくらァな。ちっと一緒に来てもらうぜ」


「な、なに? なんで……?」


 アイラには大男が何を言っているのかわからない。理解できない。


 じり、と一歩後ずさりする。大男は狩りを楽しむような表情で退いたぶんの距離を詰めてくる。


「何で? そんなモン決まってんだろ。あの番犬女を釣るエサにすんだよ」


「ーーっ」


 壁際に追い詰められたアイラには、大男の口元が醜く歪んでいくのが見えていた。


 悲鳴を上げることはできなかった。

 その前に大男の拳がアイラの腹にめり込み、意識を奪ったからだ。


 人けのない路地には打ち捨てられたバスケットだけが残った。



×××



 リッカ・タチバナがパン屋に戻った時、店内では店の主人とその妻ーーつまり、リッカの雇い主たちが何か話し合っていた。


 リッカは疑問に思いながらも、二人に話しかける。


「すみません、いま戻りました」


「あ、ああ、リッカ君」


 パン屋の主人、つまりアイラの父親は小柄で温厚な人物だった。半月前、右も左もわからない状態でこの街にやってきたリッカを雇い入れ、住み込みで雇ってくれたのがこの人だ。


「……ねえ、あなた。リッカさんにも相談した方がいいんじゃない?」


「……いや、しかし……」


「何かあったのですか?」


 リッカが尋ねると、店主はうつむきながら手に持っていたものを見せた。


 それを見てリッカは目を疑った。

 見覚えのあるものだった。知っているものだった。


 可愛らしい柄の、青いリボン。


「これは……」


「……さっき、スラム街のチンピラの一人がここに来て、そのリボンと、手紙を置いていったんだ」


「手紙?」


 店主はまだ躊躇っていたが、やがて諦めたようにポケットから一枚の紙きれを差し出した。

 書いてあったのは簡易的な地図と、乱暴な殴り書きの文字列。



『ガキは預かった。返してほしかったらここまで一人で来い、番犬女』



「ーーッ!」


 文面を見て、リッカは思わず奥歯を噛み潰した。かっと視界が赤くなった。


 番犬女、というのがスラム街の不良たちにとって自分を指す言葉であることは知っている。自分を指定してきた、ということはこの手紙を寄越した人間の狙いは自分だということになる。


 つまり、自分を誘い出すためだけに、敵は無関係のアイラに手を出したのだ。



 こうなると、さっき万引きを試みたチンピラ二人の行動の意味も変わってくる。



 あのチンピラたちは、リッカの目の前で商品を盗むなんてことが成功するなんて思っていなかった。それはリッカがこの街に来てすぐに身をもって知っているだろう。


 となれば、あの二人は自分を引きつけるために動いていたと考えるのが妥当だ。


 いつものように、いつもの道で、噴水広場に向かうアイラを確実に襲うため、自分をその場所から引き離すための囮役。


 そこまで考えて、リッカは足を店の外に向けた。


「……すみません。少し出てきます」


「ま、待つんだリッカ君! 君だって知ってるだろ、奴らはは君に逆恨みをしてるんだ! のこのこ出ていったら向こうの思うつぼだぞ!」


 店主がリッカを引き留める。


「君が行かなくていい。衛兵に連絡して……」


「大丈夫です」


 リッカは無理矢理、相手を安心させるような笑みを形作った。


 この二人には住む場所を提供してもらった恩がある。リッカにはそれが何より重要だった。


 恩は返さなくてはならない。そして何より、リッカはアイラのことを考えるといてもたってもいられなかった。


「私は強いですから」


店主の腕を優しくほどく。


 「すぐに戻ります」とだけ言って、リッカは店を飛び出した。



 話が全然進まないので長めにしてみたんですが、Wordに作った文章を掲載用に整えるのにえらく時間がかかりました。慣れないことはするもんじゃないぜ。

 

 五月中にもう一回くらい更新しようと思ってます。

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